1246.伝わった流行
村で最初の患者が出て、十日が経った。
「じゃ、袋詰め終わりました。確認お願いします」
クルィーロは、カルテと共に仕切り付きの小箱を薬師アウェッラーナに渡した。
アマナたちが段ボールで拵えてくれた小箱は、丸薬を入れた小袋を最大七袋、立てて置ける。これが幾つもあるお陰で、袋詰めと確認の作業がしやすくなり、他の患者の分と混じる心配もなくなった。
薬師アウェッラーナは、呪医セプテントリオーが指示を出すフリをしたカルテを見て、丸薬の組合せが間違いないか確認を始めた。実際に診断を確定させ、投薬の指示を書くのは彼女だ。
彼の専門は外科の【青き片翼】学派で、病気のことはよくわからない。
薬師の【思考する梟】学派を修めたアウェッラーナが、俄か仕込みで麻疹の診断方法だけを教え、カルテには患者の情報と【見診】で診た症状、体温計で調べた体温だけを書いてもらう。
クルィーロたち、力ある民の仲間は手伝いにすっかり慣れた。受付や会計、一回に飲む薬をアウェッラーナの指示通り組合わせて小袋に詰めるなど、テキパキ動けるようになった。
待合室として使う空き教室には、空家から運び込んだ長椅子などが並ぶ。そのすべてが激しい咳やくしゃみをする患者や、高熱で朦朧とする病人で埋まる。
付添いたちは不安を押し殺し、立って患者の背をさすって待った。
保健室と待合室の隣には、空家のベッドを入れて病室にした。こちらはまだ「入院」する程の重症患者は居ない。
カーメンシク市に住む先生たちは、市当局が実施した通行制限で出勤不能だ。小中一貫校はやむを得ず、臨時休校になった。
授業再開がいつになるか全く読めないが、村の子供らは家族の看病や、家事と農作業の手伝いで忙しく、勉強どころではない。
アマナたち力なき民の仲間はトラックに籠り、丸薬を一回分ずつ入れる小袋を作る。薬包紙を折って糊付けするが、作っても作ってもすぐなくなった。
……まさか、こんなに広まるなんてな。
患者はこの村の住人だけでなく、近隣の村々からも来た。
半世紀の内乱後に生まれた若い村人は全員、ワクチン接種済みだとわかったが、それでも、三十代後半以上の大人たちと、二回目の接種がまだの幼児を中心に患者は多い。
一回でも接種した分、子供の方がマシに見えたが、薬師アウェッラーナの話によると、重症度に関係なく発生する後遺症が極稀にあるらしく、油断できなかった。
それでも今は、合併症や後遺症を防ぐ魔法薬がある。
確実に投薬できれば、死亡率を下げられると聞いて心強かった。
保健室で飲ませるのは、その魔法薬だけだ。混ぜ合わせてすぐ飲まないと、変質してしまうからだと言う。
年齢や体格に応じて量を加減する為、アウェッラーナは人一倍忙しく、薬師の証である【思考する梟】学派の徽章を隠しても責任重大だ。
……こんな手際よくちゃ、プロの薬師だってバレるんじゃないか?
クルィーロは気が気でないが、まさか手抜きしろとも言えず、村人に気付かれそうになった時の言い訳を考えながら、黙々と手を動かした。
「ゴミ袋、そろそろ持って行きましょうか?」
「お願いします」
クルィーロは、呪医セプテントリオーの傍らからゴミ袋を拾って、今のところ誰も居ない病室に運んだ。
患者が使った紙コップや洟をかんだティッシュなどは、後で医療廃棄物として葬儀屋アゴーニが焼却処分する。
物体としては軽いが、その存在の重みに気が引き締まった。
ついでに待合室の分も回収する。
「やっぱり、街からはお医者さん、寄越してくれないのね」
「それはそうでしょう。あっちの方が先に流行って人数も多いし、大変なんですから」
「ここは移動放送局の呪医が居る分、恵まれてますよ」
付添いたちが小声で交わす言葉が、患者の咳やくしゃみで、途切れ途切れに聞こえる。
事前に知識を広めたお陰で、発疹が出るまで放置して来る者はなかった。
アウェッラーナが作る「後遺症を防ぐ魔法薬」は、発疹が出てからでは遅いのだと、きちんと伝わったらしい。それでも、高熱が出るまで来ないのはどう言うことなのか。
クルィーロには、患者の個別の事情まではわからない。聞くヒマもなかった。
「出稼ぎから戻ったら、こっちもこんなでびっくりしましたよ」
「どこ行ってたんでしたっけ?」
中年女性が、年配の男性に聞く。
「トポリで防壁再構築の仕事があるって、ラジオで話してたでしょう」
「トポリに土地勘あったのね?」
「えっ? たったあれだけの話で行ったんですか?」
先に質問した女性と、父親の付き添いで来た若者が驚く。
「後でジョールチさんに詳しく伺って、一日二日の短期の募集もあったって聞いたから、カーメンシクの知り合いに頼んで送ってもらったんですよ」
「でも、何もこんな畑が忙しい時に行かなくても」
「カーメンシクじゃ、売り惜しみされるでしょう。それで買出しを兼ねて」
他の付添いたちが、何となく納得して黙る。
クルィーロは、待合室のあちこちに置いたゴミ箱代わりの段ボール箱から、いっぱいになった袋を外し、新しい袋を被せながら続きを待った。
「給金は雀の涙でしたがね。カーメンシクでは手に入らない物が、少し買えただけでも、よかったのですが……」
「勿体ぶらないで下さいよ」
若者が出稼ぎ帰りのおじさんを急かす。
「カーメンシクで麻疹が出たと噂が広まって、大騒ぎでしたよ」
待合室の目が、出稼ぎ帰りに集まった。“あんたが広めたんじゃなかろうな”と言いたげな疑念の棘がある。高熱で項垂れる者たちまで、顔を上げて視線を注いだ。
「噂の出所は船員さんらしいですよ」
「あっちでは流行ってないの?」
「話が伝わったんなら、お医者さんを寄越してくれればいいのに」
「トポリで麻疹が流行っていると言う話は聞きませんでしたが、空襲でやられた向こうの方が大変でしょう」
「だから、ミャータ市の神官が呼ばれたんでしょうに」
……こんな遠いのに大騒ぎ? ……あ、鉄鋼?
カーメンシク市は、ウーガリ山脈の鉄鉱石や石炭を使う鉱業や重工業が盛んだ。
麻疹の流行で操業が止まれば、復興用の資材が足りなくなる。
……ワクチンがあれば、流行を止められるのになぁ。
クルィーロは集めたゴミ袋を急いで運び、保健室に戻った。
☆カーメンシク市に住む先生たちは、市当局が実施した通行制限で出勤不能/臨時休校……「1053.この村の世間」「1242.蓄えた備えで」「1245.緊急事態対応」参照
☆薬師の証である【思考する梟】学派の徽章を隠して……「1063.思考の切替え」参照
☆トポリで防壁再構築の仕事があるって、ラジオで話してた……「1210.村での生放送」、放送の中身「1175.役所の掲示板」参照
☆カーメンシクじゃ、売り惜しみされる……西隣の村など「1058.ワクチン不足」「1047.乾電池がない」「1048.力なき民の夏」、この村「1050.販売拒否の害」参照
☆ミャータ市の神官が呼ばれた……「1050.販売拒否の害」参照
☆カーメンシク市は、ウーガリ山脈の鉄鉱石や石炭を使う鉱業や重工業が盛ん……「1039.カーメンシク」参照




