1256.必要な嘘情報
「でも、今はアーテル領全体のネットが遮断されてますから、頑張って生き延びて下さいね」
「えっ?」
レフレクシオ司祭が、驚いた顔でクラウストラと同行者を見詰める。
「えっ……って、新聞やテレビで毎日、ニュースに出てますし、街の人もいつ復旧するかとか、通信途絶の話題で持ちきりなんですけど」
「いえ、全く、何も……全て取り上げられて、教会外部のことは何も教えてもらえないのです」
司祭が肩を落とす。
クラウストラは不審に思って聞いた。
「代わりの端末、お渡ししましたよね?」
「それが、充電器を紛失……と申しましょうか、恐らく、内部の誰かが回収したようで、見当たらないのです」
その翌日には充電が切れた。室内を隈なく探したがみつからない。
端末本体は、肌身離さず持ち歩く為、手出しできなかったようだ。
レフレクシオ司祭が談話室や食堂など、自室以外の場所に置き忘れたフリで大勢に聞いて回り、世話と監視を兼任する見習い司祭も一緒に探したが、発見には至らなかった。
代わりの充電器を買いに行かせてもらえず、「端末本体を失くしたのだから不要だ」と、誰一人としてお使いを引受けてくれない。
……予備の端末に気付いたんじゃなきゃ、わざわざ充電器を隠さないよな。
ロークは思ったが、話の腰を折らず、続きを待った。
クラウストラは、なるべく軽い調子で聞いた。
「それって、いじめじゃないんですか?」
「どうでしょうね。大聖堂に報告されては困ることがあるようですね」
レフレクシオ司祭は弱々しく笑い、コートのポケットからタブレット端末を取り出した。
「無駄に接続料をお支払いいただくのは大変心苦しいので、こちらはお返し致します」
同行者が受取って言う。
「一旦預かって充電し、ここしばらくのニュースも入れて返そう」
「よろしいのですか?」
「教会の者が『この端末は使い物にならん』と思い込んだ。好都合だ」
大聖堂から来たレフレクシオ司祭は、バンクシア共和国人だ。
湖南語の簡単な会話は少しわかるようになったが、まだ新聞レベルの読み書きまではできない。
星光新聞の共通語版はPDF化したファイル、湖南経済新聞など湖南語の記事は共通語訳したテキストファイルで渡すと決め、司祭館の宿舎に送り届けた。
司祭とは直接顔を合わせず、就寝中に【跳躍】で侵入し、コートのポケットに充電済みの端末を入れると取り決めを交わした。
毎日ではなく、曜日や時間帯がバラバラになるように調整するのは、万一の待ち伏せへの備えだ。
「司祭はトップ画面にテキストファイルを置いて、ルフス光跡教会内部の動きを伝えてくれる」
「でも、その感じ、レフレクシオ司祭は“お客様”扱いだから、ホントのコト教えてもらえなさそうですよね?」
ロークは、手つかずで冷めきった紅茶をカウンターの内側に下げて言った。
「それを踏まえた上で、同志たちが調査した他の情報と突き合わせ、矛盾点を洗い出して真実を濾し取るのが、腕の見せ所だ」
「あ、そっか。アーテルの教団が、大聖堂の司祭にどんな嘘を吐く必要があるのかってコト自体が、必要な情報なんですね?」
「そう言うコトだ。大分わかってきたようだな」
ロークに向けられた笑顔は、ソルニャーク隊長が少年兵モーフを褒めた時の微笑みを思い出させた。
……モーフ君たち、元気にしてるかな?
ランテルナ島もアーテル本土と同様、湖底ケーブルの切断で電脳空間から切り離された。
タブレット端末があっても、ファーキルたち、外国に居る仲間と連絡を取れなくなったのが痛い。
「フィアールカさんから伝言を頼まれた」
「来週、来られなくなったんですか?」
「彼女ではなく、移動放送局の者たちが、当分、来られなくなった」
「えっ?」
一体、どう言うことなのか。
何故、それをフィアールカ経由でクラウストラが伝えるのか。
ロークは掌がじっとり汗ばみ、質問の言葉が出て来なかった。
「カーメンシク市で麻疹の流行が発生し、移動放送局が滞在する村にも届いた」
「みんなは無事なんですか?」
「薬師が魔法薬を調合して服用させ、少なくとも後遺症の心配はないそうだ」
クラウストラは、ロークの震える声に淡々と答える。
「えっ? それって誰か発病したってコトですよね? 大丈夫なんですか?」
「お茶でも飲んで落ち着いてくれないか?」
ロークは呪符屋のカウンターに両手をついて、ゆっくりと深呼吸した。
……アウェッラーナさんがついてるから、大丈夫だ。
湖の民の薬師は、流行の拡大に備えてあちこちから素材を調達し、地下街チェルノクニージニクの宿に来ては調合作業をした。
姿は中学生にしか見えないが、薬師アウェラーナは、半世紀の内乱中に生まれた長命人種だ。魔哮砲戦争の開戦前までは、アガート病院に勤務するプロの薬師で、非常時にも強い。
……だから、大丈夫だ。
「それ……誰が……」
誰が感染したのか。知れば、不安になるだろう。
知っても、ランテルナ島に居る力なき民の身では、何もできない。
ロークは拳を握った。
「誰がフィアールカさんに伝えたんですか?」
「クルィーロ君だ。王都へ薬素材の調達に行き、フィアールカさんやファーキル君にメールで伝えた。ここはネットが繋がらなくなった為、私が伝言を頼まれた」
「そう……だったんですか。ありがとうございます」
ロークは内心、大丈夫だと何度も自らに言い聞かせ、どうにか礼の言葉を絞り出した。
「朗報もある」
ルニフェラ共和国に駐在するザミルザーニィ大使が、現地の製薬会社からワクチン輸出の了承を取りつけたのだ。
ラクエウス議員は、アミトスチグマ王国駐在のイーニー大使を通じ、ワクチンの一部をリストヴァー自治区へ回すようネモラリス臨時政府に要請した。
トポリ空港までは、ザミルザーニィ大使が自ら運搬に付添い、自治区への輸送を見届けると約束してくれたと言う。
「自治区への割当ての一部は、クブルム街道の山小屋に置き、ネミュス解放軍が回収する」
「えっ?」
「カーメンシク市やミャータ市は、政府より解放軍の勢力が強い。彼らが科学の医師を動員して、接種を実施する」
「足りるんですか?」
「この一回では不十分だが、何もないよりはマシだ。それに、罹患しても命が助かれば、免疫を獲得できる」
「二度と罹らなくなる……んですよね?」
「今は、薬師の力を信じるしかあるまい」
ロークは、言葉もなく頷いた。




