1212.動揺を鎮める
呪医セプテントリオーがマイクを口許まで上げると、首から提げた外科系呪医の証【青き片翼】学派の徽章が揺れた。
公開生放送の聴衆は、固唾を飲んで呪医の言葉を待つ。やがて、落ち着いた声が、自宅でラジオを聞く者が不安を覚えそうな沈黙を破った。
「まず、私たちは、ミャータ市当局の交通規制が解除されるまで、この村に留まります」
その一言で、集まった村人たちの三割近くが表情を緩めた。
「先程のニュースにありました通り、ワクチン接種済みの方と既に罹ったことのある方は、心配ありません」
「ウチの子は……赤ちゃんは大丈夫なんですかッ?」
先程の母親の切迫した叫びが、再び場の空気をひりつかせた。
呪医セプテントリオーは、薬師アウェッラーナから徹夜で教わった最新の公衆衛生と内科の知識を総動員して、最適解を口に出す。
「生後間もない赤ちゃんには、母親由来の抗体があります。予防接種も、その時期には効果が弱まってしまうので、もう少し大きくなってからが望ましいのです」
「大きくなってからって、何歳……何カ月からですか? ウチの子、二カ月なんです!」
その叫びを皮切りにあちこちから、我が子や孫の月齢や年齢を叫ぶ声が上がる。
「第一回の接種は、生後十二カ月以上二十四か月未満が推奨されます。この辺りの村は他所との交流が少なく、今年は小麦が大豊作で、つい先日、四眼狼の群を駆除できましたので、森の木の実や獲物も手に入りやすくなりました。好き嫌いや片寄った食事をしない限り、栄養不足による体力の低下は、まずないでしょう」
呪医が声を張り上げると、村人たちが再び静かになった。
「薬草摘みのアルバイト経験などで薬に詳しい者が、ラクリマリスやアミトスチグマで対症療法用の薬を大量に買い付けました。万が一、流行が届いた場合の対応は、先程お配りした楽譜の最終ページに付けてあります」
五百人余りが一斉に手許の紙束を捲り、嵐の森のように場がざわついた。
「その情報は、今日、ここに来られなかったみなさんにもお伝え下さい。村全体での情報共有をお願いします」
人々は顔を上げて頷き、再びA4一枚にまとめられた資料に視線を走らせる。
呪医セプテントリオーが、荷台のステージを振り仰いでクルィーロに頷いた。
先月末頃、葬儀屋アゴーニたちが楽譜の印刷を頼みにマリャーナ宅を訪問した。
アミトスチグマに居る仲間も、ネモラリス島北東部の流行を懸念し、ファーキル少年が、難民キャンプ用の注意事項を島の農村用に改変して追加してくれた。
楽譜は三十組程度の予定だったが、既に向こうで千組も用意して、移動放送局の誰かの訪問を待ち構えていたと言う。
取敢えず、二百組だけ持ち帰り、今日は生放送に訪れた一世帯につき一組を配って、少し余った。
……この分では、早々に残りも受取りに行かねばなるまい。
呪医がマイクを切ってクルィーロに渡し、金髪の青年は係員室のジョールチに合図した。
「さて、次のニュースに参ります」
ジョールチの声が、何事もなかったかのようにランテルナ島の地上の街カルダフストヴォー市と、地下街チェルノクニージニクの主要物価と買物時の注意点を並べる。
聴衆は気もそぞろで、アナウンサーの声に注意を傾ける者は一人も居ないように見えた。
子供らも、おやつをつまむ手を止めて、不安げに大人たちの顔を見回す。
ジョールチが買出しに必要な情報を読み終えた。
「続きまして、ラクリマリス王国のAMシェリアクが、数カ月前に放送した特別番組『花の約束』をお届けします。音源の複製を譲り受け、ネモラリス共和国内では初めて再放送するものです」
レノ店長たちが一礼して荷台の簡易舞台を降りたが、村の大人たちは麻疹の資料に夢中で見向きもしない。
子供たちからパラパラ拍手が起こり、ピナティフィダたちが小さく手を振って微笑で応えた。
DJレーフと平和の花束の少女たちの能天気な挨拶で、子供たちが笑顔になる。横から紙束を覗く若者たちも顔を上げた。
幼い子供の居ない世帯も、DJたちの話に耳を傾け始める。
歌手ニプトラ・ネウマエによる「この大空をみつめて」の歌声が流れる間は、全員が聴き入ったが、終わるとすぐ麻疹の説明に視線を戻した。
……MCの内容は右から左か。
今朝、慌ただしく準備を進めながら、DJレーフがこうなることを予測した。
「まぁ、今はそのくらいの方がいいかもよ」
呪医セプテントリオーは、貴重な燃料を消費してまで発電機を動かして放送するのにそれでいいのかと訝ったが、忙しさに紛れて聞きそびれてしまった。
インターネットの設備がないこの地では、その方面の話題について行けないのはわかる。
問題は、その他の内容と最後の曲だ。
前奏が流れ、平和の花束の少女たちがMCとは別人のように確かな歌声を響かせる。
楽譜の束には「真の教えを」もあるが、今回集まった五百人余りは、何人が放送中の歌詞に注意を払ったか。
睡眠不足で朦朧とし始めた呪医は、聴衆の表情から反応を読み取れなかった。




