1282.支援の報告会
「こちらが、難民キャンプでのワクチン接種状況です」
ジュバーメン議員の秘書が、各人の手許に配布された資料と同じものを白い投影幕に映し出す。
ラクエウス議員の事務所にあるのはOHPだが、ジュバーメン議員事務所の備品は、パソコンと接続する最新式の投影機で、映画並に鮮明だ。
難民キャンプのテント村が表示される。
アミトスチグマ王国医師会の腕章を巻いた白衣の男性が子供たちに注射する状況に続いて、ワクチンの種類別に接種対象者と接種済みの一覧表、更にグラフも表示された。
アミトスチグマの大森林に難民キャンプが開設されて、一年以上が経つ。
到着した全てのネモラリス難民に問診票を書かせ、接種歴がない者だけでなく、不明な者も対象者に含めたと言う。
地元医師会が中心となり、現在も継続的に接種を行う。
難民自身の為だけでなく、ボランティアなどを通じて王国内に感染症が広まるのを防ぐ為だ。
アミトスチグマ王国の国会議員ジュバーメンの事務所には、同国へ逃れたネモラリス共和国の国会議員三名と、ラクリマリス王国へ逃れた国会議員一名が顔を揃える。
岩山の神スツラーシを信仰する両輪の軸党を率いるアサコール党首、その党員モルコーヴ議員、キルクルス教徒で無所属のラクエウス議員、主神フラクシヌスを信仰する与党・秦皮の枝党のクラピーフニク議員の計四名だ。
信仰や政治的な信条は異にするが、志はひとつ。ラキュス湖畔に平和を取り戻すことだ。
ジュバーメン議員は、同じ神を信仰する縁でアサコール党首と意気投合し、アミトスチグマ王国内に流入した難民の件などで、何かと力添えしてくれる。
今日はその医療面での報告会を開いてくれた。
議員秘書の他、医師会の担当者一名と、慈善団体の代表者三名が同席する。
「難民キャンプには力なき民が多いので、最初にザーパット脳炎の予防接種を行いました」
医師会の担当者がパソコンの画面上に矢印を表示させ、グラフを差し示す。
現時点では、最も接種率が高かった。
蚊の発生時期に先んじてワクチン接種を実施したお陰で、昨年と引き続き、今夏もテント村や森の奥で暮らす難民に患者が発生せずに済んだ。
「皆様もご承知の通り、ザーパット蚊が媒介する伝染病です。発症すれば、科学の医療には有効な治療法がありません。また、魔法の医療では術の副作用が強く、体力のない乳幼児や高齢者、基礎疾患のある患者さんは術の負荷に耐えられないことから、大変、致死率の高い病気です」
「ワクチンが開発されてからは、死亡例が大幅に減ったのでしたわね」
モルコーヴ議員がグラフを読み取って頷いた。赤毛の女性議員は、健康福祉常任委員を務めた経験を持つ。
医師会の担当者は頷き返して続けた。
「その通りです。力ある民でしたら、最も効力が弱い染色でも【耐衝撃】が付与された服を着るだけで、蚊に刺されるのを防げますが、力なき民方々には、ワクチンが必要です」
「湖の民と力ある民には不要で対象者を確認しやすいから、接種率がこんなに高いんですね。ありがとうございます」
クラピーフニク議員の声は明るい。
グラフは、三カ月前の時点で対象者の九十八パーセントが接種済みだと示す。
「ザーパット脳炎のワクチンに関しましては、西隣のステニア共和国の協力を得て必要量を確保できましたので、船で来られた方々は接種歴を問わず、港で魔力の有無を確認すると同時に一律で実施しました」
ラクリマリス王国の難民輸送船に乗らず、力ある民の【跳躍】で直接、アミトスチグマ王国の親戚や知人などを頼った者は、接種どころか所在の把握も困難だ。
……そう言えば、儂も。
ラクエウス議員は肝が冷えた。
あの夜、クラピーフニク議員の【跳躍】で首都クレーヴェルの議員宿舎を脱出して、リャビーナ市へ逃れた。
リャビーナ市民楽団のピアノ奏者スニェーグ宅でしばらく匿われ、ソプラノ歌手オラトリックスの【跳躍】でアミトスチグマ王国の夏の都へ移動したのだ。
他の議員たちも、各々が伝手を持つ周辺国へ【跳躍】で亡命した。
「そう言われてみれば、儂はクラピーフニク君の術で移動しましたので、出国後は何ひとつ予防接種を受けておりませなんだ」
「あッ……!」
一同が息を呑み、時が凍る。
最初に気を取り直したのは、医師会の担当者だ。
「ラクエウス先生、本日のお加減はいかがですか?」
「膝が痛みますが、これは歳のせいです。来年の夏が定かでない儂よりも、難民キャンプの外で暮らす人々を優先していただきたく存じます」
「職安を訪れた方には、登録時や職業訓練前に健康診断と併せて受けていただきました。子供たちも、我が国の学校に転入する際、同様に行いましたよ」
ジュバーメン議員は澱みなく答えたが、慈善団体代表の一人は渋面を作った。
「何らかの事情でそもそも働けない人や、就学前の小さいお子さんは、受けていないのですが」
「それに職安を通さないで縁故就職した人は、役所に存在すら把握されておりませんので、お子さんの健診や予防接種、入学案内なども全く……」
「支援策は難民キャンプが中心で、親戚などを頼って街に避難して来られたみなさんは、対象から外されているのですよ」
他の団体の代表たちも、ジュバーメン議員に批難の目を向けた。
☆アミトスチグマの大森林に難民キャンプが開設されて一年以上……「204.難民キャンプ」参照
☆ザーパット脳炎……「1248.深まる不安感」参照
☆【耐衝撃】が付与された服を着るだけで、蚊に刺されるのを防げます……「1058.ワクチン不足」参照
☆クラピーフニク議員の【跳躍】で首都クレーヴェルの議員宿舎を脱出……「277.深夜の脱出行」参照
☆リャビーナ市民楽団のピアノ奏者スニェーグ宅……「278.支援者の家へ」参照
☆ソプラノ歌手オラトリックスの【跳躍】でアミトスチグマ王国の夏の都へ移動……「400.党首らの消息」参照
【余談】
OHP=オーバーヘッドプロジェクター。透明のシートに図や文字を書いて壁面などに投影させる。会社の会議やプレゼンテーション、学校などでよく使われたが、現在はパソコンでパワーポイントが主流。




