1238.異なる価値観
「キルクルス教の信仰以外の世界よ」
「えっ? キルクルス教の聖地なのに?」
アルキオーネの言葉にサロートカが目を丸くする。
「ネットの規制がないから、移動中に色々見たのよ」
「アーテルの世界ってすっごく狭かったんだなって」
エレクトラが画面に目を遣ると、タイゲタは地図サイトでどこかの航空写真を表示させた。かなり前、ファーキルに見せてもらったアーテルの航空写真より、建物の密度が高い。
表示を切替えると、視点が道路に降りた。普通の目の高さで見る街並は、二階建ての見たこともない建物が並ぶ通りで、黒髪の人々が行き交う。
タイゲタが隣席のファーキルに向き直って淡々と説明した。
「例えばここは、日之本帝国の古都。キルクルス教ともフラクシヌス教とも違う土着の神様を信仰してるわ」
「異教の街並?」
ファーキルの目が画面に向いた。
石畳の狭い道の両脇に木と土でできた家が並ぶ。不思議な形のタイルで覆われた屋根は、燻されたように鈍く光る灰色で、曇天下の漣を思わせた。どの建物も、見える範囲に呪文や呪印がない。
よく見ると、道行く人の服にも呪文や呪印がなかった。
「日之本帝国の一年分の殺人事件は、バルバツム連邦の一日分よりも少ないんですって」
「確か一億人くらい住んでるんだよね?」
アステローペが付け足すと、ファーキルとサロートカの驚きが重なった。
「そんな国ってこの世にあるんだ?」
「どうしてそんなに治安がいいの?」
「キミが使ってる端末を作った国よ」
アルキオーネが机上のタブレット端末を指差す。
「あッ……! そう言われてみれば、湖底ケーブルも……」
気付いたファーキルが、地図サイトの街並視点の画面と手許の端末を忙しなく見比べる。
アミエーラは、古めかしい街並と世界の最先端技術が頭の中で繋がらなかった。
「日之本帝国には、犯罪者を死刑にする法律があるの」
「科学文明国なのに?」
アルキオーネは、驚きが止まらないファーキルを面白がるように続ける。
「信仰が違うから、罪に許しを与える習慣がないのかもね」
「いや、あの、冤罪とかって」
「冤罪?」
アルキオーネに聞き返され、ファーキルはしどろもどろに説明した。
「魔法文明国だったら【明かし水鏡】とか【鵠しき燭台】……えっと、魔法の道具を使ったら、証言がホントかの確認や犯行の再現ができるけど、科学文明国ってそう言うのないから」
アルキオーネはあっさり言い返す。
「その辺どうだか知らないけど、最低でも、世俗の法律は、悪いコトした人を絶対に許さない決まりがあるのよ」
針子のアミエーラは感心した。
「アルキオーネちゃんって難しいコト知ってるのねぇ」
「そんなコトないわ。偶々よ。仕事でバンクシアやバルバツムに行った時、移動中ヒマだったから、あっちのニュースで見ただけ」
「あー……何か思い出した。確か、日之本帝国で死刑が執行されて、バルバツムの信者団体とかが抗議集会したってアレよね?」
タイゲタが、自信なさそうに言いながら検索した。
白い壁に打鍵の音が響いた数秒後、目当ての情報をみつけて次々とタブを開く。
最初のページはニュースサイトで、昨年の記事だ。開いたページの下に幾つも関連記事のリンクが並ぶ。
次はそれを基に議論する掲示板。別のひとつは死刑制度に反対する人権団体のサイト。最後のひとつは、バンクシア共和国の最高学府「精光ルテウス大学」に籍を置く法学者のサイトだ。
いずれも共通語で専門用語が飛び交い、集まった七人の語学力では半分もわからなかった。
「この機械翻訳じゃ、こんな感じのってちゃんと訳せないのね」
「それでもわかったコト、あるよ」
エレクトラがボヤくと、ファーキルが力強く言った。
「何が?」
「色んな考えの人が居るってコト」
当たり前の答えを返され、肩透かしを喰らう。
ファーキルは、女の子たちの微妙な顔をものともせずに続けた。
「それと、バンクシア共和国とバルバツム連邦には、アーテルにはないものがあるってわかったよ」
「今度は何?」
アルキオーネの声は明らかに興味をなくし、勿体ぶるなと言いたげな苛立ちが混じる。
「あれっ? みんな、ホントにわかんない?」
ファーキルは軽い驚きを含んだ目でみんなを見回した。
……何だろ?
アミエーラは、掲示板サイトの議論に再び目を通した。
何人参加したかわからないが、画面右端のスクロールバーはとても短い。この画面が縦方向に長く続くからだ。
表示された一画面分だけでも、スラングや綴り間違い、知らない単語が多い。
タイゲタは、文章を複写して翻訳サイトに掛けてくれたが、まともに訳せたのはスラングなどのない部分だけだ。
これなら自分で訳した方がよさそうな気したが、粗い翻訳でもないよりマシで、大意を踏まえた上で原文を再読すると、さっきよりわかる気がした。
……それにしても、色んな考えの人が居るのね。
個別の書込み末尾には、書込みへの賛否を投票する矢印の絵がある。
記事になったのは反対派の集会だが、この掲示板では賛成派が多いらしい。
死刑制度に賛成する書込みには、「同意」を示す上向き赤矢印の傍らに数百から数千の投票者数が並び、「否定」の下向き青矢印は数十から数百止まりだ。
同意を得られなかった書込みは、意見ではなく言葉遣いの荒さを拒否されたようで、似た内容の丁寧な口調の書込みは「否定」の数が少なかった。
死刑に反対する意見への賛否は、その逆だ。
言葉遣いがキレイでも、同意者は一桁か、多くても百前後。どうにか理解を得ようと言葉を尽くした長文投稿には、容赦なく反対意見が書込まれた。
死刑制度を支持する理由、廃止を望む理由は様々で、それぞれに納得できる部分がある。アミエーラは読めば読む程、どちらが正しいとも言えなくなった。
〈外国のことなんだから、この国の人に任せとけばいいのに〉
〈内政干渉だよな〉
〈人権を盾に取れば、何でも要求が通ると思うなよ〉
死刑制度の賛否ではなく、それを外国人が議論することの是非に切込む中立意見もあった。
……ファーキル君の言う通り、ホント、色んな考えの人が……ん?
改めて掲示板を見る。
書込みの日付は、三年前のものが並ぶ。
「わかった!」
「アミエーラちゃん、アーテルにないものって何?」
エレクトラが、アルキオーネを窺いながら囁きで聞く。
「いろんな意見を書込んでも、役所とかに消されてないの」
「えっ? ……あ、ホントだ」
「ファーキル君たち、選挙の時、すぐ消されちゃうからって、徹夜で頑張って保存してたもんね」
女の子たちが、画面に顔を寄せて頷き合い、ファーキルに目を向ける。
「匿名限定だとしても、色んな意見を言える……思想信条の自由があるんだ」
アーテル共和国は、歪んだキルクルス教信仰に基づく思想の闇で塗り込められ、それがなかった。




