1208.崖下の撮影会
魔法使いたちが一人ずつ抱えて崖から飛び、【浮遊落下】でふわりと着地した。
満々と水を湛えるラキュス湖が、すぐ目の前で秋の日射しにきらめく。
左右に目をやれば、見渡す限り切り立った岩肌が続き、港どころか、人工物はひとつもなかった。
漁船の姿はなく、水平線近くを西へ向かう貨物船が、穏やかな青の中で玩具のように見える。
クルィーロがアマナを下ろすと、妹は初めての光景に声もなく見入った。
降りて来た崖を見上げると、国営放送ゼルノー支局のビルよりずっと高い。これを攀じ登るのは大変だが、【跳躍】なら一瞬だ。
この水平線の遙か彼方に湖北七王国――三界の魔物を封じるムルティフローラ王国と、封印の地を守護する六王国があるのだ。クルィーロは、畏怖と憧れが入り混じる不思議な気持ちになった。
湖北七王国は、封印を守る為に強固な同盟関係を結び、基本的に他国と交流をしない。ルブラ王国領ミクランテラ島だけが、唯ひとつ開かれた世界との窓口だと聞いた。
その島には、魔道士の国際組織「霊性の翼団」の本部があり、ネモラリス島北部の港湾都市オバーボクとの間に一カ月一往復だけ、定期便が運航される。
……北の魔法使いたちは、この戦争をどう思うだろうな。
湖北七王国は国連などに加盟せず、人間同士の争いには介入しない。
そんなことをすれば、人間の国から攻撃される理由を作り、三界の魔物の封印を守れなくなる惧れがあった。
「じゃ、オレオール兄姉妹、最初に撮るよー」
クルィーロは、暗くなりそうな物思いを振り切ろうと、レノたちパン屋の三人に明るい声で呼び掛けた。
長男のレノは照れて明後日の方を向くが、長女ピナティフィダ、次女エランティスは両側から兄の腕を取り、タブレット端末を構えたクルィーロに飛びきりの笑顔を向ける。
オレオール家の子は三人とも、陸の民らしくよく肥えた畑の土のような髪色だ。
「はーい、じゃ、撮るよー……せーの!」
タブレット端末でも、普通はシャッターに似せた音が鳴るそうだが、運び屋フィアールカは隠し撮りしやすいよう、シャッター音機能を停止するアプリを入れて寄越した。
撮れた実感がなく、何回撮ってもうっすら不安になるが、フィルム式のカメラと違ってその場で確認できる。
ひとまず、三人の全身と顔のアップを数枚ずつ撮って終えた。
「じゃ、こっち来て見てくれる?」
「あ、スゴーい、ホントに写ってるー」
「不思議ねー」
「クルィーロ、ありがとう」
レノが礼を言うと、画面に夢中だった妹たちも慌てて続いた。
「おじさん帰って来る前にアマナちゃんと撮ってもらってもいい?」
「いいよー」
仲のいい二人は、ラキュス湖を背に手を繋ぎ、撮影係に笑顔を向ける。
空の色はすっかり夏から秋に移り、少女たちの髪で輪になるやさしい光が、明るく輝いた。
……二人とも、もうこんな大きかったんだな。
いつまでも小さい気がしていたが、よく考えれば小学校の最終学年で、何事もなければ来年は中学生だ。
顔貌こそ、まだあどけなさが残るが、この一年半余りで色々な経験をして、辛いこともどうにか乗り越えてきた。
中身は、平和な頃よりずっと早く大人に近付いただろう。
「はーい、じゃ、撮るぞー!」
クルィーロは全力で笑顔を作り、明るい声を張り上げて何度もシャッターボタンを押した。
レノたちオレオール家も、クルィーロたちのオルラーン家も、星の道義勇軍のテロと、その後に続いたアーテル・ラニスタ連合軍の無差別爆撃に晒された。
生命があって、身体も無事なのはよかったが、思い出の品は全て喪われた。
妹たちの「子供時代」を残せるのは今しかない。
気付いた途端、こぼれそうになった涙をどうにか堪え、何枚も何枚も撮った。
「貸して下さい。クルィーロ君たち兄妹で先に済ませましょう。お父さんと一緒の分は、また後で撮ればいいのですから」
クルィーロは、ジョールチの申し出を有難く受けた。彼は飲み込みが早く、少しの説明で撮影の操作を覚えた。
妹と改まって写真に収まるのは、何年ぶりだったか。
……小学校の入学式以来……かな?
