0131.知らぬも同然
黙考したソルニャーク隊長が顔を上げた。
「この天気では雑妖が多い。【魔除け】があるローク君と、志願したモーフで行ってくれるか?」
「はいッ!」
少年兵モーフが元気よく応じ、ロークは無言で頷いた。
「君は時計を持っているな?」
「はい」
「では、十五分経ったら戻ってくれ。時間前でも、雨が降ったら戻るように」
「わかりました」
「了解ッ!」
ロークは左手の腕時計を確認した。ガラスにヒビが入ったが、針はまだ動く。
「それから、建物には入らないように」
「どうしてッスか?」
「雑妖が多い。それに、いきなり崩れるかもしれん。危険だから絶対入るな」
ソルニャーク隊長が、少年二人に厳しい表情で注意を与える。
二人は神妙に頷いた。
「鍵を探すのは、二人が戻ってからにしよう。あまりここを手薄にする訳にはいかん」
隊長が残る面々に言った。
「どうせ雨が降れば作業できんのだ。無理する必要はない」
魔法使いの工員クルィーロも忠告する。
「雨が降っても、その辺で雨宿りしないで、急いでここへ戻ってくれよ。濡れても魔法ですぐ乾かせるし、体もあっためられるから」
「はい。じゃ、行ってきます」
二人はそれにも了解し、放送局を出発した。
ロークと少年兵モーフはまず、放送局の右隣へ行った。
爆弾の直撃を受けたビルは完全に崩壊し、瓦礫の隙間から汚らしい霧のように淡い雑妖が滲み出す。
ロークが近付くと、濁った霧が逃げた。
「梃子にするのが目的だから、鉄筋でもいいんだよね?」
ロークは瓦礫から突き出た鉄筋に手を掛けた。
ビクともしない。
両手で強く握り、全力で引っ張る。
……全然ダメだ。
乱れた呼吸を整えながら振り向いた。少年兵モーフは歩道に立ち、破壊された灰色の街並を眺める。
……ちょっとくらい手伝ってくれてもいいのに……あッ!
ロークは手元に視線を戻し、息を呑んだ。鉄筋の先はコンクリート塊に刺さっていた。諦めて手を放し、少年兵の隣に立つ。
……鉄パイプって、そう言うコトだったのか。
鉄パイプがありそうなのは、建設現場などだろう。足場をバラせば調達できそうだ。ロークは廃墟と瓦礫の山を見て、記憶の地図を参照した。
……あれっ? ここって何だっけ?
ほんの一週間前まで、しょっちゅう通った道だ。よく知る筈なのに、放送局の隣が何だったかさえ思い出せない。
モーフについて歩きながら更に考える。
一週間前、どの辺りで工事があったか思い出せない。
工事現場前は、何度も通った覚えがある。それがどこで、いつ頃だったか全くわからなかった。
いつもの風景として特に意識せず、何気なく見過ごしてきた。
視覚情報として見えても、意識的に見なければ、見なかったのと変わらない。
そんな当たり前のことに気付き、ロークは愕然とした。
少年兵が、歩きながら瓦礫の山に視線を這わせる。
ロークは改めて少年兵モーフの後ろ姿を観察した。
高校生のロークよりずっと背が低く、女子中学生のピナティフィダと同じか、少し低いくらいだ。
年齢不詳。時々大人びた表情を見せることはあるが、顔立ちは、おっさん兵のメドヴェージが「坊主」と呼ぶ通り、幼い。栄養失調なのか、肌が荒れ、大地と同じ色の髪もパサパサ。
動きが機敏なのは訓練の賜物だろう。
ロークは、家に集まる隠れ信者が語った自治区の様子を思い出した。
……これが、自治区で生まれて、外を知らなかった人……か。
少年兵が何かを見つけ、瓦礫の山に踏み込む。
ロークは慌ててついて行った。霧のように薄い雑妖が【魔除け】を避け、二人に道を開ける。
腕時計に目を遣ると、この時点で十分も経ってしまった。
少年兵モーフが、細い金属製のパイプを引っ張り出す。緑青が少し浮いて斑になった銅管だ。
「配管。俺が掘るから、お前は持っててくれ」
「えっ? 二人で探した方が早いよ? パイプは道に投げて、後で拾えばいいんじゃないか?」
「……そうか。じゃ、そうする」
何が気に入らないのか、モーフは渋々頷いた。
ロークも瓦礫から配管を引き抜き、歩道へ投げて考える。
……もし、俺が同じ境遇だったら……?
