1226.呪歌を教わる
夏休みが明けて、メーラの兄貴が退院した。
音楽の授業で久し振りにクラス全員が揃う。
「はい。では、今日から新しい呪歌を勉強します。教科書の二十三ページから二十八ページまでです」
音楽の先生はそう言ってピアノの前に座った。
ピナが音楽の教科書を開いて、モーフに心配そうな顔を向ける。
……呪歌……魔法の歌か。
まさか、ここで逃げ出すワケにはゆかない。
モーフが表情を変えずに頷いてみせると、ピナは困ったような弱々しい笑みと共に頷き返した。
二十三ページは呪歌の名前と説明だ。
「この呪歌【道守り】と【空の守り謳】は、分類としては結界術。一学期に少しお勉強した【歌う鷦鷯】学派の術のひとつです」
緑髪のみんなが頷く。
習わなかったのは、力なき陸の民のピナとモーフだけだ。
ピナの話によると、ゼルノー市の中学では、力ある民と力なき民で中学から実技の授業が別になり、力ある民は魔法を少し習うのだと言う。
魔法使いの工員クルィーロが中学生の頃は、魔力の有無に関係なくずっと一緒に勉強して、力ある民は近所の塾で個人的に魔法を習ったらしいが、それでは家計の教育費の負担が大き過ぎると苦情が多く、役所が教育方針を変えたらしい。
先生がピアノに背を向けて説明を続ける。
「この呪歌【空の守り謳】は【道守り】で囲んだ範囲内の雑妖を全て消し去る効果がありますが、これだけ謳っても効果がありません」
「スゲー……」
少年兵モーフは思わず呟いたが、他のみんなは反応が薄い。ピナも、もう知っているらしい。
「大変強力な術ですが、その分、魔力がたくさん必要です。【道守り】で囲んだ範囲が広ければ広い程、必要な魔力も多くなります」
「もし、足りなかったら……?」
「モーフ君、いい質問ですね」
音楽の先生はにっこり笑ってモーフを褒め、表情を改めてみんなに向き直った。
「魔力が足りなければ術の効果は不完全で、発生直後の薄い雑妖を少ししか消せません」
「効果がないワケじゃないんですね」
ピナが確認すると先生は頷いた。
「えぇ。一人一人の力は弱くても、みんなで力を合わせれば、雑妖をやっつけられます」
「でも、俺らは……」
モーフは項垂れた。
「力なき民も【魔力の水晶】を握って力ある民と手を繋いで一緒に謳えば、お手伝いできますよ」
「えっ?」
モーフだけでなく、ピナと湖の民の生徒たちも驚きを漏らした。
「この村には今まで力なき陸の民が住んでいなかったから、大人の人たちも知らないかもしれませんね」
村の子たちの緑の瞳が、ピナとモーフに集まった。
先生は二人にやさしい笑顔を向けて説明を続ける。
「力なき民の人たちも、作用力を補う【魔力の水晶】があれば、使える術は色々あるんですよ」
「えぇ、あの、毎日【炉】とか【灯】とか使ってますし、【癒しの風】もできますけど、そんな大掛かりな呪歌までできるなんて知りませんでした」
「俺は全然……」
注目を浴びてしどろもどろになるピナの隣で、モーフは小さくなった。
「でも、モーフ君って射撃の腕前スゴいんでしょ? 魔法使えなくても立派よ」
何故かスモークウァに励まされた。ふたつ括りにした緑髪が笑顔の横で揺れる。
唯一人の男子カーラムが、瞳を輝かせた。
「お父さんから聞いたんですけど、走ってる四眼狼に遠距離射撃で当てたって」
「あぁ、うん。当てたには当てたけど、全然効いてなかったぞ」
「だって魔獣だもの。強いよ」
「怖くなかった?」
スモークウァと三ツ編のフヴォーヤが同時に言ったところで、先生が手を二回叩いて割り込んだ。
「はいはい、お喋りは休み時間にしましょう。……残念ながら、力なき民だけでは呪歌を発動させられません」
「お手伝いはできるんですよね?」
先生とピナが話を授業に戻すと、村の子たちも先生に向き直った。
「そうです。湖の民や力ある陸の民でも同じです。一人でも【歌う鷦鷯】学派の術者が居なければ、単に謳っただけでは効果が発動しません」
「どうしてダメなんですか?」
「えっと……【青き片翼】学派の【癒しの風】は、私たちだけでもちゃんと怪我が治ったんですけど……」
カーラムの質問とピナの声が重なった。モーフも頷く。
「その呪歌は、声と魔力の届く範囲内に居るこの世の生き物を無差別に癒すものです。言い換えれば、対象を限定せず微調整の必要もないので、声に魔力を乗せるだけで正しく発動するのです」
急に先生の話が難しくなった。
……どう言うコトだ?
