1243.流れて来た病
この村で最初の患者が確認されたのは、一週間前だ。
三十代後半の女性が、酷い風邪の症状で学校の保健室を訪れた。
「私が修めたのは【青き片翼】学派なので、病気を治せるかわかりませんが」
「診るだけ診ていただけませんか? 病名がわかれば、置き薬でどうに……」
後半が、激しい咳で言葉にならない。
泣き腫らしたような目で言われ、呪医セプテントリオーは患者の手を取って【白き片翼】学派の【見診】を使った。
「ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者
白き翼を水に乗せ 明かせ傷 知らせよ病
命の解れ 詳らか 綻び塞ぐ その為に」
片翼を持つ白蛇に力を借り、命の水脈に絡みつく暗い気配を辿る。
鼻と喉から始まった病は既に肺まで到り、全身に広がりつつあった。発熱の兆候もある。肺に絡む何かが、黒い炎のように感じられた。
……これは……!
薬師アウェッラーナに教えられた特徴を思い出し、ギョッとして患者の顔を見直す。充血で赤くなった目を細め、不安げに呪医を見詰め返した。
「眩しいですか?」
「えぇ、ちょ……」
言い掛けた言葉が激しい咳で中断した。
落ち着くのを待って、口の中を見せてもらう。赤く腫れ、見るからに痛そうだ。小さな白い発疹も少しあった。
「最近、どこか他所へ出掛けましたか?」
不覚にも声が震えてしまった。
患者は洟をかむのに忙しく、気付かなかったようだ。
「いえ。夫と娘は、出荷と学校でカーメンシクに行きますけど」
「ご家族のお加減はいかがですか? 軽くても風邪気味のようなことは?」
「夫が先に風邪引いてたんですよ。移された私の方が酷くって」
感染源に怒りをぶつける気力もないらしいが、言葉尻に腹立ちが滲む。
「お子さんは……」
「子供らは二人とも元気ですよ。上の子が高校を休んで家事をしてくれるから、こうして来られたんです」
「そうですか。後でお薬をお持ちしますから、ご夫婦はお家でお待ち下さい」
患者が困惑する。
「畑に出てるんですけど、今すぐ呼び戻すんですか?」
「えっ? 体調がよくないのに畑仕事をなさってるんですか?」
患者は一頻り咳込み、深呼吸を繰り返して息を整えて答えた。
「今は秋野菜の収穫やらなんやらで忙しいんですよ。付き合いのある八百屋さんに出荷もしなくちゃいけませんし、熱はもう下がったので、また明日から行く予定ですよ」
呪医は、夫の呼称と家の場所を聞いて患者を帰らせた。
待合室に使う空き教室を覗く。幸い、軽傷患者ばかりだ。
……しかし、この人たちも、もう……
「一時間くらいで戻ります」
声を掛けて、校庭に停まるトラックに駆け戻った。
移動放送局プラエテルミッサには、葬儀屋アゴーニとクルィーロ、パドールリクの姿がある。
子供たちは授業、レノ店長も家庭科の講師をしに学校へ行った。他の大人たちの予定がなんだったか、動転した頭が空転して記憶を引き出せない。
「あの、アウェッラーナさんは……」
「奥で薬の整理だ。どうした?」
アゴーニと金髪の父子が、息切れした呪医に不穏を読み取り、不安な顔を荷台奥の係員室へ向ける。
「麻疹かもしれません。疑いのある人が畑に出ました。呼び戻して下さい」
「わかった。俺が行こう。何て奴だ?」
葬儀屋アゴーニが、紙の報告書を置いて荷台を降りる。
呪医は患者の夫の呼称を告げ、荷台の奥へ駆け込んだ。
薬師アウェッラーナに保健室でのことを話すと、顔色を失った。多分、呪医自身もこんな顔だろう。
「……わかりました。すぐ用意します」
リュックに薬やカルテ用紙などを詰め、患者宅へ急いだ。
戸を叩くと若い娘が出た。
「あっ、呪医……と助手の方も、わざわざ有難うございます」
「あなたは、大丈夫なんですね?」
「はい。母の具合が悪いので学校を休んで看病とか家事とか、ちゃんとできてますよ」
「お疲れ様です。大変なのに頑張ってて凄いですね」
助手のフリをした薬師アウェッラーナが労うと、高校生の娘ははにかんだ。
発病に気付いてから今日までのことを聞きながら、足早に寝室へ向かった。
「お母さん、呪医来て下さったよ」
返事がない。
三人が枕辺に寄ると、患者は額に汗を滲ませて眠っていた。そっと触れた頬が熱い。小机の水差しは空だ。
「すみません、お水……飲み水を持って来てくれませんか?」
「はい、すぐお持ちします」
娘の足音が遠ざかるのを待って、薬師アウェッラーナが【見診】の呪文を囁き、患者の首筋に触れた。
呪医は廊下の物音に意識を半ば傾けて、内科系の診察経験が豊富な彼女の診断結果を待つ。
蒼白な顔がこちらを向いた。
遠くで足音が聞こえ、口の形だけで病名を告げる。
病気を診慣れた薬師の確定を受け、外科領域の呪医は、付焼き刃の診断が合っていた安堵と、これからの不安が感情を打消し合い、無表情で頷いた。
複数の足音が近付く。
アウェッラーナはリュックから出した水薬と粉薬を二種類、【操水】で混ぜ合わせ、荒い息を吐く患者の口に流し込んだ。
セプテントリオーは、クリュークウァ市のカピヨー宅から帰ってから何度も打ち合わせた内容を思い返した。
「呪医がわざわざ来て下さったって? 本当に有難うございます」
畑から呼び戻された夫が、白衣姿の呪医に恐縮する。薬師アウェッラーナが、手洗いを借りたいと娘に耳打ちして寝室を出た。
「あの、妻は何の病気なんですか? 今朝まで咳とくしゃみはしてましたけど、こんな苦しそうに寝込んでなかったんですけど」
「お二人に確認しておきたいことがあります」
呪医の改まった口調に父娘が背筋を伸ばす。
「ここ二週間以内で行った場所と、会った人を教えて下さい」
「それをお聞きになってどうなさるんです?」
患者の夫が、伏せって意識のない妻と外科が専門の【青き片翼】学派の術者を血走った目で交互に見る。
「感染経路を特定して、これ以上広がらないよう、村長さんたちに対策していただきます」
「家族はこの三人でみんなかい?」
娘がアゴーニの声で目を向け、身を竦ませた。葬儀屋の証【導く白蝶】の徽章に気付いたようだ。ぎこちない動きで父に顔を向け、視線で何事か交わす。
アウェッラーナが戻り、殆ど吐息で結びの言葉を囁いて患者の夫に触れた。いきなり手を握られ、ギョッとして同族の小娘を見る。
「あ、ご、ごめんなさい。アゴーニさんと間違えました」
アウェッラーナは慌てた風を装って離れ、葬儀屋の右袖を握った。
……袖……彼も麻疹か。
手洗いに立つフリで別室に行き、【見診】を唱えて戻ったのだ。
符牒は、薬師アウェッラーナが患者を診た次に触れた者の場所で決めた。左右どちらかの袖は麻疹、肩はその他の病、裾は命に別条あるその他の病だ。
呪医セプテントリオーは改めて、一家の直近の行動を聞いた。




