1203.異物に気付く
「無料公開された分はダウンロードして、紙の本だけ先に読ませていただいたのですよ」
「四巻からで大丈夫でしたか?」
ロークはクリューチ神官に電子書籍の存在を教えるべきか、アーテルで紙の本を買って渡すべきか迷った。
湖の民の神官は、閉架の貸出カウンターにタブレット端末を置いて言う。
「話の筋を追うのが目的なら、最初から順に読まねばなりませんが、アーテルの様子を知る資料として読むので、どこから読み始めても差し支えありませんよ」
「あッ……」
ロークは、自分が娯楽小説の形式に囚われ、その視点を見失いつつあったと思い知らされた。
……そっか。これ、「資料」……なんだ。
本文を読み、ファンフォーラムを閲覧する内に知らず知らず作品世界に取り込まれてしまったようだ。恥ずかしさに足下の床を見ると、耳が熱くなった。
ピナティフィダたちも、クリューチ神官と同じ視点で読んだらしく、担当した巻はバラバラだ。
「それで気付いたのですが、どうやら王国内にキルクルス教徒が居るようなのです」
ロークはギョッとして顔を上げた。クリューチ神官が、呪医セプテントリオーに表情を改めた顔を向ける。
ファーキルの報告書によると、一か月程前にこの王都第二神殿書庫で非公式の会合が持たれた。
歌手のニプトラ・ネウマエが主催する音楽仲間の趣味の集まりとの体裁で、ラキュス湖周辺地域の平和と安定について、ネモラリスとラクリマリスの関係者が協議と情報交換を行った。
ロークは、出席者の一人、呪医セプテントリオーを見た。
湖の民の呪医は、同族の神官を表情のない目で見詰める。
会議の席で、ラクリマリスの外務次官プンツォーヴィは、ラクリマリス王国内にキルクルス教への改宗者が増え、政府の上層部近くにも紛れ込んでいると明かした。
ラクリマリス政府は、密かに身辺調査を実施し、改宗の疑いが濃厚な人物を当局の監視下に置く。
国会議員ヤグアールの政策秘書シストスも監視対象者の一人だ。ヤグアール議員は、彼がそんな嫌疑の対象とは知らず、行方不明になった秘書を案じる。
ラクリマリス側では、取扱いに慎重を要する情報である為、雇い主であるヤグアール議員にも伏せるとあった。
……偉い人にも内緒なのに、ギームン神官が同僚にバラしちゃったとか?
フラクシヌス教団からは、聖歌隊の責任者であるギームン神官が出席した。教団上層部には報告しただろうが、そこから聖職者全体に伝わったのか。
「ネモラリス難民にキルクルス教徒が紛れ込んでいると言うのですか?」
ソルニャーク隊長が鋭く声を発した。
クリューチ神官は、緑の瞳で隊長の青い瞳を見詰め返した。
「いえ、王国民です」
「でも、そんな人って神殿に来ないんじゃありませんか?」
クラウストラが指摘すると、クリューチ神官は苦しげに答えた。
「神殿で難民支援活動を行う人々の中に居るのです」
「どうしてわかったんです?」
「彼らは、打ちひしがれた難民たちにキルクルス教の祈りの詞に酷似した励ましの言葉を掛けていました」
「クリューチ神官が直接耳にされたのですか?」
「はい。それも、一人や二人ではなく……」
呪医に答えた顔に苦悩の翳が差す。
「ネモラリスの仮設住宅でも、同様の事例が見受けられました」
「そちらでも……」
「単に心地よい励ましだから、ボランティアの間で流行したに過ぎず、それを口にする者には、力ある陸の民や湖の民も居ました。本物の隠れキルクルス教徒は、ほんの一握りでしょう」
ソルニャーク隊長は淡々と語った。
「ネモラリスはインターネットがなくて、ラクリマリスにはあるから、状況が全然違うと思いますけどね」
クラウストラが冷ややかに指摘する。
ロークはその声で背筋に冷たい物を走らせて言った。
「キルクルス教団や教会、信者団体……それに星の標も、サイトを持っててSNSとかも使ってます」
「ラクリマリス政府は、そーゆー宗教関係のサイトにアクセス規制ってしてます?」
「えっ……?」
クリューチ神官は、私物のタブレット端末をつついた。その面からさっと血の気が引く。
「この国の力なき民の人が、教団のサイト見てこっそり改宗。で、教団の役に立ちたくて信者を増やそうと、心が弱った難民にボランティアとして近付いたとしたら……」
クラウストラが仮説を平然と口にする。
「難民キャンプは以前、アゴーニが警告して対策を教えてくれたので、今のところそれらしい動きはありませんよ」
「対策とやらを警戒して、水面下で信仰を維持し、布教を続ける可能性も……」
呪医セプテントリオーが安心材料を示したが、クリューチ神官の悲観的な思いは拭い去れなかった。
ソルニャーク隊長が釘を刺す。
「迂闊に動けば、クレーヴェルのように力なき民があらぬ疑いを掛けられ、私刑に遭いかねません」
「え、えぇ、それはもう……しかし、どうすれば……」
神官が緑髪の頭を抱える。
「アゴーニさんが言ってた対策をラクリマリスでもすればいいんじゃありませんか?」
外務次官の話は、アゴーニの対策と同じだ。いや、王国側の調査と監視はプロが行う分、難民キャンプ以上に高度なものだろう。
ロークは、それを掻い潜って「行方不明」になった政策秘書シストスが、かなり周到な準備と監視を上回る支援を受けられた可能性に気付いた。
……それか、わざと泳がせてるってコトだよな。
呪医セプテントリオーが、ロークの提案に頷く。
アゴーニから直接聞いた対策を詳しく説明し、注意点を繰り返し伝えた。
☆ピナティフィダたちも(中略)担当した巻はバラバラ……「1137.アーテル文化」「1159.投票先の判断」参照
☆一か月程前にこの王都第二神殿書庫で非公式の会合……「1085.書庫での会議」~「1088.短絡的皮算用」参照
☆ネモラリスの仮設住宅でも、同様の事例……「773.活動の合言葉」「783.避難所を巡る」「785.似たような詞」「791.密やかな布教」~「793.信仰を明かす」参照
☆ボランティアの間で流行(中略)口にする者には、力ある陸の民や湖の民も……「832.進まない捜査」「833.支部長と交渉」参照
☆ネモラリスはインターネットがなくて、ラクリマリスにはあるから、状況が全然違う……「0997.居場所なき者」参照
☆難民キャンプは以前、アゴーニが警告して対策を教えてくれた……「806.惑わせる情報」「807.諜報員の作戦」参照
☆クレーヴェルのように力なき民があらぬ疑いを掛けられ、私刑に遭い……「746.古道の尋ね人」「793.信仰を明かす」「806.惑わせる情報」「852.仮設の自治会」「866.報道する意思」「0969.破壊後の基地」参照




