1251.感染者を隔離
クルィーロは【魔力の水晶】を片手で七個握り、もう一方をレノと繋いで【跳躍】を唱えた。
軽い浮遊感に続いて、黄昏の景色が変わる。
すっかり見慣れた農村の門にアマナとエランティスの姿があった。
「お兄ちゃあぁあぁんッ!」
アマナが泣きながら飛び出して、クルィーロに飛びつく。エランティスもすぐ追い付いて、レノの服を引っ張った。
「どうしたんだ?」
「お父さんが……お父さんが……」
「おじさん、移っちゃったの」
「えぇッ?」
エランティスが今にも泣きそうな声で答え、アマナは泣き崩れてしまった。
「ティス、おじさん、今、どんな感じだ?」
「念の為にって保健室の隣の教室で寝てる」
エランティスは、レノの荷物をひとつ持って歩きながら答える。
レノは空いた手でクルィーロの分をひとつ引受け、更に聞いた。
「熱は? 薬は?」
「熱はないんだけど、お昼ごはんの時に咳してんのアウェッラーナさんが気が付いて、今はお薬飲んで寝てる」
「そうなんだ」
レノが呆けた声で返事をしてこちらを向く。
クルィーロは、アマナの手を引いて二人に並び、ひとまず移動放送局プラエテルミッサのトラックに急いだ。
ソルニャーク隊長たち大人の姿はない。
ピナティフィダが夕飯の支度をし、モーフが手伝う。
「ただいま」
クルィーロとレノが同時に声を掛けると、俯いて鍋を見詰めるピナティフィダが顔を上げた。何か言おうとしたが、唇が震えただけで声はない。
モーフはピナティフィダを見て、クルィーロと泣き止まないアマナを見て、硬い表情で頷いてみせると食器の準備を再開した。
木製トレイに一人分だけ置くのは、クルィーロたちの父の分だろう。
「えっと、お薬、飲ませてもらえたんだって? だったらもう大丈夫だよ。きっとアウェッラーナさんが治してくれるって」
クルィーロは荷物を置き、アマナを抱き締めて言ったが、妹は声を押し殺して兄の胸に顔を埋めた。
明るく言ったつもりの声が震え、次の言葉がみつからない。
「ピナ、他のみんなはどうしたんだ?」
「アウェッラーナさんと呪医、ジョールチさん、レーフさん、アゴーニさんは保健室」
レノが聞くと、指折り数えながらしっかりとした声で答える。
「アビエースさんは村の人たちと一緒に魚獲りに行ってくれて、隊長さんとメドヴェージさんは畑のお手伝い。もうすぐ帰っ……あ、来た」
村の中央広場に大きな麻袋を抱えた一団が見えた。小麦を入れる袋から魚の尻尾らしきものが飛び出して、一袋を二人掛かりで運ぶ。
十数人居る内の一人が、トラックに手を振った。
老漁師アビエースだ。今日は大漁だったらしい。
モーフが手を振り返して駆けてゆく。
……モーフ君は元気そうだな。
小学校の途中までは、父親が存命だったらしい。
きっとその頃に予防接種を受けられたのだろう。
少し安心したが、潜伏期間を考えると、父と同年代のソルニャーク隊長が心配になった。メールにあったラクエウス議員の説明では、二人より少し若いメドヴェージも、予防接種を受けられたかどうか微妙なところだ。
「父さんは大丈夫だよ。アウェッラーナさんのお薬、いつもすっごくよく効くだろ?」
クルィーロが軽く背を叩いてやると、アマナは袖で涙を拭って顔を上げた。何か言いたそうだが、再び涙が溢れ、ハンカチで顔を覆う。
「えっと、ホラ、誰だっけ? 最初に診てもらった人」
「カーラムの父ちゃんのコトか?」
モーフがアビエースと二人で、魚がぎっしり詰まった麻袋を荷台に上げながら言う。クルィーロは笑顔で会釈して続けた。
「カーラム君のお父さんは、もうお薬飲まなくていいくらい元気になったろ。だから、俺たちの父さんだって大丈夫だよ」
「……うん」
アマナは、ハンカチで目頭を押さえたまま深く頷いた。
老漁師アビエースが、遠慮がちに声を掛ける。
「うん、それで、熱が出る前に滋養のあるものをたんと食べてもらおうと思って獲って来たんだよ」
「あ……ありがとうございます」
心遣いに声が詰まった。
……俺まで泣いたら、アマナが不安になるだろ!
自分を叱咤し、笑顔を繕う。
老漁師アビエースとピナティフィダが手際よく魚を捌いた。内臓と身に分け、今夜食べきれない分は水抜きして塩蔵する。
ラキュス湖の魚は内臓に銅を貯めた個体が多く、陸の民は決してワタを食べないが、湖の民にとってワタ煮は栄養満点のご馳走だ。
クルィーロも、捌き終えた分の水抜きを手伝う。
アマナとエランティスも涙を拭い、ビニール袋に魚と塩を入れて馴染ませる作業に取り掛かった。
魚のハラワタと、身のスープが別々の鍋で煮える頃、他のみんなも帰って来た。
ソルニャーク隊長とメドヴェージは、畑仕事の疲れは見えるが、咳やくしゃみはしておらず、元気そうだ。
「あの、アウェッラーナさん、父さんは……」
「大丈夫ですよ。一度だけ予防接種を受けたことがあるみたいで、重症化する可能性は低いと思いますよ。でも、他の人に移るといけないんで、念の為に学校で泊まってもらって……」
「父さん一人でですか?」
「いえ、今夜から私も保健室に泊まりますから、心配要りませんよ」
クルィーロたちを安心させようとする笑顔の弱さが痛々しい。
「父さんには俺がついてますんで、アウェッラーナさんはゆっくり寝て下さい」
「でもよ、足伸ばせる分、ここより保健室のがよくねぇか?」
葬儀屋アゴーニの言うのも尤もだ。
「私とお兄ちゃん、二人で看ます」
「えっと……じゃあ、何かあったら遠慮しないで起こして下さいね」
アマナの宣言に薬師は反対しなかった。
……止めたら、心配で心配で寝らんなくなって、トラックでずーっと起きてるだろうからな。
「あ、そうだ。呪医、ファーキル君からメッセージ来てました」
端末の電源を入れ、保存したメールを見せる。
呪医セプテントリオーの顔から表情が消え、目だけで頷いた。
☆小学校の途中までは、父親が存命……「0053.初めてのこと」「1057.体育と家庭科」参照
☆メールにあったラクエウス議員の説明/ファーキル君からメッセージ……「1247.絶望的接種率」参照
☆父と同年代のソルニャーク隊長が心配……「1202.無防備な大人」参照




