1201.喜びと心配事
呪医は、村長の息子を連れて王都ラクリマリスに【跳躍】した。
この若者は、ネモラリス島北東部の村から片手で数える程しか出たことがない。落ち着きなく辺りを見回し、都会の街並に緑の瞳を輝かせる。
今日はコルチャークの退院日だ。
呪医セプテントリオーは、久し振りに晴れやかな気持ちで、足取り軽く船着場へ向かう。
「この船の終点が西神殿です」
「門から施療院までの道順は憶えてます」
「退院の手続きは受付でお尋ね下さい。リハビリをしても、体力の回復はまだでしょうから、本人が遠慮しても、荷物を持たせないようにお願いします」
「はい。きっとメーラが張り切って全部持つって言うでしょうけどね」
何となくわかり合った笑みを交わし、別々の渡し舟に乗り込む。
セプテントリオーが乗るのは王都第二神殿行きだ。
王都に網の目のように張り巡らされた水路には今日もたくさんの舟が行き交う。
夏と秋の野菜や果物を満載した船が、甘い香りを振り撒いて渡し舟とすれ違う。
ラクリマリスの空はすっかり秋で、澄み渡る青に羊雲が規則正しい模様を描く。
印暦二一九二年九月。
王都に爆撃機の影はひとつもない。
……何がこんなにも道を分けてしまったのだろうな。
緑髪の呪医は、暗い淵に沈みそうな考えを振り払って陸の道に揚がった。
王都第二神殿の書庫では時が静かに流れ、テロや戦争が遠い世界の出来事のようだ。書架を埋める古書は、セプテントリオーが初めて訪れた数百年前から変わらず在り、知識の扉を開く者を待つ。
すれ違う聖職者たちと会釈を交わし、最奥の部屋へ向かった。
書架の間から、目当ての三人が肩や首を回して凝りを解すのが見える。
「休憩中でしたか。お疲れ様です」
「丁度、俺たちの割り当て分、終わったとこなんです」
ロークが疲れ切った顔に笑みを広げる。
ソルニャーク隊長は、肩を回すのを止めて姿勢を正した。
「彼らが、書いた端からメモを撮影して送信してくれたので、数日中にはファーキル君が報告書にまとめてくれる筈です」
「ありがとうございます」
「アミトスチグマの人たちにも手伝ってもらったから、すぐですよ」
青い薔薇の髪飾りがよく似合う黒髪の少女が微笑む。
セプテントリオーがロークに視線を移すと、聞く前に紹介してくれた。
「クラウストラさんです。アーテル領内での活動を手伝って下さってて、カクタケアのシリーズにも詳しいんで、来てもらいました」
「あなたがクラウストラさんですか。報告書で度々お名前を拝見しております」
力ある陸の民で【急降下する鷲】学派の【光の槍】や【飛翔する蜂角鷹】学派の【真水の壁】など、高度な術を使いこなす。
この手練の術者は、外見通りの少女ではあるまい。
「初めまして。その徽章、セプテントリオー呪医……で合ってます?」
「はい。初めまして」
互いにファーキルの報告書を介して前知識があり、初対面にも関らず既知なのが何とも不思議な気分にさせられる。
「こちらの方も、四眼狼の群が片付きましたので、近々東のミャータ市方面との交通が再開するでしょう」
「防疫用の障壁として、放置するのではなかったのですか」
ソルニャーク隊長が露骨に顔を顰める。
「それが、東の村で犠牲者が出て、何頭も大型化してしまったのですよ」
「あまり大きいと【結界】を強行突破されちゃうかもしれませんものね」
クラウストラが納得顔で頷く。
ソルニャーク隊長から事情を聴いたのだろう。
「アウェッラーナさんはそれを見越して、対症療法用のお薬の備蓄を進めていますが……」
外科領域の【青き片翼】学派では魔法薬を使えない。思わず溜め息がこぼれた。
アウェッラーナが【思考する梟】学派の薬師だと明かせば、それこそ、いつ移動できるようになるか知れたものではない。
万が一、流行が及んだ際は、セプテントリオーが薬を選ぶフリ、アウェッラーナは助手のフリをして、呪文を唱えずとも効力がある魔法薬のみを使うと決めた。
そんな誤魔化しが、どの程度通用するのか。
それでも、見殺しにするワケにはゆかない。
ネミュス解放軍が届けたなけなしのワクチンで、流行がミャータ市付近に留まるのを祈るしかなかった。
「コルチャークさんは今日で退院で、村長の息子さんにお任せしました」
「村の心配事は減ったが、流行が終息しないことには、動きが取れんな……」
ソルニャーク隊長が現状を確認するように独り言ちた。
「思い切ってぶっちゃけるの、ナシですか?」
クラウストラが、深い藍色の瞳をくるりと動かしてネモラリス人たちを見回す。
「今は、パニックにならないように内緒なんですよね?」
「えぇまぁ……」
「でも、見た目にわかりやすい病気ですし、来たらすぐわかっちゃいますよね」
「感染を防ぐ手立てがないので、せめて接触を避ける為に……しかし」
ソルニャーク隊長が続きを飲み込む。
クルィーロたちが、ネミュス解放軍のカピヨー支部長から得た情報では、ミャータ市付近の村で患者宅が焼討ちされたとある。
戦乱によって医療体制が不充分な中、どうすれば、伝染病の流行地で暴徒化を抑えられるのか。
呪医セプテントリオーには妙案が浮かばなかった。




