1271.疲弊した薬師
「アマナちゃん、ありがとう。今日はもう遅いから、続きは明日でいいよ」
「じゃあ、この分だけ終わったら」
アマナの前には、薬包紙の束と、熱冷ましの粉薬が山盛りにされた大皿がある。
マスク越しに答える声は明らかに眠そうで、小学生の彼女が起きているには遅い時間だ。
「睡眠不足はよくないから、ねっ?」
「でも、私が寝たら、その分、アウェッラーナさんが寝られないし、お昼に作ったら村の人に薬師だってバレちゃうし、私はお昼寝できるけど、アウェッラーナさんはお昼も忙しいし、一回分ずつ包むのくらい私でもできるから」
「後は私がやっとくから、アマナちゃんはおじさんについててあげて」
「ん? ……うん。じゃあ、ピナ姉ちゃん、お願いします」
ピナティフィダが引受けると、アマナは素直に保健室の隣の教室へ行った。
「ありがとう。でも、なるべく早く寝て下さいね」
「学校はお休みですし、他にお手伝いできるコトありませんから」
中学生のピナティフィダは、薬匙で粉薬を量る手を止めず、マスクの下で笑う。
アマナたちの父は数日前、麻疹の主症状が消え、みんなが暮らすトラックに戻れたが、風邪を引いて「入院」生活に逆戻りした。
ウイルスによって免疫の記憶を削除された身は、以前なら感染しても発症しないようなありふれた病気に罹りやすく、しかも重症化しやすい。
クルィーロとアマナの父パドールリクも、よくある風邪で寝込んでしまった。健康な頃なら、あたたかくして滋養のあるものを食べてゆっくり寝るだけで済む病気でも、薬の助けがなければ大変なことになってしまう。
少し前から、村唯一の小中一貫校の保健室には、新規の患者が来なくなった。この村と近隣の村々では、感染が一巡したらしい。
代わりに風邪や溶連菌感染症などが増え、昼の待合室は再び満員だ。
麻疹の発疹痕が残る患者たちは、一人一人症状が異なる。一口に「風邪」と言っても、原因となる菌やウイルス、それらが引き起こす症状や重症度も様々だ。
よく似た別の病気との鑑別と、患者の体格や重症度に応じて薬の量を加減しなければならず、外科領域の【青き片翼】学派の呪医セプテントリオーには【見診】による診察も手伝ってもらえなくなった。
今は「アウェッラーナが、呪医に【見診】の呪文を教えてもらった」設定でプロの薬師であることを誤魔化す。
薬師アウェッラーナが保健室で診察して薬を処方し、呪医セプテントリオーと元気な仲間は、空き教室にベッドを並べた病室で薬を飲ませるなど、患者の世話を分担する。
レノ店長と村の有志が麦粥などを炊き、一日数回に分けて食べさせるのを手伝ってくれるが、次から次へと入院患者が入れ替わってキリがなかった。
ソルニャーク隊長は、退院後もどうにか無事だが、少年兵モーフは、カーラムの家へ元気になった姿を見せに行って風邪を引き、パドールリクの隣のベッドに戻った。メドヴェージはカンカンに怒ったが、甲斐甲斐しく世話をする。
「ラーナ、すまんな。このくらいしか手伝ってやれんで」
兄が、乳鉢ですり潰した地虫の干物を皿に移して眉を下げた。
「兄さんも早く寝た方がいいわ。兄さんが獲ってくれたお魚で、タンパク質とかの栄養、凄く助けてもらってるし」
「アビエースさんも疲れてますよね? すり潰すのくらい私もできますから」
「お嬢ちゃんこそ、呪文以外何でもかんでも引受けてると、その内倒れてしまうよ。手分けしてやればすぐ済むから」
兄とピナティフィダは譲り合い、結局、元の作業に戻った。
……私に抗生物質や科学の抗菌剤が扱えれば、みんなにこんな大変な作業してもらわなくて済むのに。
アウェッラーナは主に【思考する梟】学派を修めた「魔法使いの医療者」だ。
ネモラリス共和国では魔法と科学で免許が分けられ、科学の薬剤師免許を持たない彼女には、科学の処方薬を扱えないばかりか、個人では購入もできない。
アガート病院に居た頃は、感染症の流行で人手不足になった時、外来の応援に出た。【白き片翼】学派の呪医や、科学の内科医と一緒に診察して処方箋を書き、調剤室で待機する後輩に魔法薬を用意してもらった。
病院でなら、薬師アウェッラーナでも、製薬会社に科学の処方薬を発注する責任者として署名できるにも拘らず、個人で買えば違法になるのがもどかしい。
……科学のお薬も色々だから、ちゃんと薬学部で勉強しなきゃ危ないのはわかるけど。
なんとも中途半端な制度だ。
平和な時は何とも思わなかったが、今は疲れた神経を逆撫でされた。
気持ちを切替えて術に集中する。地虫の粉を【操水】で掬い上げ、水中で薬効成分を抽出する。
「静かなる地の霊性を受け継ぎし小さき者よ
その身の内の地の力 ここに広めよ
ゆるやかに熱鎮め 火の余り 平らかなりて常ならむ」
死骸の粉が混じる水から、薬だけをピナティフィダの前に置いた大皿に排出し、残りはバケツに移した。今夜、何度目になるかわからない作業ですっかり疲れ切ってしまったが、【魔力の水晶】を握って次に備える。
兄がバケツの水を【操水】で浮かせ、虫の粉をゴミ箱に捨てる。水を一旦沸かし、急速冷却して別のバケツに移すと、乳鉢の作業に戻った。
ピナティフィダは、薬匙で一回分ずつ量って薬包紙で包む。
……明日、また素材の買出しに行ってもらわないと。
あんなにあった薬は、もう在庫が心許なかった。
☆村の人に薬師だってバレちゃう……「1031.足りない物資」「1063.思考の切替え」「1093.不安への備え」参照
☆アガート病院……「0006.上がる火の手」「0007.陸の民の後輩」参照




