1267.伝わったこと
ロークとスキーヌムは、言葉を交わすことなく、夕飯時で賑う地下街チェルノクニージニクの通路を宿へ向かう。
呪符屋のおつかいであちこち行って地下街の道順をかなり覚え、付近の店の者にも顔を知ってもらった。ここに来た当初よりずっと危険性は下がったが、スキーヌムは店の用事以外では単独行動をしない。
神学校に居た頃は、同級生と出掛けることなくずっと一人で過ごしたようだが、どうして金魚のフンになってしまったのか。
ロークは、通信設備の連続爆破や魔獣の出現でアーテル本土へ渡れないのが、気詰まりになってきた。
「あ、あの、ロークさん、怒ってますか?」
「えっ? 何がですか?」
「あ、いえ……何でもありません」
ロークは苛立ちを飲み込んで、定宿の部屋に入った。
ラジオを点け、書き物机に向かって新聞とレポート用紙を広げる。要点をまとめた束は、これで三冊目だ。
市況ニュースを聞きながら新聞を開いた。中の面には、新聞社などに直接投函された怪文書の全文が、活字化されて載る。
……これ、ホントに通信会社の公式発表?
まだ、真偽の程は不明だが、ホンモノだとすれば、アーテル共和国は見限られたことになる。少なくとも、魔哮砲戦争が終わるまで、復旧作業には着手しない宣言に読めた。
電柱などは復旧工事が進み、停電は大部分の地区で解消された。
だが、屋上にはまだ多種多様な魔獣が居座って技師が立ち入れず、基地局の復旧は遅々として進まない。ビルを丸ごと爆破された交換局は、地元業者だけでは難しいらしく、ようやく瓦礫の撤去が始まったばかりだ。
国会議員らは、野党を中心にポデレス大統領や与党のアーテル党、逓信省などの責任を声高に論う。
星光新聞アーテル版は、社説でも「危機管理を業者任せにせず、国策で行うべきだった」と現政権を強く批判する論調だ。
……この方が読者受けよさそうだもんな。
論説委員が、野党や対立候補から袖の下を握らされた可能性も考えられるが、証拠も何もないので、深く考えるのはやめて読み進めた。
大統領選挙が予定通りに進めば、十一月には二回目の予備選を行い、候補者は三人にまで絞り込まれる。
「番組の途中ですが、速報をお伝えします」
アナウンサーが、農産物の市場価格の読み上げを中断して口調を改めた。
ロークはペンを止めてラジオを見た。カセットテープの残量は充分ある。
「先程入りました情報によりますと、首都ルフスの逓信省庁舎に最新型の可搬型衛星通信システム一式が、搬入されました。繰り返します――」
「えっ? もう復旧するのか?」
思わず疑問がこぼれた。
「送信情報速度は三十二キロバイトから二メガバイト、受信情報速度は三十二キロバイトから八メガバイトです」
仕様の数値を聞いても、ロークには速いのか遅いのかわからない。
それでも、レポート用紙の余白に走り書きするのは忘れなかった。
バルバツム連邦などに救援要請を出されては厄介だが、ロークにはどうにもできない。同じニュースを繰り返す声が右から左に抜けた。
翌日、運び屋フィアールカが呪符屋に来た。
店長にもらった新聞、ロークが要点をまとめたレポート用紙、ラジオのニュースを録音したカセットテープ、クラウストラから預かった報告書を渡す。
「お疲れ様。いつもありがとうね。アーテル政府が新しい可搬型の衛星通信システムを手に入れたみたいよ」
ロークは力なく頷いた。
「真っ先に怪文書のコト調べたと思うけど、今朝のラジオで続報は?」
「いえ、特に何も。昨日の夜は、新しい衛星通信システムを手に入れたって速報がありましたけど」
「まぁ、通信会社に見捨てられましたーなんて発表したら、国民が動揺してどうなるかわかんないものね」
「えっ? じゃあ新聞に載ってたのって、ホンモノなんですか?」
ロークは昨日の朝刊をカウンターに広げた。
緑の目が丸くなる。
「あら、載ったのね。検閲でダメかと思ってたわ」
「イタズラってコトにすれば、何とかなりそうだから載せたのかな?」
「ネットが繋がらなくて検閲が遅れたか、隙を突いて載せちゃったのかもよ?」
フィアールカが面白そうに唇を歪める。
「これ撒いたの同志だし、企業団地の件でアーテルとバルバツムを行き来する会社の人とか、ラニスタに行く用のある人は、とっくに知ってるコトだけどね」
「そうだったんですか? ……まぁ、外国に行く用のある人は、いつ復旧するか気になって見ますよね。業者のサイト」
フィアールカが、ロークの淹れた紅茶を啜る。スキーヌムはお使いを頼まれて留守だ。
「話は変わるけど、ワクチン代の資金稼ぎ、クラウドファンディングでするコトになったから」
ラクエウス議員がイーニー大使を通じ、ルニフェラ共和国駐在のザミルザーニィ大使に依頼した。
同志がネミュス解放軍経由で首都クレーヴェルの製薬会社に打診し、総合商社パルンビナ株式会社が輸入代行して原材料を出荷する。
資金の都合で製薬会社の仕入れが少ない場合は、募金で費用を賄った上で完成品のワクチンを輸入し、ネミュス解放軍リャビーナ支部に引き渡す手筈だと言う。
「募金の窓口は、ザミルザーニィ大使がクリューチ神官に名前を貸りて開設してくれたわ」
「大使自身じゃダメなんですか?」
「色々難しいことがあるのよ。……で、これ、募金を呼掛ける動画」
向けられた端末の画面では、針子のアミエーラがどこかの木陰に立って、ネモラリス共和国の窮状を切々と訴える。
「戦争でお薬もワクチンも足りなくて、大変なことになっています。平和な時なら何てことない病気なのに……」
久し振りに聞く声に懐かしさがこみ上げた。
「アーテル軍の空襲は、病院と薬局、お医者さんと看護師さん、薬師さんと薬剤師さん、保健師さんと助産師さん、お薬とワクチン、それを作る製薬工場も、ネモラリスのみんなから奪いました」
画面が焼け跡の写真に変わり、竪琴の音色を背に次々と景色が切替わる。
発疹で赤い斑模様になった細い腕の画像が大写しになった。次の瞬間には、焼け落ちた病院の看板が表示され、続いて大人や乳幼児の患部写真が何枚も流れる。
「空襲は、炎で街や村を焼払っただけでは済みませんでした。
戦う力も守る力もない人たちは今、病気でも命を奪われています」
ネモラリスの現状を訴えるスライドショーにアミエーラの声が重なり、聞く者の胸を打つ。竪琴が奏でるのは「すべて ひとしい ひとつの花」の主旋律だ。
「開戦から二年近く経って、今のネモラリスには、ワクチン不足で接種できない子供たちが大勢居ます」
言い終えると同時に曲が終わり、再びアミエーラが映る。彼女の見詰める先に寄付サイトのURLが表示されて終わった。




