1211.懸念を伝える
天気予報のBGM「この大空をみつめて」を歌うと、楽譜を得た人々も、声を合わせて歌った。
みんなが知る曲の歌詞と楽譜への反応は頗るいい。
「ネモラリス島北東部のニュースをお伝えします。この度、この付近の森に住み着いた四眼狼の群が退治されました」
国営放送アナウンサーのジョールチが、いつもの声で三村合同自警団の活躍を簡潔に伝えると、客席が一気に盛り上がった。
レノは横目でチラリと窺ったが、戦いに参加した少年兵モーフ、運転手のメドヴェージ、老漁師アビエースは表情を崩すことなく、村人たちの反応を見守る。
……やっぱ、次のニュースが気になるんだろうな。
「この度の戦いで負傷された方々の一日も早いご快復をお祈り申し上げます」
本人の意向で、モーフたちが参戦したことは伝えない。
続けて、ジョールチの声が今回の作戦を解説すると、あちこちから感嘆の声が聞こえた。隣村の狩人ら、自警団に尊敬の眼差しが向けられる。
……次だ。
呪医セプテントリオーは生放送に加わらず、助手席の扉にもたれて住民の様子を見守る。
昨日、呪医と薬師は予定より大幅に遅れ、夕飯後に移動放送局プラエテルミッサのトラックに戻った。
二人はクリュークウァ市の元領主カピヨーの居城で、現在はネミュス解放軍の支部長となった彼から、ネモラリス島北東部で実施した麻疹ワクチンの接種状況と、ミャータ市近郊の状況について聞き出した。
カピヨー支部長は、派遣した科学の医師を一人呼んで現地の様子を詳細に証言させた上、首都クレーヴェルに居るウヌク・エルハイア将軍宛の報告書の写しまでくれた。
薬師アウェッラーナが医師に質問して、放送原稿の草稿を作った。草稿を科学の医師とカピヨー支部長に確認させてから戻った為、帰りが遅くなったのだ。
アウェッラーナは半世紀の内乱後、大学で公衆衛生について学んだと言う。
予備知識のない一般大衆にもわかりやすいよう、ジョールチが専門的な草稿を簡単な言葉に書き換えた。
呪医、薬師、アナウンサーは、荷台奥の係員室に籠り、夜明けまで掛かって原稿を仕上げた。
徹夜明けの三人はかなり気が張っているらしく、全く眠そうな気配がない。
「医療ニュースをお伝えします」
レノは掌に汗が滲み、拳を握った。
「この度、バルバツム連邦サンデラエ市内にあるローシカ製薬のワクチン製造工場で、異物の混入事故が発生しました。同社などの発表によりますと、異物は摩耗した機械の破片で、八月末に部品の交換を終え、ワクチンの生産を再開したとのことです。同国の保健省関係筋によりますと、一時的に生産が停止した影響で、麻疹や流行性耳下腺炎などのワクチンの供給量が減少しましたが、提携する他社の工場で増産を行った為、定期接種の必要量は確保できているとのことです」
遠いアルトン・ガザ大陸の情報に対する村人たちの反応は薄い。
「レーチカ臨時政府保健省の発表によりますと、トポリ空港復旧後に輸入したワクチン及びワクチン原料は、問題ないとのことです。国際便が発着するレーチカ、トポリ、ギアツィント、リャビーナでは、アルトン・ガザ大陸南部で発生した麻疹流行を受け、感染症の流入対策として乳幼児等へのワクチン接種を強化しました」
ここまでは完全に他人事だ。
退屈な話題に隣とお喋りを始める者が増えた。
「麻疹はウィルスによる感染症です。インフルエンザよりも感染力が強く、マスクなどでは完全に防げませんが、ワクチン接種が非常に有効です。半世紀の内乱後生まれの若い世代は、定期接種の対象となりましたので、特段の事情がない限り、ワクチンの接種歴があります」
母親たちが、傍らの我が子を見て頷く。
「また、一度感染すれば、終生免疫を獲得するので、内乱終結以前に生まれた中年以上の世代の方も、過去に罹った経験があれば、問題ありません」
聴衆のお喋りの内容が変わる。
何故、麻疹についてこんなに詳しく伝えるのか、訝る者が出始めた。
「麻疹には特効薬がない為、発症すれば魔法と科学、どちらの医療でも対症療法と合併症の対策が中心になります。風邪に似た症状と高熱に加え、全身に赤い発疹が出ます」
ざわめきが次第に大きくなる。
「栄養状態がよく、体力があれば、重症化する可能性が下がりますので、好き嫌いせず、しっかり食事をしましょう」
明るい声に何となく客席の空気が緩んだところへ、本題が切り込んだ。
「ネミュス解放軍の発表によりますと、七月中旬頃、ネモラリス島北東部ミャータ市近郊で麻疹の流行が発生しました。ミャータ市当局は流行の拡大を防ぐ為、交通規制を実施。ネミュス解放軍は首都クレーヴェルの製薬会社複数に麻疹ワクチンの増産を指示、科学の医師団を組織して現地に派遣しました」
客席の空気が一気に凍った。
恐怖に見開かれた目が、呪医セプテントリオーに集まる。
国営放送アナウンサーの声は、淡々とニュースを続けた。
「現地に派遣された医師によりますと、現在は高リスク群への接種を終え、流行は終息に向かっているとのことです。ミャータ市当局の発表によりますと、発症者の抵抗力が落ちる為、他の感染症による合併症を防ぐ目的で、今後も十一月末までの二カ月間は、交通規制を継続するとのことです」
「ここは……ここはッ? ウチの子は大丈夫なのッ?」
乳呑児を抱えた若い母親が叫ぶ。
クルィーロが係員室に合図を送り、マイクを手に荷台から飛び降りた。
呪医セプテントリオーが、助手席の前からステージに歩み寄る。白衣姿の彼がマイクを受け取って聴衆に向き直ると、何も言わない内からざわめきが鎮まった。
☆天気予報のBGM「この大空をみつめて」……「170.天気予報の歌」参照
☆戦いに参加した少年兵モーフ、運転手のメドヴェージ、老漁師アビエース……「1189.動きだす状況」~「1194.祓魔の矢の力」参照
☆ネモラリス島北東部で実施した麻疹ワクチンの接種……「1090.行くなの理由」参照
☆ローシカ製薬のワクチン製造工場で、異物の混入が発生……「1058.ワクチン不足」参照
☆レーチカ臨時政府保健省の発表(中略)乳幼児等へのワクチン接種を強化……「1175.役所の掲示板」「1209.二カ所の情報」参照
☆アルトン・ガザ大陸南部で発生した麻疹流行……「1195.外交官の連携」参照
☆半世紀の内乱後生まれの若い世代は、定期接種の対象……ネモラリスの予防接種体制「1202.無防備な大人」、現在居る村の状況「1050.販売拒否の害」参照




