1283.網から漏れる
ラクエウス議員は、配布資料の参加者一覧に再び目を通した。
最初に声を上げた麦藁髪の女性は、アミトスチグマ王国内で広く活動する慈善団体「みんなの食堂」代表だ。
主な活動は、貧困家庭の子供への食事と居場所の提供。放課後、食堂で子供を預かり、おやつと夕飯を食べさせて、勉強や遊びの面倒も見る。
食事付きの託児事業で、費用は全て寄付で賄う。
次に口を開いたのは、慈善団体「大樹の杖」代表を勤める黒髪の男性。一人親家庭の育児相談や育児支援を行う団体で、こちらの活動資金も寄付だけが頼りだ。
最後に批難した緑髪の女性は、夏の都のパニセア・ユニ・フローラ信者会のひとつ「ラキュスの岸辺」代表だった。
三団体はいずれも、常日頃から、アミトスチグマ政府の福祉施策の網から漏れた人々を支援する。
ネモラリス難民の流入で、ただでさえギリギリで活動する彼らの台所事情は、更に逼迫した。
「これまで何度も、新聞社や、地元議員の先生方を通じてお願いして参りましたが、政府は一向に動いて下さいません」
ラキュスの岸辺代表が国王の判断を批難する。
みんなの食堂代表は溜め息と共に肩を落とし、疲れ切った顔をジュバーメン議員に向けた。
「役所にも、署名や要望書を提出してお話させていただいたのですが、ネモラリス人向けの支援は、経費削減の為、難民キャンプに集約したと言われました」
「難民キャンプに居ない人は、難民認定できない決まりだそうで、それでも係の人は要望書を預かって、上から指示があれば可能な限り動いてくれる、と言ってくれましたが……」
大樹の枝代表が悔しげに拳を握る。
信者会ラキュスの岸辺代表が、髪と同じ色の瞳をラクエウス議員に向けた。
「あの歌の動画以来、寄付が難民キャンプで活動する団体に集中しました。それが悪いことだとは申しませんが、支援者のみなさんのお財布には限りがございますので、そのー……」
ラクエウス議員はピンと来て、アサコール党首と視線を交わした。
ジュバーメン議員は、地元の慈善団体代表とネモラリスの亡命議員に視線を彷徨わせるだけで、何も言わない。
ラクエウス議員は、アサコール党首がタブレット端末を取り出したのを見て、口を開いた。
「夏の都でも、我らネモラリス難民に手厚いご支援を賜り、誠に恐れ入ります。平和になりました暁には、必ずやこのご恩をお返し致したく存じます。我々自身、現状でも可能な限り、自力で生活費を賄うべく、呪符や手芸品などを作って売りに出しております」
「難民キャンプの方々が頑張っておられるのは、重々承知致しております」
大樹の杖代表が表情を改めて背筋を伸ばした。
……パテンス市議やパテンス神殿信徒会からは、街に住む難民の件は何も知らされておらなんだが。
彼らは恐らく、亡命議員の心労をこれ以上増やすまいと気遣ったのだろう。
……いや。我々がもっと気に掛けるべきだったのだ。
親しい者が支えてくれるから大丈夫だと楽観的に構え過ぎた。
アサコール党首が端末から顔を上げる。
「動画の広告収入の一部をそちらへ回せないか、同志に相談しました」
「どなたですか?」
ラキュスの岸辺代表が首を傾げる。
「ユアキャストのアカウントを管理する者です。お返事は後程、私からこの資料の連絡先メールアドレスにお送りさせていただいてよろしいでしょうか」
アサコール党首は、流石に中学生の少年だとは言えず、言葉を濁した。三団体の代表者が頷いて同意を示す。
医師会の代表者が話を戻した。
工場の不具合で生産量が落ち込んだ麻疹ワクチン以外は、周辺国の協力もあり、今年に入ってからは、そこそこの接種率だ。
