1205.医療者の不在
迎えに行った二人に付き添われ、兄妹と隊長が村の門に姿を現した。
水汲みのおかみさんたちが気付いて顔を輝かせる。一人が水塊を連れて村の奥へ走り、残りは門へ駆け寄った。
国道脇で薬草を摘むレノたちも、籠を抱えて村の門に走る。
「メーラちゃん、よかったね」
「退院おめでとうございます」
「よかったな、兄ちゃん」
ピナが真っ先に声を掛け、レノと薬師アウェッラーナ、メドヴェージが続く。
コルチャーク青年は顔色こそ青白いが、自分の足でしっかり歩いて門を潜った。知らせを受けた村人たちの笑顔が、あっという間に兄妹と村長の息子を囲んだ。
授業が終わり、夕飯までまだ時間がある。村人の大半が野良仕事だ。誰かが呼びに行って、今日は早めに切り上げるだろう。
レノたちは、呪医セプテントリオーとソルニャーク隊長を労った。喜びに沸く村人たちの傍らで、王都ラクリマリスから戻った二人の顔だけが薄暗い。
「隊長、どうしやした?」
「トラックに荷物を置いて話そう」
ソルニャーク隊長は、明らかに作った笑顔でメドヴェージに応えた。
呪医と隊長が、大量の文庫本が入った袋を移動放送局プラエテルミッサの荷台に置いて、同時に肩をさする。
留守番組が喜んだのも束の間、戻った二人の浮かない顔につられて萎み、疑問と困惑を浮かべた。
「どうしたんスか? メーラの兄貴、ダメだったんスか?」
「いや、彼はもう大丈夫だ」
「農作業などはまだできませんが、足は元に戻りましたよ」
モーフが聞くと、ソルニャーク隊長と呪医セプテントリオーは表情を緩めた。
……ティスの時もそうだったけど、魔法って凄いよなぁ。
レノは呪医の説明で妹の足を思った。
爆弾テロに巻き込まれて千切れようと、双頭狼の毒で壊死して切断する羽目になろうと、何事もなかったかのように治してもらえる。
切断部位を復元する術者にリスクがなければもっといいのだが、世の中ままならない。
レノは薬草を入れた籠を置き、複雑な思いで呪医セプテントリオーを見た。
老漁師アビエースが【操水】で香草茶を淹れる。
「レーフさんとクルィーロ君はどちらへ?」
「ランテルナ島で素材の買出しと情報収集です。帰りは明日の予定です」
アナウンサーのジョールチが答え、眼鏡の奥から視線で呪医に問う。
葬儀屋アゴーニとパドールリクは、ギアツィント市で情報収集、ティスとアマナは仲良くなった同級生の家だ。
「それでは、ジョールチさんかアウェッラーナさん、急で申し訳ありませんが、どちらか私をクリュークウァ市に案内していただけませんか?」
「今すぐ、ですか?」
薬師が目を丸くする。
「放送は明後日の日曜なんですよね?」
「えぇ。王都で何かあったのですか?」
ジョールチが問い返すと、湖の民の呪医は隊長と視線を交わした。
「詳しい説明は、私がしよう。取り急ぎ、カピヨー支部長に確認して放送したいことができた」
「えぇっと、じゃ、私の方がいいですね」
薬師アウェッラーナがマグカップを木箱に置く。
あのお茶会の席で、ジョールチは一言も喋らずにやり過ごした。
湖の民の医療者二人は、ポケットに【魔力の水晶】を詰めると、慌ただしくトラックの荷台を降りた。
「今から行って、帰りは明日の朝になると思います」
「お気を付けてー」
レノは二人の後ろ姿に声を掛け、ソルニャーク隊長に向き直る。老漁師も不安な目を向けた。
隊長が、落ち着いた声で危険な状況について語る。
「四眼狼の群を倒したことで、ここから東方面の交通が再開する」
それがなくとも、呪医セプテントリオー目当てに無理を押してでもこの村を訪れる負傷者が増えた。
麻疹は、その特徴的な発疹で素人目にもわかりやすい。
ミャータ市近郊からこの村まで感染が拡大した場合、隠し通すのは不可能だ。
半世紀の内乱中は予防接種どころではなく、和平成立直後に世界保健機関から無償提供されたワクチンは、死亡リスクの高い乳幼児にのみ接種が実施された。
不意討ちで感染が到達した場合、ミャータ市近郊の村々同様、恐慌を来す惧れがある。
「安心材料を提示しつつ、麻疹の流行を伝えるべきとの結論に達した」
ソルニャーク隊長が締め括ると、荷台に重い沈黙が降りた。
……安心材料って?
医療者が二人とも行ってしまった不安がひたひたと押し寄せ、レノはその重みに質問を声に出せなかった。
ジョールチがラジオと同じ声で問う。
「解放軍が用意したワクチンの接種状況を確認しに行ったのですね」
「そうだ。あの呪医が相手なら、カピヨー支部長は正直に答えるだろう」
ソルニャーク隊長が淡々と答え、ピナとアビエースは肩の力を抜いた。
レノもこの間、クルィーロたちがクリュークウァで聞いて来た件を詳しく思い出して頬が緩む。
……流行、終わってるかもしれないな。
「ワクチン……奪い合いになってなきゃいいけどよ」
メドヴェージの低い呟きで、荷台の空気が再び凍りつく。
流行地の一時情報が手に入らないことには何とも言えないが、現地へ確認しに行くのはあまりにも危険だ。
誰からともなく溜め息が漏れた。
☆大量の文庫本が入った袋……「1166.聖典を調べる」「1167.流れを変える」「1202.無防備な大人」参照
☆ティスの時/爆弾テロに巻き込まれて千切れ……「710.西地区の轟音」~「720.一段落の安堵」「736.治療の始まり」参照
☆双頭狼の毒で壊死して切断……壊死「1060.手遅れの嘆き」~「1062.取り返せる事」、切断「1084.変わらぬ場所」「1144.向かう先には」参照
☆切断部位を復元する術者にリスク……「717.傲慢と身勝手」参照
☆あのお茶会の席……「0962.厄介な招待状」~「0964.お茶会の話題」参照
☆和平成立直後に世界保健機関から無償提供されたワクチン……「1202.無防備な大人」参照
☆ミャータ市近郊の村々同様、恐慌/この間、クルィーロたちがクリュークウァで聞いて来た件……「1090.行くなの理由」参照
☆あの呪医が相手なら、カピヨー支部長は正直に答える
ウヌク・エルハイア将軍の親戚……「897.ふたつの道へ」「902.捨てた家名で」「903.戦闘員を説得」「916.解放軍の将軍」「917.教会を守る術」参照
カピヨーが無断で兵を挙げ、将軍から叱責を受けた場に立ち会った……「919.区長との対面」「920.自治区の和平」参照




