1274.業者が夜逃げ
「その節は大変お世話になりまして有難うございました」
店員が先に気付いて、大声で店長を呼ぶ。
顔を出した店長は、二人を見留めるなり顔を輝かせて駆け寄った。涙ぐんで何度も礼の言葉を重ねる。
「いえいえ、俺たちの方こそ、あんな高価な飴いただいちゃって」
「湖の民の呪医と薬師さん、懐かしいって喜んでましたよ」
レノとクルィーロが恐縮する傍らで、店員の目が険しくなる。
視線が刺さるのは緑青飴のチラシだ。
「あの、これ、拝見させていただいても?」
「差し上げますよ。今日はこれ渡しに来ただけなんで」
レノが手渡すと、店長もハンカチで涙を拭い、緑髪の頭を寄せて食い入るように見た。
「これは、どちらで……?」
瀞屋の顔の険しさに、レノは店名を教えるのを躊躇した。
クルィーロがとぼける。
「あ、看板見るの忘れてた。庶民的な小さい飴屋さんです」
「半年くらい前にメーカーの人が営業に来たって言ってましたよ」
「半年前……やっぱり」
若い女性店員が、唇を噛む。
店長は深い溜め息を吐いた。
「お兄さん方に教えていただいてすぐ、組合に相談したんですよ。係の人が色々調べてくれまして、紛らわしい緑青飴が出回ったせいで、ジゴペタルムなどを中心に湖東地方で誤食事故が何件もあった、と突き止めて下さったのです」
ユアキャストで自殺実況した若者の部屋には、瀞屋の他、この珈琲飴の包みも散乱していたらしい。
珈琲味の緑青飴を作った製菓会社は、ジゴペタルム共和国に本社があり、半年程前にラクリマリス王国のグロム市に営業所を構えた。
陸の民が緑青飴自殺した事件がニュースになった直後、ネーニア島の営業所を引き払い、この紛らわしい緑青飴も製造が中止されたと言う。
店長は溜め息混じりに続けた。
「知名度の低いメーカーだったので、動画で一緒に映った包装紙を見て、ウチが作ったような噂が流れたのですよ」
「わざと食べた現場には他のメーカーのもあったんですけどね」
「あー……でも、有名な方に目が行っちゃいますよね」
クルィーロが同情する。
店員は何とも言えない顔で頷いた。
「誤食事故は十件や二十件じゃ済まなくて、社長が夜逃げしちゃって、従業員の人たちも困ってるそうなんです」
「えぇッ?」
「それってもう、どこにも苦情言えないって言うか、巻き添え食ってとばっちりで売上減った分って……一体……」
レノは疲れ切った顔の瀞屋に心底、同情した。
「お気遣い恐れ入ります。それはもう……諦めるつもりです。お二人のお陰で、組合がホームページや記者発表で誤解を解く情報を流してくれまして、客足がぼちぼち戻りましたし、常連さんも励まして下さいますし、これで良しとするしかありません」
店長は改めて礼を言うと、新しく来た客の応対に出た。
店員が低い声で聞く。
「このチラシ置いてたお店、まだ、売ってるってコトですよね?」
「危ないから、子供には売らないようにしてたそうですよ」
「それに、俺たちが買占めたんで、もうありません」
クルィーロが答えると、店員は肩の力を抜いて聞いた。
「行商のお仕事をなさってるんですか?」
「ついでにって、湖の民だけの村の知り合いに頼まれただけですよ」
「わざわざ教えて下さってありがとうございました。他にも仕入れたお店がないか、また、組合に相談させていただきます」
女性店員が店長に呼ばれて接客を代わる。
店長は、今回も缶入りの超高級品を渡そうとしたが、二人は固辞した。
クルィーロが声を潜めて言う。
「その代わり、情報収集に協力してもらえませんか?」
「何をお知らせすればよろしいのです? 飴の調合やお客様のことはお教え致し兼ねますが」
レノも、クルィーロが何を聞くのか気になって、半歩近付いた。
幼馴染が、端末にラゾールニクの写真を表示して店長に向ける。
「何聞くかは俺にもわかりませんけど、この間のこと、色々調べて教えてくれたのって、この人なんです」
「どちら様でしょう?」
「フリージャーナリストです。湖南地方のあっちこっちで取材してる人なんで、もし、この人が取材に来たら協力してもらえませんか?」
「え……えぇ、まぁ、お答えできることだけでよろしければ」
ラゾールニクがどんな偽名を使うかわからないので、クルィーロは呼称までは言わない。
瀞屋の店長も魔法文明圏のマナーを守り、本人以外から呼称を聞き出そうとしなかった。
「あ、それと全然関係ないんですけど、王都っていつもこんな早く落葉するんですか?」
「グロム市の方はまだ全然なのに、この辺早いなって二人で言ってたんです」
レノが聞くと、クルィーロは端末で調べた観光客向けの黄葉情報を元に、見て来たかのような嘘で話を合わせた。
「ここらは昔から、何年か置きに早い年があるんですよ。都民は誰も気にしませんが、観光客の方々にはがっかりされますね」
「えっ? 王都だけなんですか?」
「フナリス群島全体じゃなくて?」
「私は滅多に他所の島へ行きませんものですから、他所の黄葉は新聞でしか知らないのです。プラヴィーク山脈の方は、紅糖楓で山が真っ赤になるそうですよ」
「へぇー……そっちの方、秋は行ったコトなくて知りませんでした」
レノは、ドーシチ市で過ごした日々とあの屋敷のアーモンドを思い出した。
まだ二年も経たないのに、みんなと満開の大木を見たのが遠い昔のようだ。
瀞屋の店長は、何度も礼を言って二人を店の外まで送り出した。
二人は緑青飴の老舗から充分離れ、小声を交わす。
「地元の人は慣れちゃって、理由とか特に考えないもんなんだな」
「そんな当たり前になるくらい昔から足りてないってコトだよな」
レノはコートのポケットの中で【魔力の水晶】を詰めた小袋を握った。
湖の女神パニセア・ユニ・フローラを崇める人々は普段、ラキュス湖に直接祈りを捧げ、家族に何か祝い事か困り事でもない限り、神殿に足を運ばない。
「もっとしょっちゅう、神殿へお参りするように呼掛けた方がいいと思うんだけどなぁ」
「昔からずっとそうだし、今の混雑考えたら、これ以上人を呼ぶのって難しくないか?」
「そこなんだよなぁ」
レノには名案が浮かばない。
陸の民の若者二人は神殿へ向かう道すがら、どうすれば湖水の減少を食い止められるか考えた。




