1230.又とない好機
「世界からの孤立と言えば、大使閣下はアーテルの回線不調はご存知ですかな」
「いえ、恥ずかしながら初耳です。一体、いつ頃からですか?」
「一昨日の夕方です。アミトスチグマでは、まだ報道されておらんのですな」
湖南経済新聞は、その名の通りラキュス湖南地方の複数の国で発行され、本社はアミトスチグマ王国にある。
アーテル共和国の首都ルフスにも支局を置くが、キルクルス教を国教とし、基本的に魔法使いの入国を認めない為、派遣される支局員は力なき民の記者だけだ。インターネット回線が寸断された今、本社と連絡を取ることもままならない。
星光新聞アーテル支社も同様で、キルクルス教徒向けのこの新聞社は、もっと深刻な状況だろう。
ラクエウス議員は情報を反芻し、アミトスチグマ王国に駐在するネモラリス共和国大使イーニーに伝えた。
「アーテル共和国内の通信回線網が、何者かの手によって寸断されたのです」
「確かな筋からの情報ですか」
「信頼できる同志が複数、アーテル領に赴いて確認した情報です」
背広の内ポケットから小さく折り畳んだ号外を出し、低い応接机に広げる。
スークス通信衛星アンテナ基地爆破
特大フォントの下を活字びっしりが埋める。
イーニー大使は星光新聞の号外に見入った。
スークス通信衛星アンテナ基地は、首都ルフスの遙か南西、スクートゥム王国との国境付近に位置する。アーテル共和国唯一にして最大。静止衛星との間でデータを送受信するアンテナ基地だ。
この破壊によって、同国の静止衛星経由の回線は壊滅した。
周回衛星からの電波を捕捉する小型の移動体通信設備は、アーテル共和国内での運用台数が少ない上、大容量の送受信はできない。
周回衛星による通信は電話による音声通話が中心だが、衛星と直接通信できる電話機は世界的に数が少ない。回線速度が遅く、容量の小さい通信ですら若干の遅延が生じる為、一般の利用者から敬遠されるのだと言う。
「この端末では、衛星と直接交信できないのですね?」
「その方面に詳しい同志から、そのように説明されました。軍や役所の災害対応用などが中心で、一般人では、人里離れた山奥や砂漠などへ出掛ける用のある者の内、ほんの一部しか持たないそうです」
「何故です?」
「普段使いするには重くて嵩張る上に低速・低容量で、本体も高価だからです」
「成程。大容量の高速通信に慣れた身にはまどろっこしくて使えないのですね」
イーニー大使が自分もそうだと苦笑する。
「アーテル軍と政府が保有しているかどうか、同志が引き続き調査中です」
「現時点で周辺国に伝わらないことが、一台もない証拠ではありませんか?」
「バルバツム連邦などに助けを求めた場合、その限りではありませんよ」
大使が息を呑む。
「アミトスチグマ王国でも、今日の夕刊には載ります」
「何故、断言できるのですか?」
「通信衛星のアンテナ基地と交換局、中継局だけでなく、アーテル周辺の湖底ケーブルも複数個所で切断されたからです」
イーニー大使は声もなくラクエウス議員を見詰めた。
「通信設備の保守会社は、アーテルではなく、ガレアンドラ王国など周辺国にあります。魔道機船がなければ仕事になりませんからな」
「……そこから湖上封鎖圏内での活動許可申請で、ラクリマリス王国に伝わりますね」
「左様。ラクリマリス領内は昨夜の時点ではどこも無事。ラニスタ領はアーテルとの国境付近が途絶。アーテル領はランテルナ島も含め、全土で途絶しておる」
イーニー大使が沈黙する。地図を思い描いたのかもしれない。
ラクエウス議員は構わず報告を続けた。
「しかも、陸上では爆破地点を中心に多数の魔獣が目撃され、復旧どころではないそうです」
「何と……」
イーニー大使が喜色を帯びて瞳を輝かせる。ラクエウス議員が、すっかりぬるくなった紅茶で口を湿すと、大使は膝を進めた。
「これは又とない好機ですよ」
「好機?」
茶器を置いて問うと、大使は更に身を乗り出した。
「そうです。我が国はこれまで、アーテルにあることないこと好き放題言われっ放しでしたが、しばらくはそれが止むでしょう」
「その間に大使閣下が、アーテルと同じことをなさるのですかな?」
ラクエウス議員が顔を曇らせると、イーニー大使は首を横に振った。
「とんでもない。私は本当のことしか書きません。ネーニア島の惨状と難民キャンプの窮状を写真付きで、しっかり世界の人々の目に焼き付けます。アーテルの非道ぶりを嘘偽りや誇張を一切交えずに……です」
「他の大使たちに手伝ってもらってかね?」
「勿論です。ラクエウス先生、臨時政府が国民の代表ではないことは、先生が一番よくご存知でしょう」
キルクルス教徒の国会議員ラクエウスは、無言で首を縦に動かした。
魔哮砲の使用に反対して議員宿舎に軟禁された日々と、脱出時の血腥い混乱を思い出し、首を絞められたように息が詰まった。
「本国の対応など待てません。ワクチンの輸入再開の為、アーテルが世界にばら撒いて植え付けた我が国の悪印象を払拭する又とない好機なのです」
……そうか。嘘を見抜く魔法の道具があるから、偽情報をばら撒く危険性をキルクルス教国とは比べ物にならんくらい高く見積もるのか。
大使の「正直」の理由に思い当たったが、生憎、キルクルス教国にはそんな便利な道具はない。嘘も繰り返し伝えれば、少なくとも大衆には、本当だと信じ込ませることが可能なのだ。
「今回はこちらで動画の作成が間に合いませんでしたので、既存の動画へのリンクを貼らせていただきましたが、今後は真実を探す旅人さんにも拡散などでご協力いただきたいのです」
「わかりました。必ずお伝えしましょう」
キルクルス教国の一般人が、ネモラリスの郷土料理などの無邪気なお気楽情報ではなく、同じキルクルス教国である「アーテル共和国に対する否定的な情報」をどう受取るか。
ラクエウス議員は、イーニー大使のように楽観視できなかったが、後でファーキル少年たちと入念に練ると決め、この場はひとまず了承した。
☆アーテルの回線不調……「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照
☆アーテル共和国の首都ルフスにも支局を置く……「1044.歴史を見直す」参照
☆星光新聞……「261.身を守る魔法」、本社はバルバツム連邦「1107.伝わった事件」参照
☆アーテル共和国内の通信回線網が、何者かの手によって寸断された/湖底ケーブルも複数個所で切断……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」参照
☆通信設備の保守会社は、アーテルではなく、ガレアンドラ王国など周辺国にあります……「1215.目的の再確認」「1216.ケーブル地図」参照
☆魔哮砲の使用に反対して議員宿舎に軟禁……「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」「253.中庭の独奏会」「272.宿舎での活動」参照
☆脱出時の血腥い混乱……「277.深夜の脱出行」参照
☆ワクチンの輸入再開の為……「1195.外交官の連携」「1196.大使らの働き」参照
☆嘘を見抜く魔法の道具……「596.安否を確める」参照




