1229.名もなき肯定
ラクエウス議員は、ラキュス湖からの風が肌寒くなってきた道を急ぎ、アミトスチグマ王国のネモラリス大使館を訪れた。
携えた情報は、アーテル共和国の通信途絶だ。
イーニー大使は上機嫌で老議員を応接室に迎えた。お茶を用意した事務官を退がらせ、手ずから客を介助して着席を手伝う。
ラクエウス議員は、寒さで痛む膝を庇ってソファにそっと腰を降ろした。
「有難うございます。大使閣下に於かれましては、大変ご機嫌麗しいようで何よりです」
「わかりますか?」
向かいに浅く腰掛けた外交官は、笑みを広げてタブレット端末を向けた。
ファーキル少年に何度も見せてもらったSNSの画面だ。
「バルバツム連邦のスメールチ大使が転送して下さったのですが、共通語圏では、本当に我が国の存在そのものすらご存知ない方が多いのですね」
見せられた投稿は全て共通語で書かれたものだ。どれも簡単な言葉で綴られ、キルクルス教徒のラクエウス議員には、難なく読める。
外交官であるイーニーも無論、共通語の読み書き会話は堪能だ。
「ネモラリス大使館の写真付き投稿を引用して、好意的な感想を投稿して下さった方が、こんなに大勢いらっしゃるんですよ」
ラクエウス議員は、イーニー大使の弾んだ声を聞きながら、ネモラリス共和国の国連大使スメールチが、バルバツム連邦の事務所から転送した共通語の投稿に目を通した。
〈ごはんおいしそう〉
〈レシピありがとうございます。今度作ってみますね〉
〈のんびりスローライフな感じで何か癒されました~〉
〈森と湖のコントラスト! 超キレイ!〉
〈意外とフツーっぽい人ばっかなんだな〉
〈民族衣装カワイイ〉
どれもこれも何も考えていなさそうな一言感想ばかりだ。
笑顔を記号化したアイコンの傍らには、肯定した人数を示す数字が並び、投稿者によって数十から数百まで幅がある。
ネモラリス共和国の文化や習慣、風土などを肯定的に捉えた言葉にこれだけの人数が同意したと思うと、悪い気はしない。だが、世界全体――特に魔哮砲戦争に関してネモラリス共和国を「絶対悪」「人類の敵」と断じるキルクルス教徒の数と比べれば、この肯定はなきに等しいと言える程、少なかった。
「元の投稿も、フォロワーの人数以上に転載されました。転載したアカウントのフォロワーも見ますから、実際にこの投稿を目にした人数が、この数字の何倍、何百倍、何千倍になるかわかりません」
イーニー大使の指が画面を撫で、湖南語と続けて投稿された共通語の投稿を表示させた。どの投稿も、矢印が円を描くアイコンの隣に万単位の数字が並ぶ。全く同じ内容の湖南語の投稿は、多くても数百止まりだ。
「……頼もしい数字ですな」
取敢えず感想を述べたが、ファーキル少年の言によれば、この数字の中身は、何の力もない子供を含む一般人が大多数を占める。
影響力の大きい宗教団体、市民団体、芸能人やスポーツ選手など有名人のアカウントは慎重だ。
特に国家などの公的機関や大企業の公式アカウントなどは、魔哮砲戦争の渦中にある「疑惑の国家ネモラリス」の大使館が発した情報に反応すること自体が物議を醸し兼ねない。
「先日教えていただいた通り、動画のリンクを貼ってコメントを付けて投稿したのですが」
太い指が忙しなく動いて投稿を遡る。日付順に並ぶ画面が流れ、目当ての投稿でぴたりと止めた。
ラクエウス議員は、肯定と転載の桁を数えて老眼鏡を外した。目をこすって眼鏡を掛け直し、もう一度、数え直してイーニー大使の得意げな顔を見る。
「世界中の百万以上の人々が、我らネモラリス人の全てが悪ではないと理解して下さったのです」
イーニー大使は頬を上気させ、動画を紹介する投稿に対するコメントを開いた。
数百付いたコメントの大半は、短文の謝罪や励ましだ。中には字数制限を越えて連投する者も居た。
〈国際ニュースにはネモラリス側の情報がなく、アーテル視点の記事だけだ。
この不自然さに気付かなかったのか。
情報リテラシーの低い者が多過ぎる。
一方の言い分のみを鵜呑みにして他方の主張を無視してはいけない。
そんな当たり前のことを見落として断罪するとは言語道断だ。
常識的に考えれば、アーテルが声高に広める主張の矛盾に気付く筈だ。
全ネモラリス人は、悪しき業で三界の魔物の再来を目論む人類の敵。
そんなことが言い切れるのか。
軍事機密を知るネモラリス人が一体、何人居るのか。
少なくとも幼子はそんなことを知る筈がないだろう〉
ネモラリス擁護の連投に対する反論が好き放題展開される。
〈魔哮砲を使う政治家を選ぶ国民も同罪だ。ネモラリス人はクソ〉
〈動画でも魔法生物を兵器利用してるって認めてんじゃねぇか〉
〈三界の魔物の再来を招くことに違いねーし〉
〈悪しき業! 正に悪しき業! 全人類の敵!〉
〈長文うぜぇ〉
〈魔法使いなんか、どうせ全員ゴミだよ〉
〈魔女と魔法使いは全員火炙り。昔から決まってんだよ。ゴタゴタうるせぇ〉
イーニー大使の投稿と長文投稿者に対する反論には、更に大量の反論が付いた。見ず知らずのアカウントの群から全力で否定され、嘲りの表情を模した絵文字まで添えられて悪し様に罵られる。
〈そんなコトするって知ってたら投票しなかったんじゃないか?〉
〈動画の人たちもネモラリスの国会議員じゃん。馬鹿じゃねーの〉
〈キミ、この二人に投票したネモラリス人は無罪って庇ってんの?〉
〈もうちょいコトバ選ばないとちゃんと伝わんないよ。無能〉
〈ネモラリスにもキルクルス教徒が居るのに全員が悪しき業を使うって?〉
〈アーテルが焦土作戦で大量虐殺したの、正当化できると思ってんの?〉
〈どっちが人道に対する罪を犯してるかわかってる?〉
〈正義の味方気取りかよ〉
〈ネモラリスは防戦一方でアーテルの民間人は殺してねーじゃん〉
〈魔法使い、悪しき業使ってんのにやたら人道的で笑える〉
〈さてはお前、星の標だろ。流石テロリストさんは言うことが違いますね〉
共通語話者のすべてがキルクルス教徒ではない。
魔哮砲戦争は、遠い国の民に取っては他人事で、日々流れるニュースとして無関心に聞き流す者が大半だ。
世界の何割の人々が、中立の立場から魔哮砲戦争の行方を見守るだろう。
「キルクルス教徒すべてが、アーテルに与する訳ではないと信じたいものです」
イーニー大使がラクエウス議員に怪訝な顔を向ける。
老議員は更に言葉を重ねた。
「世界の何割の世論を味方につければ、この戦争を終結できるのでしょうな」
「それは……私にはわかり兼ねます。ただ、今の我々にできることは、我が国が世界で孤立せぬよう、人々に心を寄せてもらえるよう、魔哮砲戦争と世界の平和について考えてもらえるよう、正直に状況を伝えることだけです」
「同感です」
イーニー大使が、SNSの投稿で紹介した動画投稿サイト「ユアキャスト」のページを開く。
ラクエウス議員とアサコール党首が魔哮砲の件を告発した動画は、知らぬ間に再生数が一千万回を越えていた。




