1225.ラジオの情報
クルィーロが、薬師アウェッラーナの手伝いをするから、と宿に引き揚げる。
二人は取り残されたような気持ちで呪符屋のカウンターから彼の背を見送った。
ロークは自分の前に置かれた紅茶を一口啜った。
スキーヌムが長く抽出し過ぎた代物だ。クルィーロが【操水】で薄めて三等分してくれたが、渋みの強さに思わず顔を顰める。
クルィーロは、ぬるくなった紅茶を一気飲みして行った。店内では表情を変えなかったが、口直しに甘い物が欲しくなっただろう。
「美味しくありませんか?」
「自分の、飲んでみたら?」
スキーヌムは、恐る恐る茶器を口に運んで、肩を落とした。
「前みたいに飲めない程じゃないし、勿体ないから飲むけど、元々フィアールカさん一人分だったにしては茶葉が多いし、抽出時間も長過ぎだから、気を付けて」
「は、はい……」
スキーヌムは、淡い色の瞳を潤ませて自分の分を飲み干した。
この間、運び屋フィアールカに褒められたばかりだと言うのに少し他所事を考えただけですぐこれだ。
ロークはクルィーロに免じて苛立ちを抑え、息を止めて飲み干すと、三人分の茶器を洗い桶に移した。魔法の使えない二人にできるのはここまでだ。皿洗いすらできない身が歯痒い。
ロークは奥の作業部屋に顔を出した。
丁度、一枚でき上がったところで、ゲンティウス店長の太い指が複雑な呪印の描かれた羊皮紙を乾燥棚に置く。
「今日、本土に行けなくなったんですけど、ラジオで情報収集頼まれたんで、宿に戻っていいですか?」
「あぁ、今日は運び屋の手伝いする日だからな。いいか? 絶対、本土へ行くんじゃねぇぞ」
「了解です。お先に失礼します」
店番専業のスキーヌムをカウンターに置き去りにして、一人で呪符屋を出た。
地下街チェルノクニージニクをあちこち回ってみたが、売店も新聞屋も全部完売だ。売切れと見るや、自宅に配達された分を高値で売りに出す異業種の店主もポツポツ現れたが、明日になれば古新聞になる物に三倍から十倍もの対価を払うモノ好きは一人も居ない。
……新聞は後からでも手に入るだろうし、やっぱりラジオだな。
電気屋で百二十分テープを十巻パックと電池、文房具屋でレポート用紙とペンを買って定宿に戻る。
鍵を掛けて一人になると、何故かほっと肩の力が抜けた。
ラジオの選局ダイヤルを回してニュース番組の周波数を探す。どこもニュース特番らしい。少し考えて、アーテル国営放送にダイヤルを合わせ、録音を始めた。
いつも持ち歩く鞄の底からタブレット端末を出して電源を入れたが、やはり電波のアイコンは一本も立たない。諦めて元に戻し、ペンとレポート用紙を手に書き物机に向かう。
アーテル国営放送の女性アナウンサーが、緊迫した声で状況を伝える。
「……只今、アーテル軍参謀本部報道官から最新情報が入りました。午前十時二十五分現在、スークス通信衛星アンテナ基地で、対魔獣特殊作戦群が魔獣の群と交戦中です」
昨夜のニュースと同じ説明を繰り返すばかりで、戦況や被害どころか、魔獣の種類も何も新しい情報はない。
この衛星アンテナ基地は、首都ルフスの遙か南西、スクートゥム王国との国境付近のストラージャ地方にある。静止衛星からの電波を受信するのにここが最も適した座標だからだが、都市部から遠く離れ、元々人間より野生動物や魔物の方が多い土地だ。
スークス通信衛星アンテナ基地から、アーテル各地へ交換局や中継局を経由して送受信される。
ここを破壊された今、人工衛星と直接通信できる機種以外は、衛星回線を利用できなくなってしまった。
主要な交換局と中継局も爆破された為、湖底ケーブルから繋がる回線も地上部で寸断され、アーテル全土で通信障害が生じたのだ。
衛星電話が、アーテル共和国領内で何台稼働中か不明だが、先程フィアールカから聞いた限り、通信速度の遅さを嫌って契約台数は少ないらしい。
……ネモラリス憂撃隊とネミュス解放軍、政府軍……どこの仕業だろう?
一時間余りで四十箇所近い施設を爆破した。少なくとも、爆発物の専門家が居る筈だが、よく考えたら三組織ともそんな人材の一人や二人、居るだろう。
統率力や手際の良さもそうだ。
土地勘がなかったにしても、地図を頼りに現地で入念に下調べすればできなくはない。
バルバツム連邦など、アーテル共和国を支援する科学文明国が、通信途絶に気付いたらどう動くか。わざわざ現地まで確認しに来るだろうか。
……ん? いや、違う。戻るんだ。
アーテルの首都ルフスなどで工業団地化計画が進行中だ。
湖南地方への進出を検討中のバルバツム企業数十社が、ラキュス地方企業団地合同委員会を起ち上げ、既にアーテル国内で用地買収に動いた。
通信できなければ仕事にならない。
常識的に考えて、本国と連絡できなくなった件は、空路で帰国して報告する。彼らが技師の派遣を要請するかもしれなかった。
……でも、魔獣の群はどうするんだ?
貴重な技術者をむざむざ魔獣の餌にするとは思えない。
「……湖底ケーブルの破断が確認されました。通信事業者の保守船がガレアンドラ王国などの港を出港しましたが、切断箇所が複数あり、完全復旧には数カ月を要する見込みとのことです」
ロークはアナウンサーの声に耳を疑った。




