1232.白い闇の中で
珍しく、呪符屋のテーブル席が埋まった。
「これ三枚でそれ一枚くんねぇか?」
「五枚ですね」
「そこを何とか四枚で」
「五枚ですね」
男性六人が額を寄せ合い、卓上に手持ちの呪符を広げて交換会をする。
「だから、作業員守ンのに【真水の壁】とか【壁】系の奴、絶対要るって」
「そんなコト言っても、あいつら、呪符代は経費に入れねぇんだぞ?」
「そこまでしてやる義理あるか?」
スキーヌムが出したお茶を無造作に啜るが、誰からも苦情が出ない。今日は普通に淹れられたようだ。
ロークは、カウンターの後ろに並ぶ棚の小抽斗に呪符を補充しながら、背後の会話に耳を傾ける。
「でもよ、守りながら戦うんじゃ、俺らがヤベぇぞ?」
「そこが腕の見せどころでは?」
「まぁなぁ。お前が受けたの、どうよ?」
「駆除じゃねぇ。修理が済むまで作業員を守る、だ。お前ンとこは?」
「ウチも似たようなモンだ」
魔法の【鎧】を易々と着こなす彼らは、魔獣駆除業者だ。
「私の所は街区からの排除です。【道守り】を掛けて中をキレイにするだけですが、謳い手が来てくれなくて困ってるんですよ」
「どいつもこいつも、臆病風に吹かれやがって」
「まず、謳い手を守ってやんなきゃなんねぇのか」
魔獣駆除業者たちは面倒臭そうに話すが、ロークが補充を終えて振り向くと、顔はやけに活き活きとして、手許の呪符は互いの過不足を調整するべく、卓上で活発に行き交う。
「本土の方じゃ、今週ずっと霧が続いてるらしいな」
「あぁ、朝と夕方な」
「誰か【飛翔する燕】学派に知り合い居ねぇか?」
「どうするんです?」
「風で飛ばしてもらえんかと思ってな」
「できンのか?」
「聞いてみにゃわからん」
そんなことを言いながらも、手許の注文用紙を埋める手は止まらない。
「おい、兄ちゃん、こんだけ用意してくれや」
「はい。有難うございます」
ロークはカウンターを出て注文票を受け取った。六枚の半分をスキーヌムに渡し、注文者別で呪符を用意する。
スキーヌムは以前よりずっと手際が良かった。今回は、在庫がある商品ばかりだからかもしれない。
揃った分から客を呼び、会計をする。
支払われた【魔力の水晶】や宝石、魔獣由来の素材などを種類毎に上皿天秤に乗せ、間違いなくお釣りを渡す。
値切りも苦情もなく、客たちは慌ただしく店を出た。
入れ違いに来たのは黒髪の少女だ。
ふたつに分けて括った髪の結び目で、青い薔薇の髪飾りが可愛らしく揺れる。あどけなさの残る顔立ちは中学生くらいだろうか。
袋を抱えたスキーヌムが、場違いな少女に何とも言えない目を向けた。
「ロークさん、こんにちは~。フィアールカさんはまだ?」
「クラウストラさんでしたか……そろそろだと思うんですけど」
「そう。じゃ、代わりに聞いて、報告書渡してくれます?」
「勿論です」
ロークは遣り取りしながら、茶器を片付けて卓上を拭く。
スキーヌムは先客の交換品を奥へ運んだ。
「お、こんなに売れたのか。じゃ、ロークに店番任せて仕入れに行ってくれ」
ゲンティウス店長が二言三言付け足して、スキーヌムは大きな袋とメモを手に足早に店を出た。
元神学生が充分離れるのを待って、クラウストラがカウンター席に座る。ファスナー付きのトートバッグから、分厚い大判封筒を出してロークに手渡した。
「湖底ケーブルは、何者かが意図的に切断した。破断箇所の地図も入手した」
クラウストラは奥に聞こえないようにか、低い声で報告を始めた。
湖底ケーブルの切断は五地点。
首都ルフス沖、イグニカーンス沖、南北ヴィエートフィ大橋付近、そしてラニスタ共和国領のアーテルとの国境付近だ。いずれもアーテル共和国と保守会社以外には、あまり迷惑が掛からない。
絶妙な場所だ。
「攻撃は今朝十時二十分時点でも継続中。爆弾の使用を確認した」
「えっ? そんな危ない場所に?」
お茶を用意する手が止まった。
クラウストラが微かな笑みを唇に乗せて言う。
「心配してくれるのか?」
ロークは、ルフス光跡教会でのことを思い出し、赤くなって俯いた。力ある民で、戦いの心得もある彼女は、力なき民のロークなど足下にも及ばない程、強い。
……弱い癖に強い人を心配するなんて烏滸がましいじゃないか。
「安全な場所から【索敵】で見たから問題ない」
失礼なことをしてしまったと恥じ入るが、彼女の声に怒気はない。
顔を上げると、クラウストラは淡々と続けた。
「霧が深く、目標物にぴったり視線を寄せねばならんのが面倒だったがな」
「霧? アーテル本土ってそんなに多いんですか?」
三日前、爆発初日もそうだった。
「確かに今の時期は朝夕、湖岸を中心に発生しやすいが、伸ばした手の先も見えない程、濃い日は滅多にない」
「これも誰かが魔法で?」
「可能性はあるが、確認不能だ」
濃霧が作る白い闇の中で、ビルの屋上に姿を現した作業員風の男が、基地局の根元に手榴弾を置く。ピンを抜いた直後に男の姿が消え、数秒後に起きた爆発でアンテナが破壊された。
「それって【跳躍】ですよね?」
「視界が利く時間帯に基地局の位置を確認し、朝夕の霧に乗じて破壊工作を行う作戦だろう」
「毎日ですか?」
「そうだ。日を追う毎に被害が拡大し、死者数も雪だるま式。初日の爆発で瓦礫の下敷きになった者の救助もまだだ」
今頃は、魔獣の腹に収まって「要救助者」は一人も居ないだろう。
「魔獣の種類は様々だな。種類は一覧を入れてある」
クラウストラは分厚い封筒を指で小突いてお茶を啜った。
「魔法使いが本気を出せばこの通りだ。都市を爆撃で一方的に焼き払った程度では勝てぬことなど、半世紀の内乱で学習したと思ったが」
馬鹿な連中だと薄い嘲笑を置いて、黒髪の魔女は呪符屋を去った。




