0013.星の道義勇軍
「クソッ! 化け物どもがッ!」
罵る声に続いて、銃声と爆発音が半壊の病院に響く。
聖なる星の道の腕章を巻いた義勇兵は、診察室の隅に追い詰められていた。その数、僅か八人。目の前に分厚い水の壁が、灰と瓦礫を飲んで迫る。
水壁の向こうには人影。
この病院唯一の呪医と、彼に【涙】を手渡す男の姿が、濁った水越しにぼんやり見える。
ゼルノー市立中央市民病院を埋め尽くした夥しい死体は、全く残っていない。
灰で濁った水壁は厚みを増し、撃ってもその向こうの術者まで弾が届かない。手榴弾を投げても、生き物のように蠢く水が爆風を包み、威力を殺された。
対魔法使いの切り札【消魔符】は、沿岸部で治安部隊との戦いに於いて使い果たした。力なき民にも使える呪符は、この作戦で特別に用意されたものだった。
診察室の窓に目をやる。
泥棒避けの鉄格子が嵌っていた。
濁った水壁は瓦礫を含むだけでなく、激しく流れていた。壁の中で瓦礫が木の葉のように翻弄される。
水壁の向こうの人影は、片翼の蛇の首飾りを提げた呪医と、自ら「葬儀屋」と名乗った男だ。
この大量の水は、水道水ではない。
呪医が死体から抜いた水分の塊だ。
湖の民が力ある言葉で命ずると、死体は一瞬でミイラ化した。葬儀屋がそれをその場で火葬する。死体は束の間、青白い炎に包まれ、骨も残さず灰になった。
葬儀屋が灰の山を漁る。
魔力の結晶【魔道士の涙】を拾っているのだ。
死体の灰が水を濁らせる。
葬儀屋は同胞の【涙】を呪医に渡し、呪医は死者の魔力で死体から水を抜き、星の道義勇兵を追い詰める。
水の濁りは死の濁り。
病院の診察室で医者に溺死させられるのか、水中の瓦礫で撲殺されるのか。魔力を持たない陸の民は、湖の民の魔力を前に、絶望した。
もう自動小銃の弾は撃ち尽くし、予備のカートリッジもない。
手榴弾も、最後の一個が水に飲まれた。
「仲間の死体まで利用する外道が!」
「化け物め……! 地獄に堕ちろ!」
果たして、水壁の向こうまで声が届くのか。
届いたところで、力なき民の呪詛の言葉は、ただの罵声でしかない。
魔力を持ち、「力ある言葉」を操る魔法使いたちに刃向うこと自体が、無謀だったと思い知らされた。
星の道義勇軍は、魔法使いを中心とするネモラリス共和国政府の圧政に立ち向かう為、立ち上がった。
密輸した武器と僅かな【消魔符】を集めるだけで精一杯。軍服すらない。義勇兵は目印として、粗末な普段着の肩に「聖なる星の道」の腕章を巻いただけだ。
魔法から身を守る手段は何もない。
夜は、山と湖から魔物がやって来る。
魔法を使えない自治区民では、魔法使いと魔物を同時には相手にできない。平和ボケした魔法使いだけが相手なら、昼の奇襲で充分な筈だった。
湖の民は、同胞の死すら、自らの力に変えた。
魔法使いのこの行いは、魔力を貪る魔物とどう違うのか。
「爺さんの言った通りだ。人でなしめ!」
少年兵モーフが吐き捨て、足下のファイルを拾った。
……俺たちには、魔力みたいな穢れた力はない。でも、無力なんかじゃねぇ! それを証明してみせる!
分厚いファイルを灰色の水壁に投げつける。水飛沫すら上がらず、泥にめり込むように飲まれた。
少年兵モーフの目に涙が滲む。
半世紀の内乱後、ネーニア島北部とネモラリス島の力なき民は、リストヴァー自治区に強制移住させられた。
モーフの祖父母も両親もそうだ。
陸の民の内、魔力を持つ者と多神教のフラクシヌス教徒は、移住者の対象から外された。
移住を回避する為、力なき民を導く聖者キルクルスの教えを捨て、土着の神に改宗する裏切り者が多数現れた。
信仰を捨てなかった力なき民は、小さな自治区に押し込められ、この三十年、ネモラリス共和国政府に「自力で復興せよ」と捨て置かれた。
運送業の男から、自治区外の復興は機械と魔法を両方使い、十年足らずで成ったと聞いたことがある。
今日、初めて自治区から出たモーフは、その話が真実だったと確信した。
リストヴァー自治区は、和平成立から三十年経った今も、バラックが建ち並び、上下水道の整備すら済んでいない地区もある。
少年兵となったモーフは今回の作戦で、トラックから火焔瓶を投げた。
……俺たちは、無力なんかじゃねぇ。
少年兵は、肩で涙を拭った。聖なる星の道の腕章を巻いた腕は、まだ細い。
魔力を持たないことと信仰を理由に「力なき民」などと見下される謂れはない。
キルクルス・ラクテウスは、三界の魔物が滅びた後に始まる「魔力のない世界」を智で導く偉大な聖人だ。
そもそも、世界を滅ぼしかけた三界の魔物を作り出したのは、魔法使いだ。
邪悪な魔法使いに「力なき聖者」などとバカにされる謂れはない。
自分たちに惨めな生活を押しつける魔法使いに思い知らせる為、湖の民の街を再び灰に変える為、少年兵モーフは火傷も厭わず、何本も火焔瓶を投げた。
星の道義勇軍は、沿岸部を概ね火の海に変え、逃げる住人を追ってゼルノーの市街地を駆け上がり、ここまで来たのだ。