みんなで少し早起きして、ゼルノー市立スカラー小学校の門の前で撮った。
あの家族写真も、今はもうない。
出張で首都クレーヴェルに居た父は助かったが、いつも通り、隣のマスリーナ市に出勤した母は亡くなった。帰還難民センターの【明かし水鏡】で結果を知っただけで、遺体も遺品もなく、母がどんな最期を迎えたのかもわからない。
実感のない結果だけが、残った家族の心に重く冷たい楔を打ち込んだ。
父が戻ったら、母の不在を泣かずに三人だけの写真を撮れるだろうか。
折角の写真を翳らせないよう、飛びきりの笑顔を作る。
端末を操作するジョールチも、身内を全員亡くしたとは思えないイイ笑顔で、兄妹を写してくれた。
「ありがとうございます。ジョールチさんも……」
「いえ、私は結構です」
「坊主の奴があんたに懐いてっからよ、もしよかったら、一緒に写ってやってくんねぇか?」
メドヴェージが、遠慮するジョールチの前にモーフを押し出す。いきなりアナウンサーの前に立たされた少年は、顔を耳まで真っ赤にして勢いよく振り向いた。運転手に抗議しようとした口は、パクパクするだけで言葉が出ない。
ジョールチの肩から力が抜け、自然な微笑で応える。
「いいですよ。メドヴェージさんとソルニャークさん、アビエースさんも彼と仲良しですし、ご一緒に」
「人数多いと一人一人の顔が小さくなるんで、二人ずつ撮って、集合写真は別にしませんか?」
クルィーロが提案すると、モーフはますます赤くなったが、大人たちは快く応じた。メドヴェージが満面の笑みでモーフの頭をわしゃわしゃ撫で回す。
「よかったな……と、言いてぇとこだが、その酔っ払いみてぇなツラどうにかしねぇとな」
「洗って冷やしてみる?」
DJレーフが【操水】で湖水を汲み上げる。
足下はちょっとした岩棚で、湖面はアマナの身長くらい下にあった。
風で運ばれた土が窪みに溜まり、湖の女神を象徴する青い花が一輪だけ咲く。
老漁師アビエースは、いつもここから水面まで降りて【漁る伽藍鳥】学派の術で魚を獲ってくれるのだ。
冷水で洗われ、モーフはむすっとしたが、顔の赤みは引いた。
「じゃ、ちゃっちゃと撮って一旦上がろう」
「お昼の用意、急がないと」
レノとピナティフィダが言うと、ソルニャーク隊長が、少年兵モーフの肩を抱き寄せた。画面越しに見る穏やかな微笑は、小隊長として部隊を率い、ゼルノー市を襲ったテロリストには見えない。
次にメドヴェージと撮った写真は、顔立ちは全く似ていないのに父子に見えた。
緑髪に白髪が混じる老漁師は、孫に向けるような微笑で、土色の髪の少年と一枚の写真に収まる。
国営放送アナウンサーと共に写った少年は、緊張でガチガチだ。
流れでなんとなくDJとアナウンサーを一緒に写し、モーフを中心にした六人の集合写真も撮った。
「そっちの兄姉妹たちもみんなで撮ろう」
DJレーフが、幼馴染五人の集まる写真を撮ってくれた。
「子供らだけでも撮っとこう」
メドヴェージが言い、最後にアマナ、エランティス、ピナティフィダ、モーフの四人を撮って村に戻った。
☆【浮遊落下】でふわりと着地……「0029.妹の救出作戦」参照
☆ルブラ王国領ミクランテラ島……「162.アーテルの子」「489.歌い方の違い」、「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説16.国々 チヌカルクル・ノチウ大陸」ルブラ王国の項目参照
☆魔道士の国際組織「霊性の翼団」……「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説06.組合」参照
☆オバーボクとの間に一カ月に一往復だけ定期便……「852.仮設の自治会」参照
☆出張で首都クレーヴェルに居た父は助かったが、いつも通り、隣のマスリーナ市に出勤した母は亡くなった……「0040.飯と危険情報」「597.父母の安否は」「598.この先の生活」参照
☆ジョールチも、身内を全員亡くした……「0981.できない相談」参照