そもそも、この年まで生き延びられただろうか。
祖父と両親を卑怯だと思いながら、その庇護に甘え、ぬくぬくと守られて生きてきた。
周囲の大人たちの姿で、聖者キルクルスの教えを信じられなかった。
信仰を偽る彼らを腹の底で見下しながら、余計な軋轢を生まない為に、誰にも何も言わなかった。
隠れキルクルス教徒たちには、上辺だけ愛想良く振舞い、表面的な付き合いを続けた。
親に押し付けられた同年代の子供らとの付き合いも、信仰の繋がりを煩わしく思いながら、家族の手前、調子を合わせた。
学校の友達は、親に教えなかった。
「魔法使いなんかと付き合うんじゃない」
そんな一言で仲を裂かれるのが怖かった。
……ヴィユノーク、チェルトポロフ、チス。
友達の顔が浮かんでは消える。
中学で仲良くなり、別々の高校に進学しても、休日にはよく集まった。
仲がいいと思っていた。
大切な友達の筈だった。
荒んだ目をした少年兵は、黙々と作業した。
ロークも、瓦礫の隙間から突き出た配管を引き抜く。
今にも降り出しそうな空の下、ぐにょぐにょと蠢く汚い霧が二人を囲む。一定の距離を保って近付かないのは、ロークの懐にある【魔除け】の護符のお陰だ。
「将来、職人になりたいんだ。練習で作った奴だけど、もらってくれないか?」
スカラー高校に進学したヴィユノークが、そう言ってロークの誕生日にくれた。
ころころ太った指は意外に器用で、親指の先くらいの水晶に不思議な文様をびっしり刻み込んだ。
「えっ? えぇっ? いいのか? こんなスゲーもん……」
【魔力の水晶】。それを入れる袋は【魔除け】の護符だ。
買えば、大卒の初任給が軽く吹き飛ぶ。
そんな高価な物をもらう遠慮より、親にみつかると面倒なことになりそうだと言う、打算の方が大きかった。
ヴィユノークは、【編む葦切】学派の術を学んでいた。
「卒業したら職人に弟子入りして、力なき民でも使える便利な魔法の道具を作るんだ」
瞳を輝かせて熱く語る彼は、魔力はあるが作用力がない為、自力では魔法を使えない。【水晶】などに魔力の充填はできるが、呪符や道具がなければ術が使えない点では、力なき民と同じだ。
ヴィユノークがくれた護符と【魔力の水晶】は、素人目にも拙い出来だ。だが、この小さな護符は、十人の命をしっかり守ってくれた。
……知ってたのに、何で……教えなかったんだろう……
もう何度目になるのかわからない。
苦い後悔が胸を圧迫し、溜め息を押し出す。震える息が小さな雲となり、風に流れて消えた。
汗を拭うフリで、滲んだ涙をコートの袖に浸みこませる。
「時間だ。帰ろう」
少年兵モーフに声を掛け、歩道のパイプを拾う。
手頃な長さのパイプは五本取れた。ロークは三本抱え、放送局へ急いだ。
☆親に押し付けられた同年代の子供らとの付き合い……「0048.決意と実行と」「0052.隠れ家に突入」参照
☆ヴィユノーク、チェルトポロフ、チス……「0034.高校生の嘆き」参照
☆魔力はあるが作用力がない為、自力では魔法を使えない……「0060.水晶に注ぐ力」参照
☆この小さな護符は、十人の命をしっかり守ってくれた……「0071.夜に属すモノ」参照




