1235.水を穢した者
レノは小学校から高校卒業まで、共通語の成績が芳しくなかった。
全体が共通語で書かれたサイトの中で、幾つか見覚えのある単語をみつけたが、それだけだ。家業のパン屋を継ぐ分には関係ないと思って、ロクに勉強しなかったのを軽く後悔する。
クルィーロは、画面をつついて何かの一覧を表示させた。
「これ、ラキュス地方企業団地合同委員会の参加企業一覧。有名な大企業もあるけど、全然知らないとこの方が多いな」
「三十四社も参加してるんだ?」
機械いじりが好きな幼馴染は、外国の科学雑誌を読む為に魔法の勉強そっちのけで共通語を勉強しまくった。
……世の中、何が、いつ、どう役に立つか、わかんないモンだな。
社名の横に色とりどりの企業ロゴが並ぶ。ひとつはレノにも見覚えがあった。
どこで見たのか記憶を手繰ろうとしたところへ、定食の皿が置かれた。焼魚に鮮緑のソースたっぷりだ。
「これ、違いますよ」
「あ、すみま……危なッ! 湖の民用でした。ホントすみません!」
アルバイトらしき青年は、何度も謝って緑髪の客が待つ卓へ持って行った。
湖の民用の料理は大抵、緑青たっぷりだ。陸の民が食べれば最悪の場合、銅中毒で命がなくなる。
「……思い出した」
「何を?」
思わず呟くと、クルィーロがタブレット端末を置いて聞いた。
「えっと、その表、上から三番目。何年か前に湖東地方のどっかの国で、湖を汚染したって訴えられたの、ここじゃなかった?」
国名や日付など、細かいことは忘れてしまったが、女神の涙ラキュス湖を穢された憤りは、そう簡単に忘れられるものではない。
クルィーロも思い出したらしく、こめかみをひくつかせた。
「あれか。ジゴペタルムの件。あっちで怒られたから、アーテルに引越してまた同じコトする気か?」
「お待たせしました。本日のオススメ森の定食です」
今度は本当に注文した料理が届き、話が中断した。
レノはどちらかと言えば、料理を作るのは好きな方で、みんなに「おいしい」と言われれば嬉しい。
それでも、時々は他の誰かが作ったものを食べるとホッとする。
きのこソースが掛かった川魚の揚げ団子を頬張ると、口の中ですり身がほろっと解けた。
……トラックじゃ、揚げ物できないんだよな。
大量の油を使うのは贅沢だ。
廃油の後始末が面倒なのもあるが、新鮮な植物油があれば、薬師アウェッラーナがどれだけ傷薬を作れるか、つい計算してしまう。
なるべく栄養が片寄らないよう気を配るが、野外調理では献立が限られる。
二人は言葉もなく、久し振りの揚げ物を夢中で食べた。
店を変え、食後のお茶をちびちび飲みながら、さっきの続きを話す。
王都のカフェは時間がゆったりと流れ、薄暗い情報を調べる二人は酷く場違いに思えて肩身が狭かった。
クルィーロが、タブレット端末で調べたことを掻い摘んで説明する。
「この会社、十五年くらい前にジゴペタルム共和国に支社を作って、首都のジゴンで色んな種類の電池を作ってたらしい」
「廃液を処理しないで、そのまんま垂れ流したんだよな」
「うん。新聞に載ってた魚の写真、気持ち悪かったよな」
「あぁ……」
二人が定食屋でこの話題を口にしなかった理由はこれだ。
廃液に汚染された水域で、目のない魚、骨の曲がった魚、頭がふたつもみっつもある魚、鰭があちこちから生えた魚、鱗が変形して棘状に尖った魚など、この世のものなのか新種の魔物なのか判然としない魚が獲れるようになった。
人々は気味悪がって口にしなかったが、鴉や野良猫が食べてしまった。すぐには死ななかったが、数カ月後、狂ったように暴れて死ぬ個体が出た。
翌年には畸形の鴉や野良猫が産まれ、人々は怪しんだ。
首都ジゴンの漁協や、湖の女神の信者団体などが調査した結果、湖水の汚染が原因だと判明。ジゴン漁協が代表で、原因企業を相手に損害賠償訴訟を起こした。
企業側は、廃液の放出は認めたものの「ジゴペタルム共和国には排水基準を定めた法律がない」ことを盾に賠償金や水質浄化に掛かる費用の支払いを拒んだ。
漁協側は、ラキュス湖畔の国々では、湖の女神パニセア・ユニ・フローラに対する信仰が、湖水を守る法律と同等の掟だと主張した。
一審では企業側が勝訴、二審は漁協側が勝訴し、司法判断が分かれた。
企業は上告し、現在もジゴペタルム最高裁で係争中だ。
思い出したのは、魚の写真で衝撃を受けたジゴペタルム事件だが、湖東地方では複数の外国企業が、地元の聖職者や漁業関係者に訴えられ、同様の裁判が続く。
「そりゃ、法律の理屈じゃ会社の言い分に筋が通ってんのかもしんないけどさ」
「法律の決まりがなけりゃ、何やってもいいなんて、あるワケないじゃないか」
クルィーロが茶器を置いて眉間に皺を寄せる。
「湖を汚さないなんて常識だろ」
現在は、神殿と信者団体の尽力で湖水の浄化は済んだが、それで怒りも消えるかと言うと、そんなことはない。
少なくとも、除染費用を踏み倒されたままでは、気が済まない者は多いだろう。
「あんな奴らがアーテルに来るかもしれないのか」
「アーテルはキルクルス教国だから、ジゴペタルムみたいな反対運動はないだろうな」
アーテルでは「女神への信仰心」と「湖水の利用」がほぼない。工業団地が稼働すれば、もっと酷いことになるだろう。
暗い予想に気持ちが沈む。
クルィーロが自分に言い聞かせるように言う。
「他の会社も、こんな屁理屈捏ねて汚して放置する奴とは限んないけど」
「どうだろうな」
レノは、このままずっとインターネットが繋がらなければ、バルバツム連邦の企業が進出を諦めるのではないかと思い、湖底ケーブルを切ったどこかの誰かをこっそり応援した。
☆ラキュス地方企業団地合同委員会……「1147.動き出す歯車」参照
☆機械いじりが好きな幼馴染は、外国の科学雑誌を読む為……「0041.安否不明の兄」参照
☆湖の民用の料理……「425.政治ニュース」「856.情報交換の席」「1084.変わらぬ場所」、免許が必要「389.発信機を発見」参照
☆何年か前に湖東地方のどっかの国で、湖を汚染したって訴えられた……「1161.公害対策問題」【後書き】下の【余談】も参照すると、更にわかりやすいです。
※ ネモラリス共和国の地元企業も公害訴訟を抱えるが、湖の女神の信者が多いので水質汚濁対策は万全……「1040.正答なき問い」参照
☆女神への信仰心……「619.心からの祈り」参照




