1221.予期せぬ襲撃
「お待たせしました。今夜はお留守だそうです」
一足先にイグニカーンス市の湖畔に【跳躍】した工兵ナヤーブリが、【花の耳】越しに連絡を寄越す。ここは比較的、市街地に近い。万一、誰かに聞かれた場合、電話だと思わせる言い換えだ。
魔装兵ルベルは了解の旨を応答し、冷え切った身をぴったり寄せる魔哮砲を連れて【跳躍】する。入念に下調べしたお陰で、夜間、濃密な霧が立ち込める中でも無事に合流できた。
ここも旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代には港だった。
アーテルが科学文明のキルクルス教国として独立した現在は、半世紀の内乱時代の傷跡もそのままに放置される。
辺りに人の気配はないが、少し離れた場所には雑妖が居た。霧に溶け込み、不定形の存在が漂う。ルベルたちの周囲だけが【魔除け】の力で、ただの霧だ。
魔哮砲にも【魔除け】を持たせた為、今は給餌させられない。
「後でたっぷり食べさせてやるから、頑張ってくれよ」
ルベルは、やわらかな闇の塊をやさしく撫でて湖南語で励ますと、壊れた岸壁沿いに湖底へ向かわせた。
ここはイグニカーンス市のやや西寄り、アーテル軍の基地に程近い岸辺だ。
数日前に【索敵】で基地を偵察したところ、冬に魔哮砲で攻撃した際の損傷は結構な速度で復旧し、格納庫は完成間近だった。だが、まだ工事中の部分は多く、滑走路は資材置き場と化し、有人・無人問わず航空機の姿はない。
冬の攻撃では、航空戦力だけを狙い撃ちにした。陸軍の装備などは残したが、ラクリマリス領を通過してまでネモラリス領に侵入する程、アーテル軍は追い詰められてはいないようだ。
南ヴィエートフィ大橋の西側だが、辺りは工兵ナヤーブリが掛けた【濃霧】が作りだした白い闇に包まれ、何も見えない。
現在、ウートラ班長たちがイグニカーンス基地に侵入し、通信設備への攻撃準備として、爆薬略奪作戦を実行中だ。爆弾の調達が済めば、明日以降もインターネットや電話回線の交換局や中継局に攻撃を行う。
魔哮砲が湖底に降りたのを確認し、北へ向かわせる。
湖岸のやや沖合を東西方向に走るのは、通信事業者とコンテンツプロバイダーの湖底ケーブルがそれぞれ一本だ。
北周りの回線は既に切った。
ここを切断すれば、湖南地方の内陸国を経由してアーテルと世界を繋ぐ回線が失われる。残りはここより東、アーテル共和国とラニスタ共和国の国境付近だ。
魔哮砲は乗用車や内乱時代の戦車、爆撃機の残骸を乗り越え、問題なくケーブルを繋ぐ中継器を破壊した。
「よし。俺の所へ戻れ」
「思ったより順調ですね」
魔哮砲が岸壁に這い上がる。工兵ナヤーブリは頬を緩めて次の地点へ跳んだ。
ややあって【花の耳】に困惑した声が届いた。
「風が強くて、霧を維持できません」
工兵ナヤーブリが【水晶】で魔力を補充して掛ければ、十キロ四方程度の範囲を【濃霧】で覆える。現地は相当、風があるらしい。
「昨日、ここで【空読み】したに時は、こんな強風なかったのに……」
「今だけってコトありませんか?」
「ちょっと待って下さい。見てみます」
工兵ナヤーブリは、魔装兵ルベルの知らない呪文を唱えた。
「空の色、雲の流れは風の道。
天の相、雲の道行く水の精、
一日の候をここに表す」
彼が修めた【飛翔する燕】学派の術だろう。
「アーテル・ラニスタ国境付近の天気は今日、明日ともに快晴で、東の風やや強く、朝凪の時間まで続きます。どうしましょう?」
……ラズートチク少尉ならどうするだろう?
誰がどう見ても、アーテル付近のケーブルが一晩で同時に切れるのは不自然だ。
時を置けば、湖底ケーブルを所有する各企業からラクリマリス王国や湖南地方の国々に連絡が行き、警戒が厳しくなるだろう。
「国境警備隊の小屋って、内陸の方でしたよね?」
「そうですね。湖岸には今、人っ子一人居ません」
「じゃあ、【濃霧】なしでも大丈夫じゃないかな? 行くよ」
ルベルは足に纏わり付く魔哮砲を連れ、国境付近の岸辺に跳んだ。
ラニスタ領の岸辺は、数百年以上港が整備されず、葦が生い茂った自然の姿を留める。
星灯に【魔除け】の淡い真珠色の光が加わり、雑妖が散り散りに逃げた。
ルベルも【暗視】を掛けたが、見える範囲に人や車の姿はない。街の灯は、ずっと南の内陸で帯状に連なり、段丘上で東西に広がる。
予定通り、魔哮砲をラキュス湖の底へ降ろした。
この辺りの水域には半世紀の内乱時代の遺物はなく、水草の生い茂る岩場を難なく進む。何種類もの蟹の群や見たことのない魚など、山育ちのルベルの好奇心をくすぐる生き物はたくさん居るが、今はそれどころではない。
目標地点に到達した使い魔に力ある言葉で命じる。
「力を細く絞って、その機械だけを壊せ」
不意の破裂音に思わず首を竦めた。
工兵ナヤーブリと顔を見合わせ振り返る。離れた岩場で何かが光り、一瞬遅れて銃声が轟く。
「鵬程を越え……」
ナヤーブリが早口に呪文を唱え、ルベルが状況を把握するより先に太い腕を掴んで結びの言葉を唱えた。
「……この身を其処に」
一呼吸後には、ランテルナ島カルダフストヴォー市の西門前に居た。
「お、おいッ!」
「少尉殿にご指示を仰ぎましょう」
深夜、防壁の外へ身を置く者はない。
ルベルたちは、少し西にある朽ちた漁師小屋に移動して【花の耳】で分かる限りの状況を伝えた。
「狙撃手の所属、目的、人数、戦力……何の情報もない今、現場に戻るのは得策ではない。魔哮砲は無事か?」
「はい。目標の破壊を終え、湖底の攻撃地点で待機中です」
夜間では【索敵】を使っても現場の様子は見えない。【暗視】なら闇を見通せるが、見える距離は自前の視力と同じだ。
この二つの術は併用できない為、安全圏からは現地の状況を確認できなかった。
☆魔哮砲にも【魔除け】を持たせた……「1218.通信網の破壊」参照
☆冬に魔哮砲で攻撃した際の損傷……「814.憂撃隊の略奪」~「816.魔哮砲の威力」「862.今冬の出来事」「864.隠された勝利」参照
☆北周りの回線は既に切った……「1220.ケーブル三本」参照
☆【空読み】/【飛翔する燕】学派の術……「0002.老父を見舞う」「0126.動く無明の闇」参照




