1288.吉凶表裏一体
ウェンツス司祭が共通語で切り出す。
「各町内会の役員さんから報告を受けました」
手帳を取り出し、険しい顔で捲る。
「今朝の時点で、まだ連絡のない町もありますので、教区の全てではありませんが、やはり、既に発症者が居ました」
「患者さんたちは……」
大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭が、東教区の貧しい信徒を案じる。
「仮設病院に隔離されました」
「しかし、礼拝の中止命令は出ませんでしたね?」
四人の内、最年少のフェレトルム司祭が訝る。
「そんなことをすれば、宗教弾圧として国連などの介入を招きかねません。現在、難しい立場にあるネモラリス政府は、口が裂けてもそんな命令を出せないでしょう」
ウェンツス司祭の声には諦めが濃い。
医師団は全戸訪問班、患者発見時の隔離班と、患者を出した街区一体を重点的に予防接種して回る緊急接種班に分かれて行動する。
礼拝の中止や学校閉鎖などを行わない代わり、患者発生街区の住民には、外出禁止令を出した。
……臨時政府に打てる手は、このくらいが限度でしょうね。
訪問済みの戸には目印のシールが貼られる。また、発熱などの症状が出た場合は、ドアノブに括りつけるようにと赤い布も配布された。
自治区内に入った医師団は、全員が科学の医師だったこともあり、今のところ隔離に抵抗する者が出たとの情報はない。それどころか、無料なら診て欲しいと仮設病院に行きたがる者まで出る始末だ。
「麻疹が出たのでしたら、当分の間、礼拝を自粛した方がよいのでしょうか?」
老いた尼僧の声が震える。
自治区内で蔓延すれば、プレハブの仮設病院だけでは到底、病床が足りない。
冬の大火以前、リストヴァー自治区東部は、貧しい人々が犇めき合って暮らす過密なバラック街だった。
どんな病気に罹っても、大半の家庭は医療費を払えない。若い世代には「病院に行く」と言う発想すら持てない者も多い。
病院に行ける者が少ない為、疫病の発生があっても行政の把握が遅れる。知ったところで、感染防止策には限りがあった。
体調を崩した者は、その日の食糧を得るにも窮し、礼拝どころではなくなる。
元々栄養状態のよくない貧困層の人々は、病気に罹ればあっという間に命を落とした。
従って、これまでは礼拝の自粛をするまでもなかったのだ。
あの火災によってバラックの大半が焼失し、人口過密が解消された。
上下水道が再整備され、清潔な水が手に入りやすくなり、また、キルクルス教団などから大量に寄付された保存食が行き渡った。寝込んでも、一日二日程度なら何とかなる。
栄養状態が改善され、多少体調不良でも、出歩ける程度の余力もできた。
……喜べばいいのやら、悲しめばいいのやら。
禍福は糾える縄の如し。
以前より遙かに暮らし向きはよくなったが、頭の痛い問題が持ち上がった。
「自粛すれば、自治区外でどのような曲解や憶測を交えて報じられるかわかりません」
ウェンツス司祭の懸念を払拭できる名案は浮かばない。
フェレトルム司祭が大聖堂に報告しなかったとしても、区長がクブルム街道からタブレット端末で、国外の星の標に知らせる可能性が高い。
アーテル領の通信網が復旧したとの情報はないが、ラクリマリス領の回線を使えば、アルトン・ガザ大陸のバルバツム連邦とも瞬時に連絡できる。
「学校でも、戸別訪問と並行して強制接種を進めていますから、学業は何とかなりそうですが……」
尼僧が僅かに明るい話題を出す。
元々親に安定した収入のある子は、比較的出席日数が多く、小学校での定期接種を受けられた割合が高い。
大火で中小の町工場も焼失し、貧しい子供たちは働く場所を失った。
湖岸沿いに建つ大工場は、首都クレーヴェルなど自治区外に本社を置く事業所が多く、法令を遵守して児童労働をさせない。
地元の星の標幹部が経営する工場は、大多数がネミュス解放軍との戦闘で破壊された。損壊を免れた工場も、経営者や工員の大半が死傷して稼働できない。
解放軍が去った後で、住民に放火されたところもあった。
貧しい家の子は働く場所を失ったが、学校に行けば、給食で外国から寄付された食糧をもらえる為、出席率は大幅に上がった。
これまで接種日に出勤して欠席した子らも、今回は受けられるだろう。
閉校措置を採れば、貧しい子らは、また、接種の機会を逃しかねない。
「兵隊さんが礼拝に来る目的は何でしょう?」
フェレトルム司祭の目が、星道の職人クフシーンカに向けられる。
「情報収集……でしょうか」
「私が自治区のみなさんを煽動するとでも?」
大聖堂の若き司祭が、心外だとばかりに憤る。
「目的はわかりませんが、毎回、共通語が堪能な兵隊さんを寄越すようですし、司祭様のお話から、大聖堂やバンクシア共和国のことを知りたいのかもしれませんね」
「最新の話題を出して外部との遣り取りに気付かれると、端末を取り上げられるかもしれません。魔装兵の巡回もありますし、これからは雪の日もありましょう。クブルム街道へ行かれるのは当分、お止しになった方がよろしいですよ」
ウェンツス司祭が一気に捲し立てる。
項垂れたフェレトルム司祭は、端末を卓上に置いて力なく同意した。