「工場の復旧後、フラクシヌス教団を通じて、複数の国から麻疹ワクチンを集めていただいて、先日、ギアツィント神殿付属施療院に納品されました。そこから、主にネモラリス島北部の病院に配布していただく予定です」
クラピーフニク議員が、聖地ラクリマリスの神殿との交渉に尽力したのだ。
アミトスチグマ医師会の担当者が、若手議員の報告に疑問を呈した。
「難民キャンプではなく、本国に送られたのですか?」
「現在、ネモラリス島北部で小規模な流行が発生中です。本国と難民キャンプを往復するボランティアや、国外に避難する難民を通じて拡大する惧れがあります」
アミトスチグマ人たちの顔が強張る。
クラピーフニク議員が、緊張した顔に微笑を作る。
「ボランティアの方々には当面、国外での活動を自粛していただくよう、連絡しました」
「本国の臨時政府も、ルニフェラ共和国駐在のザミルザーニィ大使を通じてワクチンを緊急輸入し、トポリ空港からギアツィント市やレーチカ市、リストヴァー自治区などに配布済みです」
「難民と一緒に麻疹を持ち込んだのでは、ラクリマリスやアミトスチグマをはじめ、支援して下さる周辺国の皆様に多大なご迷惑をお掛けしてしまいますので」
モルコーヴ議員とアサコール党首が付け加えると、慈善団体の三人は青褪めた。
赤毛の議員が更に安心材料を示す。
「私共の同志が確認致しましたところ、難民輸送船が発着するレーチカと王都ラクリマリス、双方の港で検査を実施したところ、現時点では発症者が出ていないそうです」
「しかし、個人で【跳躍】して来られた方々は検査も何も……」
みんなの食堂代表の声が震える。
モルコーヴ議員の視線を受け、アサコール党首が続きを引き取った。
「我々が、ワクチンの接種費用を何としてでも捻出します。皆様は、お近くのネモラリス人に自費で接種を受けるよう、呼掛けていただけませんか」
「それでしたら、事務処理用にこの事務所の会議室をひとつお貸ししますよ」
「何から何まで恐れ入ります」
ジュバーメン議員が気前よく言い、亡命議員四人は恐縮した。
「その“一時的な支出”すらできない方が多いのですよ」
みんなの食堂代表の声が怒りを帯びる。
この団体の主な支援対象は、子供に満足な食事も与えられない程の困窮家庭だ。
低賃金でも、収入があれば、アミトスチグマ政府の生活扶助を受けられない。「制度の谷間で支援を受けられない家庭」が最も苦しいのは、どこの国でも同じだった。
「それも追ってお知らせ致します」
アサコール党首が、尤もな怒りに静かな声で応え、報告会は次の項目に進んだ。
☆現状でも可能な限り、自力で生活費を賄う……「403.いつ明かすか」「1091.夏休みの計画」「1114.バザーの出店」~「1116.買い手の視点」「1140.自活力の回復」「1141.帰らない日々」参照
☆あの歌の動画以来、寄付が難民キャンプで活動する団体に集中……「324.助けを求める」「325.情報を集める」「402.情報インフラ」参照
☆パテンス市議やパテンス神殿信徒会……「738.前線の診療所」参照
☆工場の不具合で生産量が落ち込んだ麻疹ワクチン……「1058.ワクチン不足」「1090.行くなの理由」「1117.一対一の対話」「1118.攻めの守りで」参照
☆ネモラリス島北部で小規模な流行が発生中……「1090.行くなの理由」→「1206.東からの訪問」→「1242.蓄えた備えで」~「1249.病の情報拡散」参照
☆ルニフェラ共和国駐在のザミルザーニィ大使を通じてワクチンを緊急輸入……「1249.病の情報拡散」「1258.揺さぶる伝言」参照
☆トポリ空港からギアツィント市やレーチカ市、リストヴァー自治区などに配布済み……「1259.割当ては不明」参照




