1278.違う種類の闇
カフェの店員が二階の席に来て、追加注文の有無を尋ねる。
シルヴァとヂオリートは断り、レノとクルィーロは二人でティーポット一杯分の鎮花茶を頼んだ。
店員がお茶を持って来て、再び一階へ戻るまで、誰も口を開かなかった。
レノは香気の抜けたお茶を飲み干し、新しい鎮花茶の力を借りて、言葉と反応をひとつずつ確かめながらゆっくり答える。
「勿論、妹は大事だ。焼け出されてからずっと守って逃げて来たんだ」
「嘘だ! 妹さんが大切なら、星の標を……キルクルス教の狂信者を憎まないなんて、そんなのおかしいでしょう」
……妹……女きょうだい……そうか。
レノの頭の中で、ヂオリートの激しい動揺と、報告書のロークによる調査結果が繋がった。
「俺は力なき民だから戦う力なんて持ってない。幼馴染たちと力を合わせて、戦うよりも守ることに全力を尽くしてきたし、これからもそうしたいんだ」
「でも、ロークさんは、力なき民でも作戦に加わって生還したと……!」
「誰から聞いたんだ?」
「オリョールさんです。無傷で戻った力なき民は何人も居ると伺いました」
ヂオリートは、クルィーロの問いにあっさり答えた。
シルヴァの表情は変わらない。
レノは、彼らが「出していい」と判断する情報の線引きがわからなかった。
「それは俺たち二人じゃないし、ローク君も好きで参加したワケじゃない」
「では、何故、武器を手にしたのです?」
ヂオリートが再び身を乗り出した。
「シルヴァさんの仲間が、俺の妹や戦えない薬師さんとかを人質にしたから」
「嘘だ! あの人たちがそんな……!」
「人質取った奴らは、あの作戦で大体アレして……戻れた奴もオリョールさんが始末したんだ」
「オリョールさんは、用済みになったあいつらを始末して、俺たちを逃がしてくれたんだ。嘘だと思うんなら、本人か……えーっと、呪符か武器の職人さんがまだ居るなら、あの人たちに聞いてみればいい」
クルィーロがレノに続いて早口に言い、ヂオリートを遮った。
黒髪の少年が弾かれたように隣を見たが、シルヴァは穏やかな微笑を浮かべたまま眉ひとつ動かさない。
……俺たちの勧誘じゃなくて、ローク君の居場所を言わせて、あのコを引っ張り込もうってのか?
「何故、妹さんを傷付けた狂信者を許せるのです? 本当は憎いのでしょう?」
ヂオリートの声が湿り気を帯びる。
レノは鎮花茶の淡い色を見詰めて答えた。
「許してなんかないよ」
「やっぱり、憎いんですよね?」
明るい声に背筋が凍ったが、平静を装って続ける。
「自爆テロで実行犯はもう居ない。でも、だからって、キルクルス教徒全員が憎いなんて思わないよ」
「何故です? 妹さんに大怪我させたのはキルクルス教徒なんですよ?」
「君こそ、どうしてそんなコト言うんだ? 信仰が同じでも、考えや行動はみんな違うじゃないか」
「例えば?」
「えっと、何年か前、バンクシア共和国とかが星の標を国際テロ組織に指定したってニュースでやってたの、知らない?」
ヂオリートは俯いて肩を震わせた。
……何で泣くんだよ?
「そんなの、表向きのポーズじゃありませんか。大聖堂も、バンクシア政府も、バルバツム連邦も、テロ支援国家のアーテルを支援してますよ」
ゆっくり上げられた顔は嘲りの笑みに歪み、瞳の異様な輝きがレノを射抜いた。
無人機の格安販売、ラキュス地方企業団地計画とその手始めのルフス工業団地計画……アナウンサーのジョールチがニュースで読み上げた報告書の単語が、幾つも頭を駆け巡る。
「一般の信者全員がそんな考えのワケないじゃないか。テロを取締る軍や警察の人はどうだ? ちゃんとした信者の人だったら、テロなんて許すワケないし、聖職者だって」
レノの声は、けたたましい笑いで掻き消された。息を呑んで固まったのは、シルヴァも同じだ。
クルィーロがティーポットの蓋を外すと、カフェの個室に鎮花茶の香気が満ち、扉のない部屋から二階全体に広がった。レノは幼馴染に目顔で礼を伝え、ゆっくり深呼吸する。
ヂオリートの笑いが鎮まり、口角を釣り上げた唇が言葉を吐いた。
「聖職者こそが腐敗しているのですよ。信徒を食いモノにして私利私欲を貪り、我が身可愛さに星の標を黙認してテロを放置。挙句、この戦争です。これでも、キルクルス教徒が憎くありませんか? 空爆で家を焼かれたのでしょう?」
「君は……一体……?」
レノの呆然とした問いに応えず、ヂオリートは一方的に捲し立てる。
「聖典には一行も書かれていないのに“悪しき業”を使うネモラリスの邪悪な魔法使いを滅ぼせと戦争を煽ったのですよ。空爆でネモラリスの街が焼け野原になったのを喜ぶ連中ですよ? 聖職者ってフツー“平和を祈る者”じゃないんですか?」
「君は、キルクルス教の聖職者と直接、会ったコトがあるのか?」
クルィーロが何も知らないフリで聞くと、ヂオリートの顔から血の気が引いた。
老婦人シルヴァは少年の失言にも顔色ひとつ変えない。
クルィーロがひとつ咳払いして言う。
「フラクシヌス教徒だって色々だよ。同じ神様を信じるひとたちでも、政治や国の在り方とかの考えはバラバラだ」
「……それで?」
少年が血溜まりを這うような声で聞く。
魔法使いのクルィーロは怯まず答えた。
「だから、半世紀の内乱が起きて、国が三つに分かれたんだ」
「君がキルクルス教徒にどんな酷いコトされたか知らないけど、君が今の居場所だと思ってるのは、前と種類が違うだけで、真っ暗なのは同じだと思うよ」
「今の方が自由で、生きている実感があるのに?」
ヂオリートの顔が不快げに歪んだ。
☆ヂオリートの激しい動揺と、報告書のロークによる調査結果……「923.人捜しの少年」~「925.薄汚れた教団」参照
☆ロークさんは、力なき民でも作戦に加わって生還した……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」「467.死地へ赴く者」「468.呪医と葬儀屋」参照
☆戻れた奴もオリョールさんが始末した……「470.食堂での争い」「471.信用できぬ者」参照
☆俺たちを逃がしてくれた……「472.居られぬ場所」参照
☆テロ支援国家のアーテル……「687.都の疑心暗鬼」「811.教団と星の標」「812.SNSの反響」「0993.会話を組込む」参照
☆無人機の格安販売……「309.生贄と無人機」「325.情報を集める」「752.世俗との距離」参照
☆ルフス工業団地計画……「0957.緊急ニュース」「0966.中心街で調査」「1022.選挙への影響」「1023.特番への反応」「1027.工業団地計画」~「1029.分断の阻止へ」参照
☆信徒を食いモノにして私利私欲を貪り……「1104.隠せない腐敗」「1109.腐敗を語る声」「1110.証拠を託す者」参照
☆我が身可愛さに星の標を黙認してテロを放置……「811.教団と星の標」参照
☆ネモラリスの邪悪な魔法使いを滅ぼせと戦争を煽った/空爆でネモラリスの街が焼け野原になったのを喜ぶ……「763.出掛ける前に」参照




