1281.寝込めるヒマ
村のみんなは、畑仕事で忙しく、看病に来てもすぐ行ってしまう。
余計な病気を持ち込まないようにとのことで、お見舞いは来ない。
「じゃ、また後で」
ピナの兄貴も、病人食とやらを乗せたお盆をおっさんに渡すと、さっさと教室の病室を出て行った。お礼を言うヒマも、ピナがどうしてるか聞くヒマもない。
ベッドの傍には学校の机と椅子が一組ずつ置かれ、お粥の深皿とスープが入ったマグカップが湯気を立てる。
モーフが自分で起き上ると、メドヴェージが慌てて背中を支えた。
「寝床で起き上るくらい、もう平気だよ」
「そうか? 無理すんなよ?」
上体を起こすだけでさっきみたいに「躓いて転ぶ」要素なんかどこにもない。
いちいち病人扱いされ、こんなに心配されるのが癪に障るが、これ以上何か言うのもダルく、モーフはふっつり口を閉じた。
「おっ、今日のスープ、魚入ってんじゃねぇか。よかったな、坊主」
おっさんが匙で掬って見せたのは、肉団子だ。
……食いてぇとは思うけどよ。
何故か空腹感がない。薬のお陰で喉の痛みがなくなって、固形の食べ物も飲み込める筈だが、食べられる気がしなかった。
「坊主、こっち先ン食うか? ん?」
取敢えず、何か腹に入れなければならない。
早く治りたい一心で頷くと、メドヴェージは、お粥の深皿と薬用の水が入ったマグカップを机に置き、スープの銅マグだけになったお盆を布団にそっと乗せた。
もっと悪かった頃はそれどころではなかったが、これだけ元気になると、いちいちおっさんに食べさせてもらうのは、鬱陶しい上に恥ずかしい。
「自分で食う」
「そうかそうか」
おっさんは妙に嬉しそうに笑って匙を寄越した。
スープは、いつものマグカップに半分しかない。
……なんでぇ。これっぽっちかよ。
魚肉の団子も二個だけだ。これと麦粥では足りない気がした。
……足りなかったら、店長さんに言やぁおかわりくれるよな?
何気なく持ち上げたマグカップが異様に重い。
ぐらぐらする手をおっさんがすかさず支えた。
「半分だけにしてもらってよかったな」
「お……おう」
……なんでこんな持てねぇんだよ!
「ずっと寝込んでたせいで筋力も弱ってんだ。今の坊主じゃ、カマキリにも勝てねぇぞ」
「虫ケラになんざ負けねぇよ」
見透かしたように言われ、反射的に言い返したが、おっさんは笑うだけだ。
リストヴァー自治区に居た頃は、こんなに寝込んだことなどなかった。
工場の下働きに出なければ、食べ物が手に入らない。休日も食べられる草や虫を探してシーニー緑地へ出掛け、寝込むヒマなどなかった。
……違う。こんな病気ンなったら、死ぬんだ。
自治区東部のバラック街では、薬も何も手に入らない。
近所のねーちゃんアミエーラには、弟と妹が何人も居たらしいが、みんな病気で亡くなった。
病気になったら、大抵の奴は寝込むヒマもなく死んだ。夜中に息を引き取って、病人が居たバラックから魔物が出てすぐに受肉したこともある。
星の道義勇軍が、魔獣化した魔物を倒してくれなかったら、モーフの姉ちゃんも食われただろう。
次々イヤなコトを思い出して匙が震えた。
「じゃあ、これ持っててやっから食えよ」
おっさんが、モーフの手からそっとマグカップを取る。
ドーシチ市のお屋敷でもらってから、毎日、使い続けた銅マグすら持てないのが情けなかった。
……ぐだぐだ考えててもしょうがねぇ。
さっきセンセイに言われた注意を思い出し、冷めない内に肉団子を口に入れる。魚のすり身は、やたら葉っぱ臭かった。薬草を混ぜたのかもしれない。
不味くはないが、美味くもない。
何となく、魚を損した気分でもそもそ食べる。噛めば噛む程、魚肉と推定薬草の味が混ざってワケのわからない味になった。
本当にピナの兄貴が作ったのか疑わしい。
気が重くなるにつれて、木の匙まで重くなってきた気がする。
どうにか飲み下したら、溜め息がこぼれた。
「座ってんの疲れたか? じゃ、ちっとばかし横ンなって休憩すっか?」
「んー……」
……わかんねぇ。
返事をするのもダルい。これが疲れのせいなのかもわからない。
メドヴェージはお盆と銅マグを机に置いて、モーフの手からそっと匙を取った。
完全に動けなかった頃は、村の若者とDJレーフが魔法で食べさせてくれた。
食べさせると言っても、薬草臭くて薄いスープの汁だけを直接、胃に流し込むだけだ。最初に一回、センセイがヘンな所へ入らないようにコツを説明しただけで、魔法使いたちはすぐできるようになった。
……あんなんじゃ食った気しねぇし。
また、自力で食べられなくなったと思われたら、あんな食事に逆戻りだと気付いて、おっさんの手から匙を取り返した。
「おっ? 食えるか? じゃ、次はスープの汁だけにしてみろ」
メドヴェージがいそいそ銅マグを取って、モーフの口許に近付ける。
湯気まで薬臭い。
「これ……メシじゃなくてクスリじゃねぇのか?」
「まぁ、今は身体が弱ってっからな。フツーのメシは、ちょっとな」
おっさんは何故かバツが悪そうだ。
隣のベッドでは、魔法使いの工員クルィーロが父ちゃんが食べるのを手伝う。
二人とも何も言わない。父ちゃんに喋る元気もないからだろう。アマナの兄貴の顔が暗い。
窓を見たが、ここからでは荷台の中までは見えなかった。
モーフが匙にちょっとだけ取って舐めてみると、さっきの魚肉団子を薄めた味がした。
……そっか。薬草入りの方が早く元気になるよな。
美味くはないが、不味くもない。
やっと当たり前のことに気付き、せっせとスープを飲んだ。
「ここらでちっと休憩すっか?」
メドヴェージは返事も待たずに銅マグを机に置いてしまった。
隣では、アマナたちの父ちゃんが兄貴に支えられて横になる。
残りは魚の肉団子一個だ。
「あと一口だけじゃねぇか。キリのいいとこ、全部食ってからに」
「おい! 大丈夫かッ?」
「しっかりして下さい!」
隣の保健室から何かが割れる音と、幾人もの声が叫ぶのが聞こえ、肉団子どころではなくなった。
☆ドーシチ市のお屋敷でもらってから毎日、使い続けた銅マグ……「243.国民健康体操」参照




