1244.責任に怯える
「家族は私と妻、高校生の娘と中学生の息子の四人です。以前はもっと親戚が居たんですけど、疫病が出る度に村全体からごっそり人が減って……」
患者の夫が震える声で語り、軽く咳込んで中断した。
娘が父の背をさすって続ける。
「父は毎朝、日の出すぐから収穫して、私と一緒にカーメンシク市に【跳躍】して、八百屋さんに出荷します。私はそのまま市内の高校に登校して、父は村に戻って畑仕事の続きをします」
「わかりました。お母さんと弟さんはいかがですか?」
呪医セプテントリオーが促すと、農家の娘は高熱に苦しむ母の寝顔を見詰めて答えた。
「母は朝ごはんの支度や洗濯をして、畑が凄く忙しい時期はそっちも行きます。弟は朝ごはんの後片付けをしてから登校して、帰ってから畑を少し手伝います」
……カーメンシク市からの持ち込みか。
潜伏期間を考えると、市内は既に保健所が流行警報を発令した可能性が高い。
「最後にカーメンシク市に行ったのは、いつですか?」
「三日前です」
それには患者の夫が答えた。彼自身も時折、洟を啜る。
軽症なのは、一度だけワクチンを接種したことがあるからだろう。
「一昨日は八百屋が定休日で、私も熱がありましたので、行ってません。昨日から妻の具合が悪くなったので、娘に学校を休んでもらって、私もなるべく家に居るようにしています。店への伝言は、乾物屋と付き合いのある人に頼みました」
「伝言をお願いした人の呼称と住所を教えていただけますか?」
「あの、やっぱり、市内で風邪引いてる人が多かったから俺た……」
再び咳込んで中断したが、彼の懸念はよくわかった。
「カーメンシク市内での流行が先でしょう。潜伏期間を考えると、残念ながら、村も既に……」
「ウチが、最初なんですか?」
娘が蒼白な顔で聞く。
葬儀屋アゴーニが、患者の夫に確認した。
「あんたらの他にも、街へ行く奴は何人も居るんだろ?」
「えぇまぁ、売り惜しみされて行かなくなった人も居ますが、付き合いのある店の仲介で手に入る物もありますので」
「あんたらせいじゃねぇし、誰のせいでもねぇ。嫁さんにワザと移したワケじゃねぇだろ?」
「しかし、それでも責任を……」
「病気がわかった今から治るまで、なるべく出歩かなきゃいい」
葬儀屋は農夫に皆まで言わせず、両肩を軽く叩いて励ました。
何か言おうとした農夫の声が、咳で消える。
薬師アウェッラーナはその間も、夫のベッドでせっせと丸薬を組合わせて袋詰めする。
二人分の用意を整え、患者の脇に挿しこんだ体温計を抜いた。
呪医に差し出されたものを横から読み取り、娘が息を呑んだ。
……いつの間に……?
呪医セプテントリオーは、薬師アウェッラーナが体温計を使ってくれたことに全く気付かなかった。
現在の体温は三十八度五分。
「あ、あの、呪医、このくらいで意識不明って、母は大丈夫なんですか?」
「恐らく、鼻と喉の症状で寝付けなくて睡眠不足だったからでしょう。治療を受けられるとわかって安心して、気が緩んだせいだと思いますよ」
呪医セプテントリオーは、安心させる為の笑顔を繕って答え、薬師アウェッラーナと視線を交わす。
解熱剤の薬包紙と説明書を受け取った。
説明を読み上げて娘に渡し、【操水】でコップ一杯分だけ水を起ち上げる。水に解熱剤の粉を溶き、気管に入れぬよう慎重に患者の胃に流しこんだ。
「お薬は、一人分ずつ調整しています。お母さんのお薬はお母さん専用。お父さんの分はお父さん専用です。他の人には飲ませないで下さい」
父娘が神妙な顔で頷く。
「一回分の丸薬を一袋にまとめてあります。熱が下がって目が覚めたら、なるべく栄養のあるものを食べさせて、一袋全部、食後に飲ませて下さい」
「喉が痛いからって、昨日からあんまり食べてないんですけど……」
娘が泣きそうな顔で呪医を見る。
「どうしても食べられないようでしたら、食事一回分の代わりに緑青飴三粒でも結構です。一度にそれ以上食べても銅を吸収しきれませんから、それ以上欲しがるようでしたら、麦粥など喉越しのいい物を少し食べさせてあげて下さい」
頷いた娘の目に力が戻る。
湖の民にとって、銅は健康を維持する為に必要不可欠な物だ。
毎日、陸の民が中毒死する程の量を摂取しなければ、抵抗力が落ちる。
薬師アウェッラーナが、コップに栄養剤と二種類の粉薬を混ぜた液を注ぎ、患者の夫に差し出す。
説明は、白衣を着た呪医セプテントリオーがすると打合せ済みだ。
「肺炎などを防ぐお薬です」
「私も……飲むんですか?」
「後で重症化する可能性がゼロではありません。また、非常に稀ですが、重症度に関係なく、忘れた頃に後遺症が出る場合があります。予防の為に、是非」
農夫が意を決して、何とも言えない匂いを放つ液を一気飲みする。
味に顔を顰め、手の甲で口許を拭って恐る恐る聞いた。
「あの、ところで私たちは何の病気なんでしょう?」
「麻疹です」
カップが手を離れたが、葬儀屋アゴーニが既の所で受け止め、事なきを得た。
村にウイルスを持ち込んだ感染源たちは、蒼白な顔で恐怖を吐露した。
「ウチのせいで、村のみんなに何かあったら……!」
「いや、それより、家に火を」
「そんなことはさせません」
呪医セプテントリオーは、震え上がる父娘に皆まで言わせず、続けた。
「放送の日に配った説明書を思い出して下さい」
父娘がハッとして顔を見合わせる。
「お子さんは、お二人ともワクチン接種を二回、済ませましたか?」
「その辺は妻に任せきりで……」
「小さい頃だったので、何の注射だったか憶えてないんですけど、予防接種は何回も受けましたよ」
「患者さんの世話をしても発症していないなら、接種済みの可能性が高いです。体調に変化があれば、すぐに知らせて下さい」
三日後にまた来ると伝え、三人は患者宅を出て村長宅へ向かった。
☆家に火を放たれる心配……「1090.行くなの理由」参照
☆放送の日に配った説明書……「1211.懸念を伝える」「1212.動揺を鎮める」参照




