1250.ネットの風評
王都ラクリマリスの港には、去年と同じ活気が満ちる。
船着場の案内板で、まだ難民輸送船が運行中だとわかってホッとした。
クルィーロがタブレット端末で案内板を撮るのを幼馴染は不思議そうに見る。
「そんなの撮ってどうするんだ?」
「噂の件も合わせて、ファーキル君たちに送っとこうと思って」
「ふーん」
レノは、単に聞いてみたかっただけらしく、反応が薄かった。
何枚もある定期便の時刻表と、臨時便の入港予定表を全部撮り、神殿前から渡し船に乗る。
商店街の素材屋では、魔法薬の素材を大量購入しても、何も言われなかった。何軒も回って頼まれ物を全て買い揃え、ひとつ肩の荷が下りたところでレノが言う。
「アウェッラーナさんたちに緑青飴、買ってかないか?」
「あ、それいいな」
専門店に入ると、若い女性店員に押し出された。
「ウチは湖の民専用なんです!」
「知ってます。湖の民のお土産に欲しいんです」
クルィーロが足を踏ん張ると、若い女性は手を離した。
「本当に?」
「勿論です」
「俺たちが自分で食べるワケないじゃないですか」
店員の緑の瞳が、クルィーロの青い瞳とレノの大地の色をした瞳を覗き込む。
……何だこの店?
緑髪の店員は通りを見回すと、店の隅に二人を引っ張り込み、口許に手を添えて囁いた。
「少し前から、陸の民が緑青飴で自殺するのが流行ってるそうなんですよ」
「えっ?」
「でも、こんなのじゃすぐ死ねないって言うか、どうしてですか?」
レノが言葉を失い、クルィーロは次々湧いて出る疑問を口にした。
カウンター下のガラスケースには、様々な形や味付けの緑青飴が並ぶ。
奥の棚でも、可愛い袋やキレイな箱に入った商品が出番を待つが、茶髪のレノと金髪のクルィーロ以外に客の姿はなかった。
「地元じゃ全然、新聞にも載らないんですけど、観光客の人がSNSって言うので話題になってるって教えて下さって」
「SNS? 俺は初めて聞きましたけど? ……ちょっと待って下さいね」
クルィーロは、ファーキルと運び屋フィアールカ、ラゾールニクにメールで質問を送った。
返事を待つ間、もう少し聞いてみる。
「どんな話題になってるんです?」
「私も店長さんもそう言うの持ってないんで、直接は知らないんですけど……」
店員が、緑青飴と同じ色の瞳で宙を見詰め、観光客から聞き出した話を語る。
クルィーロは、インターネットに疎い彼女の話を頭の中で翻訳しながら聞いた。
数カ月前、一人の若者が動画共有サイトで自殺の実況動画をライブ配信した。
撮影場所は不明だが、湖東語でキルクルス教社会への不満をぶちまけながら、緑青飴を食べた。
赤毛の青年の傍らには、「緑青飴何個で死ぬか自殺実況」と、共通語で大書したスケッチブックが立て掛けてあった。
部屋にはこの店の包装紙が散乱していたらしい。
SNSでは今も「毒入りの飴を売った」などと流言が飛び交うらしく、客がぱったり来なくなった。
レノが呆れ混じりに憤る。
「は? 毒入り? 何言ってんだ? 俺たちに毒なの常識じゃないか」
「何で湖の民まで来なくなったんです?」
店員が項垂れ、緑色の髪が頬に掛かる。
「わかりません。どんな噂か確められ……」
クルィーロの端末が震え、店員が続きを飲み込んだ。
ラゾールニクからだ。
〈湖東地方のキルクルス教徒の間で、三カ月くらい前から話題になってるね。
ユアキャスト社は元のライブ配信とその録画をすぐに削除した。
でも、SNSにはコピー動画が出回ってる。
元の動画タイトルが共通語だから、共通語圏にも飛び火した。
それで、自殺願望がある若いコの間で真似するのが流行ってる。
今も、週に一回は似たような投稿があるね。すぐ消されるけど。
陸の民が地元で買うと目立つから、観光地で大量購入するんだ。
自分で食べたり、転売したり。
売れなくなった理由は、色々あるな。
まず、口コミサイトに湖東語で酷いコト書かれたから。
それと、ジゴペタルムとかでニュースにもなった。
あっちの税関で陸の民から緑青飴を没収するようになったってのもあるかな〉
末尾にはURLが並ぶ。
ニュースサイトの個別記事四本と、口コミサイト三箇所のこの店の項目だ。
リンクを踏んでみたが、全て湖東語で、クルィーロにはひとつも読めなかった。
取り急ぎ、お礼だけ返信し、店員にラゾールニクからのメールを見せる。
彼女は目を見開き、瞬きもせず一息に読んだ。
「このニュース、今でも読めるんですか?」
「見られましたけど、全部湖東語なん……」
「私、読めます! 湖東語検定一級です!」
クルィーロはブラウザに切替え、店員に画面を向けた。
読み進めるにつれて、人の好さそうな顔が険しくなる。
クルィーロは頃合いを見計らい、黙ってページを切替えた。レノも湖東語は全くわからず、店員の眉間の皺が深くなってゆくのをオロオロ見守るしかない。
「ありがとうございます。この、口コミサイトとか言うのも、拝見させていただいて宜しいでしょうか」
怒りを抑えた丁寧な物言いが却って怖い。
クルィーロは迫力に圧倒されて端末を向けた。店員のこめかみに青筋が浮き、可愛らしい顔立ちが食人鬼の如き形相に変わる。
何を書かれたのか、聞くのが怖い。
「恐れ入ります。見出しとサイト名を控えさせていただいて宜しいでしょうか」
「どうぞどうぞ」
ドスの利いた声に震え声で応えてメールに戻す。
彼女は店名入りエプロンのポケットからメモ帳を出し、凄い勢いで書き留めた。
「少々お待ち下さい」
店員が店の奥に姿を消した途端、二人同時に溜め息が漏れた。
「どうする? 今の内に帰る?」
「別に、俺らが悪いコトしたんじゃないのに」
レノに止められ、クルィーロは渋々待った。
若い店員が、初老の湖の民を伴って戻る。
「詳しく教えて下さって有難うございます。これで、商工会に対応してもらう手掛かりができました。こちらは些少でございますが、よろしければお持ち下さい」
店長の名札を付けた男性が、大きな紙袋を差し出した。この店で一番高価な缶入りの緑青飴詰合わせだ。
「いいんですか?」
「はい。あなた方は、これを悪用なんてしませんよね?」
店員が先程とは打って変わって、可愛らしく小首を傾げる。
「お世話になってる湖の民の薬師さんたちに渡すんで、悪用なんて……」
「恐れ入ります」
「被害に遭ってるの、ウチだけじゃないんですよ」
「私共もそろそろ、端末を買わねばならないと痛感いたしました」
店長と店員に何度も礼を言われ、二人は一袋ずつ受取って店を出た。




