1204.彼の地の恋愛
作業は思ったより早く終わった。
ピナティフィダたちのメモの助けと六人掛かりの人手のお陰だ。
十三冊の文庫本から、キルクルス教の信仰と魔術の繋がりに関する部分を抜粋し、聖典の記述を確認したメモをファーキルに渡す。
これを報告書にまとめるのは大変そうだが、針子のアミエーラにはこの先の作業を手伝えない。せめてもの配慮として、なるべく読みやすいように丁寧な字で書いたくらいのものだ。
「この本、結構面白かったね」
エレクトラがアミエーラに微笑み掛ける。今日の彼女は大地の色の髪をひとまとめに括り、少し大人っぽく見えた。
「そうね。絵はちょっとアレだけど、アーテルで流行るのもわかる気がしたわ」
会議などに使わせてもらう部屋は、机と椅子だけが置かれ、白い壁と机の木目が簡素で落ち着いた雰囲気を作る。この部屋のなかで、文庫本の派手な表紙は酷く場違いに見えた。
諜報員ラゾールニクが、既刊全二十七巻をアーテル共和国の書店で買って来た。
どの巻の表紙も、主人公のカクタケアより、その巻のヒロインが目立つ。彼女らは揃いも揃って目のやり場に困る衣裳だ。中には何故脱げてしまわないのか不思議なくらい生地が少ないものもあり、針子のアミエーラは型紙の想像がつかなかった。
「最初から全部読んでみようかな?」
アステローペが第一巻に手を伸ばすと、表紙の美少女たちに負けず劣らず豊満な胸が揺れた。
平和の花束の四人はアーテル共和国出身だが、アイドルの仕事が多忙を極め、本を読むどころか学校にもあまり行けなかったと言う。
……キルクルス教の国になったのにお勉強を二の次にするなんて。
リストヴァー自治区のバラック街で、食うや食わずの暮らしを送る家庭ならいざ知らず、ファーキルの報告書で見た限り、アーテルにはそこまでの貧困地区はない。
何故、キルクルス教社会であるにも関わらず、聖者の教えに反する行いが許されるのか。
「チャラい表紙に騙されそうだけど、信仰と恋愛とか、結構難しいテーマを扱ってたわ」
アルキオーネがしみじみ言う。
彼女の担当は、二十五巻から最新の二十七巻までの三冊だ。
「そっちの巻にもあったの?」
「私のも、それで悩んでたわ」
「ひょっとして、全巻恋バナあり?」
タイゲタ、エレクトラ、アステローペが食いつく。
……そう言えば、ラゾールニクさんが「女の子はみんな恋バナが好き」みたいなコト言ってたけど。
アミエーラがサロートカを見ると、針子の後輩は頬を染めて頷いた。
「私が読んだのにもありましたー」
「二十三巻と二十四巻、どっちも依頼人の女性と……でも、魔力のコトで悩んで結局別れて」
アミエーラが言うと、みんなは溜め息を吐いた。
アルキオーネが表紙を険しい目で睨む。
「一冊ずつ、カノジョとっかえひっかえってコト?」
「何が『やれやれ、またこれか』よ。ムカつくー!」
タイゲタも、眼鏡越しに汚いモノを見る目を向けた。
「私が読んだのは、カクタケアの方から言い寄ったんじゃなくて、同業者と依頼人が彼を好きになって……」
「そんなの、傷が浅い内に断っとくのがやさしさってモンじゃない? 気付いてすぐとか」
アステローペが主人公を庇うと、アルキオーネはぴしゃりと言った。
「でも、依頼人相手だと、仕事やり難くならない?」
「仕事とプライベート、ちゃんと分けないと」
エレクトラも擁護派だが、タイゲタの一言で黙った。
「思わせぶりな態度をするから、相手がますます好きになって、別れが辛くなるんじゃない」
アルキオーネは架空の人物にも容赦ない。
「でも、好意を向けて来る人にスパッと『無理です』って言うの、ハードル高いよ。傷付くのわかってんのに」
「私が読んだ巻のヒロイン、冷たくされたら余計に燃え上がるタイプでしたよ」
アステローペが言うと、サロートカもこくりと頷いて加勢した。
アルキオーネは呆れた声で言う。
「カクタケアも、好きになってくれた人を傷付けたくないんなら、いい加減、学習すればいいのに。三冊連続これはないわー。女子は子供産んだりとかタイムリミット厳しいんだから、オトコがぐずぐず被害者面してんじゃないっての」
「そう言われてみれば、そうね……アーテルって、両想いになっても、力ある民と力なき民は結婚できないの?」
サロートカが隣のアステローペに聞く。頷いた亡命者は苦い顔だ。
タイゲタが、片手で眼鏡を押し上げて説明する。
「カクタケアが正式に結婚できる状態じゃないもの」
「どう言うコト? 私が読んだ巻には説明なかったけど……」
アミエーラが聞くと、アルキオーネが説明してくれた。
主人公のカクタケアは、アーテル本土のイグニカーンス市で生まれ育った。
アーテル軍に就職して特殊部隊に配属されたが、とある任務で自身が力ある民だと知る。悩んだ末に軍を辞め、家族や友人に何も言わず、ランテルナ島に引越した。
新天地で腕っ節の強さを活かし、冒険者として生計を立てる。
本土からランテルナ島に転居すると、書類上は死亡扱いとなり、本土に戻れなくなる。
市民権を失う為、書類申請が必要な各種行政サービスを受けられなくなり、本土で何か事件に巻き込まれても保護されない。
選挙権も失う。
「正式に結婚できないから、どんなに好きでも事実婚だし、子供が産まれても補助金や予防接種のお知らせもないし、学校も行かせて上げられないの」
「何せ、死人から赤ちゃん産まれるワケないから」
「えぇッ?」
タイゲタの補足説明にアミエーラとサロートカの驚きが重なった。
「それって、赤ちゃんが力なき民でも、居ない子扱いされるってコト?」
「そう。独立してキルクルス教国になったアーテルじゃ、魔法使いに人権なんてないのよ」
アルキオーネが文庫本を睨んで放った言葉は、この六人の中で唯一の力ある民アミエーラの胸に深く刺さった。
☆ラゾールニクさんが「女の子はみんな恋バナが好き」みたいなコト言ってた……「1010.特番に託す心」参照
☆ランテルナ島に転居すると、書類上は死亡扱い……「1136.民主主義国家」参照




