1220.ケーブル三本
魔哮砲に命じ、ここから更に北へ移動させる。
護符の淡い光に照らされた湖底には、思いの外たくさんこの世の生き物が居た。
突然現れた闇の塊に驚いてあっという間に逃げ散る。魚や甲殻類は目を閉じないので、夜行性の生き物を怯えさせたのか、寝ているのを起こしてしまったのか、専門家ではないルベルにはわからなかった。
日没後は、魔物や魔獣の対策を施した魔道機船でも湖上に出ることはない。
何の対策もないアーテル軍の爆撃機も、常識的に考えて夜間飛行はしない。
ラクリマリスの王族たちも、日没後は使い魔の視覚情報を遮断するだろう。束縛の緩んだ湖の魔物たちは、許可証のメダルを持たせた魔哮砲に手出しできない。
ラクリマリス王国が異変に気付けば、ラキュス湖の上空と湖上だけでなく、湖底にも監視を広げるだろう。
魔装兵ルベルたちは、今夜中に目標を全て破壊しなければならなかった。
主の焦りが伝わったのか、魔哮砲の速度が上がる。
世界規模の大手通信企業が保有する湖底ケーブルも、先刻同様、すんなり中継器を破壊できた。
「よし。俺の所に戻れ」
魔哮砲は往路の倍近い速度で戻った。岸にぬるりと這い上がり、濡れて冷え切った身を主のルベルに寄せる。
「次はランテルナ島北部でしたね」
「あぁ、急ごう」
日が落ちてオフィス街に街灯が点ったが、工兵ナヤーブリが【飛翔する燕】学派の術で発生させた濃霧に包まれ、通常の視界は利かない。
工兵が魔装兵の手を取って【跳躍】した。
足にしがみついた魔哮砲と共に移動した先は、ランテルナ島北東部、北ヴィエートフィ大橋に程近い漁港の廃墟だ。
周囲には民家などない。北ヴィエートフィ大橋の袂にアーテル軍のランテルナ北部基地があるだけだ。
少し雲はあるが、よく晴れて、無数の星々が天を埋める。ゆっくりと流れる雲の腹が、基地を煌々と照らすLEDライトを受けて青白く輝く。
夜間の照明は目が痛い程に強い。雑妖はともかく、魔物は明るくした程度ではどうにもできないが、力なき民ばかりのキルクルス教徒には、その程度のことしかできないのだ。
ルベルたちの居る漁港は、半世紀の内乱中に破壊され、岸壁のコンクリートがそこかしこで割れて朽ちる。
隙間から滲み出した雑妖が、二人と一頭の【魔除け】から逃れ、建物の残骸に飛び込んだ。亀裂から伸びる草が夜風に揺れる。
秋の虫と岸を洗う波の他に音はない。
「じゃあ、見張り、よろしくお願いします」
「はい!」
工兵ナヤーブリが【暗視】を唱える。【飛翔する燕】学派の彼に戦う力はない。
作業服に擬装した【鎧】を纏う二人は、アーテル兵に銃で撃たれた程度では、かすり傷ひとつ負わない。
ナヤーブリが警戒するのは、魔物と魔獣だ。何かあれば、ルベルに知らせて安全圏に【跳躍】する。
魔装兵ルベルは工兵ナヤーブリに背を預け、足にしがみつく魔哮砲を撫でた。秋の湖水に浸かって冷え切ったが、この魔法生物が寒さを感じるか不明だ。
ルベルとラズートチク少尉がネモラリス軍上層部から与えられた情報では、魔哮砲が魚のように水中でも呼吸できるのか、そもそも呼吸を必要としないのかさえ、わからなかった。
情報の断片から推測できるのは「水中でも活動できるらしい」ことだけだ。
「湖の底に降りよ」
力ある言葉で命じると、ルベルの足をするりと離れ、壊れた岸壁を伝って湖底に這い降りた。
爆撃機の残骸の他、錆付いた戦車なども沈み、かつての激戦を今に伝える。賑ったであろう漁師町は跡形もない。
ルベルは、魔哮砲の視覚情報を頼りに【花の耳】経由で指示を出し、北ヴィエートフィ大橋の橋脚まで誘導した。
この付近には、メーカー、通信大手、コンテンツプロバイダーが各々敷設した三本の湖底ケーブルが距離を置いて走る。
この三本もカルサール湾で外洋の海底ケーブルと繋がり、湖南地方のポリキクニス王国、ポゴニア王国、ステニア共和国領などを経てラキュス湖に入る。アミトスチグマ王国、フナリス群島、ネーニア島南部を経て、北ヴィエートフィ大橋に沿ってランテルナ島、南ヴィエートフィ大橋伝いにアーテル本土へ到る。
魔装兵ルベルは、大橋の基礎を傷付けない位置に魔哮砲を移動させた。
湖底ケーブルの周辺だけ、半世紀の内乱時代の遺物が撤去され、湖底の砂地が露出する。
「先程と同様、あの機械を撃て」
三連続で光が走り、湖底に小さな砂煙が舞う。所属の異なる中継器が消え失せ、三本の湖底ケーブルが破断した。
「よし……俺の所へ戻れ」
魔哮砲が戻るのを待つ間、地上の様子を窺う。
北ヴィエートフィ大橋のアーテル軍基地に目立った変化はない。LEDライトの光を受け、大橋の島に近い部分が白く輝く。その遙か北に小さな光の集まりが点々と見えるのは、ネーニア島ラクリマリス領の漁村だ。
ひとつの灯にひとつの家族。
ラズートチク少尉たちは、あの中のひとつの家から、湖上封鎖範囲内での活動許可証を盗み出した。
夜明けの出漁前に漁船に返さなければ、大変なことになる。
魔哮砲の上陸を確認すると、工兵ナヤーブリが一足先に次の目標地点イグニカーンス市へ【跳躍】した。




