1289.諜報員の心得
「レノ君とクルィーロ君が、シルヴァさんとお茶したってさ」
「えぇッ?」
ロークはラゾールニクの一言に耳を疑った。
声こそ軽いノリだが、目は笑っておらず、どうやら本当らしい。
呪符屋のカウンターはローク一人だ。
店長は呪符作りで忙しく、ロークもスキーヌムがお使いに出されるまでは、奥で手伝いだった。見ていたかのように絶妙の来店だ。
ラゾールニクは、タブレット端末をつついて何でもないことのように続ける。
「二人が神殿にお参りしてたら偶然、会ったんだってさ」
「偶然? 跡をつけられたんじゃありませんか?」
「君も疑り深いなー。シルヴァさんもお参りで、例の司祭を刺した神学生と一緒だったって」
ロークは声もなくラゾールニクを見た。
……スキーヌム君が留守でよかった。
つい先程、出たばかりだ。忘れ物でもしない限り、すぐには戻らない。
「四人でお参りして、流れで一緒にお茶して解散したってさ」
そこだけ聞けば、単に知り合いと会って旧交を温めただけで至極普通だ。
「何の話か、わかりますか?」
「君とアウェッラーナさんを仲間にしたがってるから、気を付けてくれってさ」
ロークが小さく顎を引くと、ラゾールニクは画面に視線を落として続けた。
「アウェッラーナさんたちが居る村の方は、フィアールカさんの手配で王都の施療院から呪医が行って、大分マシになったってさ」
「よかった……病気の治療、アウェッラーナさん一人じゃ大変だろうなって心配してたんです」
力なき民のロークが、遠く離れたランテルナ島で心配しても、薬師アウェッラーナの仕事が楽になるワケではない。それでも、案じずには居られなかった。
「今はワクチンの配布が始まって東方面の通行止めが解除されたよ」
「移動できるようになったんですね」
「もうしばらく居るって言ってたけどね。ミャータ市から診療車が来て、施療院のお医者さんは帰国したよ」
「麻疹の流行、終わったんですね」
我知らず声が弾んだ。
「ネモラリス島の……解放軍の勢力が強い地域だけなんだけどね」
「臨時政府の方は全然なんですか?」
「いや、そっちはそっちでワクチンを調達して、何とかなりつつあるから、自治区も含めて時間の問題だ」
ロークが胸を撫で下ろすと、ラゾールニクは話題を変えた。
「で、アーテル本土の方だけど、濃霧が出なくなったお蔭で、魔獣の駆除が捗ったってさ」
「えぇ、それはここに来る駆除屋さんたちも言ってました。街をウロつくのを優先してやっつけて日中は出歩いても大丈夫にしたから、お店が開くようになって会社もそこそこ再開したそうです」
「おっ、情報収集、頑張ってるなぁ」
幼い子供に向けるような笑顔で褒められたが、ロークは気にせず言った。
「それで、そろそろ現地を確認したいんですけど」
「おススメはできないなぁ」
ラゾールニクはタブレット端末を置き、腕組みしてカウンターに身を預けた。
「まだ暗がりに魔物が居るし、屋上に括られた魔獣も、いつ術が切れて自由になるかわかんないんだよ?」
「でも、地元の人はずっと住んでますよ」
ロークが身を乗り出すと、ラゾールニクは腕組みを解いて苦笑した。
「毎日、何人も食われてるのに?」
「でも、ラジオのニュースや島の新聞は全然……」
「報道規制だよ。正直に伝えたら、事業を再開させたとこが、また閉めちゃうだろ?」
そんな事態になれば、物流が機能しなくなり、アーテルの国民生活が破綻する。
現在も、買物に行けず保存食で食い繋ぐ家がある、と報じられるのだ。
インターネットが使えず、配達可能な地区も限られる為、通販はほぼ停止した。物流業者はランテルナ島の魔獣駆除業者を雇い、官公庁や病院など最低限の宛先への送達を守るだけで精一杯だ。
ロークは食い下がった。
「報道規制があるからこそ、実際、どうなってるか見に行かなくちゃいけないんですよ」
「で、食われンの?」
「護符の類はありったけ持って行きますよ」
「現地調査なら、力ある民の同志がしてるし、君がわざわざ命を危険に晒すコトないと思うけど?」
ラゾールニクが端末を上着のポケットに片付けて腰を浮かす。
「力なき民で、キルクルス教の教義を知ってる俺でないと気付かないコトってありますよ」
ラゾールニクは座り直してロークの目を見詰めた。
「単に視界に入っただけで、情報が持つ意味に気付かなくて報告から抜け落ちたら、見なかったのと同じです。その情報が足りないせいで判断を誤ったら、取り返しがつかなくなるかもしれないんですよ」
「まるで軍か何かで訓練された本職の諜報員じゃないか。シルヴァさんが君を欲しがるワケだ」
大袈裟に感心してみせるラゾールニクにぴしゃりと言う。
「茶化さないで下さい。俺は、本気なんです」
「命を懸けてもいいって?」
「はい」
露草色の瞳を正面から捉えて即答すると、ラゾールニクはニヤけた口許を引き締めた。
「本当に命を懸ける気か?」
「この命は惜しくありません。でも、目的を達成するには、命を守らなくちゃいけないのもわかってます」
「そうか……次にフィアールカさんの用で動くのはいつだ?」
「明日です」
「明朝六時、カルダフストヴォー市の西門出てすぐのとこに来てくれ」
ロークは喜びに頬を緩めることなく、深く頷いた。
☆レノ君とクルィーロ君が、シルヴァさんとお茶した……「1275.こんな場所で」~「1279.愚か者の灯で」参照
☆例の司祭を刺した神学生……ヂオリート「923.人捜しの少年」~「925.薄汚れた教団」、司祭を刺した「1075.犠牲者と戦う」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆フィアールカさんの手配で王都の施療院から呪医……「1284.過労で寝込む」~「1286.接種状況報告」参照
☆そっちはそっちでワクチンを調達/自治区……「1286.接種状況報告」自治区「1287.医師団の派遣」「1288.吉凶表裏一体」参照
☆濃霧……「1219.白色の闇作戦」参照
☆ここに来る駆除屋さんたち……「1232.白い闇の中で」参照
☆街をウロつくの……「1218.通信網の破壊」参照
☆屋上に括られた魔獣……例:平敷「1253.攻撃者の目的」参照
☆インターネットが使えない……「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照、原因は「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」参照