モーフだけでなく、地元の魔法使いたちも無言で次の言葉を待つ。
「歌う時に作用力を補う【魔力の水晶】を握っていれば、それだけで歌に魔力を乗せられます」
モーフは、便利そうだと思って頷いたが、自分で使いたいかどうかは別のハナシだ。
先生が六人を見回して続ける。
「でも、【道守り】は違います。歩いた道筋に魔力で視えない壁を建てて、魔物などの侵入を防ぎます。煉瓦で塀を建てる時を想像してみましょう」
……んなコト言われても、見たコトもやったコトもねぇのに。
モーフは困った。
リストヴァー自治区の東部バラック地帯は、トタンやコンクリートブロック、何かの廃材などで家を作る。星の道義勇軍の活動で空家の解体を手伝ったことならあるが、どのバラックにも塀なんてなかった。
湖岸に近い大工場を囲むのは、のっぺりしたコンクリート塀だ。どうやって作るのか想像もつかない。
先生はピアノの前から黒板に移動した。
「まず、塀を建てる範囲と高さを決めます。塀の幅と厚さに合わせて煉瓦を組んで、セメントなどを接着剤のように塗ってくっつけます」
チョークで描かれた図を見ると、何となくわかったような気がした。
「そうやって積み重ねて決められた高さを出しますが、【歌う鷦鷯】学派の術は、塀の範囲や高さを決めて煉瓦を積んでセメントを塗る役、お手伝いで謳う人たちは、その煉瓦を作って渡す役だと言えば、わかりやすいかしらね」
「あー……」
「何となくわかりました」
「じゃあ、囲む範囲が広いと魔力が足りなくなるのは、魔力の煉瓦が足りなくなるからなんですね」
カーラムが宙を見詰めてわかったような顔をし、メーラとスモークウァが同時に頷く。三ツ編のフヴォーヤが確信を籠めた声で聞くと、先生は大満足で肯定した。
モーフは、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニクを思い出した。あのごたごたした街は、通路の床も天井も壁もどこもかしこも煉瓦だらけだ。
……あれ全部一人でやれって言われたら、気ィ狂いそうだけど、大人数掻き集めりゃイケそうだな。
「それでは、呪文の意味を確認しましょう」
モーフが納得するのを待っていたかのように授業が先に進んだ。
☆メーラの兄貴が退院……「1201.喜びと心配事」「1205.医療者の不在」参照
☆力なき民も【魔力の水晶】を握って力ある民と手を繋いで一緒に謳えば……「0140.歌と舞の魔法」「928.呪歌に加わる」「929.慕われた人物」参照
☆【癒しの風】もできます……「741.双方の警戒心」参照
☆モーフ君って射撃の腕前スゴい……「1190.助太刀の準備」~「1194.祓魔の矢の力」参照
☆【青き片翼】学派の【癒しの風】/声と魔力の届く範囲内に居るこの世の生き物を無差別に癒す……「348.詩の募集開始」「872.流れを感じる」参照
☆星の道義勇軍の活動で、空家の解体を手伝った……「0046.人心が荒れる」参照
☆湖岸に近い大工場を囲むのは、のっぺりしたコンクリート塀……「406.工場の向こう」参照
☆ランテルナ島の地下街チェルノクニージニク……「174.島巡る地下街」「334.接続料の補充」「445.予期せぬ訪問」「493.地下街の食堂」参照




