0123.みんなで料理
「あ、これ、パン焼き用のオーブンだ」
奥の一角を占めるのは、天井付近まで高さのある多段式大型オーブンだった。
レノの呟きを聞きつけ、クルィーロとメドヴェージも厨房の隅に目を向ける。
「へぇ。食堂のパン、自家製だったんだ」
クルィーロがカウンター越しに食堂を見る。この惨状では、何席あるのかわからない。
「これ、そうなのか?」
「はい。ウチの店のより大きいですよ。ロールパンなら一度に二百個くらい焼けそうです」
「兄ちゃん、何屋だ?」
「パン屋です」
「へぇ。パン、作れるのか」
メドヴェージに問われ、レノは頭を掻いた。
「んー……一応。まだ、修行中であんまり上手くないんですけど」
「そうか」
……て、ことは、イーストもあるのか。
気付いてオーブンの横の戸棚を探る。
開封済みの小麦粉と砂糖と塩、脱脂粉乳。ドライイーストもちゃんとあった。
袋にまとめ、冷蔵庫も調べてみる。
肉や野菜はもうダメになっていた。
「こいつは……まだイケるな」
業務用サイズの無糖ヨーグルトだ。これは調理器具の袋に入れる。
クルィーロを見ると、新品のゴミ袋を取り出し、ホイル、使い捨てのビニール手袋やペーパーナプキンを入れていた。
誰がどこからどう見ても、立派な火事場泥棒だ。だが、誰も何も言わない。
レノも罪悪感を押し殺し、まだ食べられる物を袋に詰めた。
……放送局の人が、賞味期限切れる前に取りに来るのって無理っぽいし、ダメになる前に食べた方が勿体なくないし……大体、みんな、食べなきゃ飢え死にするんだ。
「じゃあ、そろそろ降りようか」
レノが声を掛け、みんなが待つ玄関ホールへ戻った。
二人が回収した物の他、メドヴェージが缶詰の残りも下ろした。
「今夜はパスタにしようと思うんです。ナマモノを先に消費したいんで」
レノの提案に反対する者はなかった。
湖の民の薬師はまだ目を覚まさない。
外はもう黄昏色だ。
きちんとした台所ではなく、やり難いが仕方がない。
レノは、食中毒を出さないことを目標に準備に取り掛かった。
開封済みのパスタ一袋、パスタソース一缶と、タマネギ、ハム、塩、コショウを受付カウンターの隅に置く。庖丁、俎板、アルミホイル、ゴミ袋、ビニール手袋、鍋、フライパン、フォークも使いやすそうな所に用意した。
「じゃあ、水汲んで来る」
クルィーロが【灯】を点した箒を掴んで出て行く。
「おう! 兄ちゃん! 一人で行くんじゃねぇ!」
「あ、じゃあ、案内します!」
メドヴェージとロークが慌てて後を追う。
レノは苦笑し、三人の後ろ姿を見送った。
……俺が全部やるより、チビたちにもさせた方がいいよな。
「ピナ、そっちの部屋にコピー用紙の箱ってあった?」
「段ボール? 隅っこに畳んで置いてあったけど……」
「何個か持ってきてくれないか?」
「いいよ」
ピナは一人で気軽に事務室へ向かう。少年兵モーフが、レノに会釈して少女について行った。
「ティスとアマナちゃんは、段ボールが来たら組立ててくれ」
「お兄ちゃん、箱、どうするの?」
「食糧をまとめる用と、バケツの代わり」
「えぇっ? お水、こぼれちゃうよ?」
レノに皆まで言わせず、ティスが口を挟む。
兄は苦笑して説明を続けた。
「うん。だから、組立てた箱の内側にゴミ袋を被せるんだ。新品だから、掃除用のバケツよりキレイだ」
「ふーん」
ティスとアマナは、わかったような顔でガムテープを手に取った。
ゴミ袋をガムテープでしっかり固定すれば、水漏れしない。
段ボールとゴミ袋、ガムテープで作った即席のバケツでも充分、一時的な使用には耐える。
女の子三人と少年兵モーフが、即席バケツを組立てた。
レノはその間、口を広げたゴミ袋をカウンターに貼り付け、準備を整える。
ビニール手袋を装着。俎板にアルミホイルを敷き、タマネギを切る。
カウンターの周囲に、タマネギの匂いが漂った。切ったタマネギを小さなビニール袋に入れ、塩コショウを振って横に置く。
「それ、何してんだ? 泣く程ツラいのか?」
作業を終えた少年兵モーフが興味津々で見に来る。レノの正面に立った途端、涙が零れた。驚いて飛び下がる。
「うわっ! 何だこりゃッ?」
「タマネギ。汁に涙が出る成分があるんだ。上手く切れば、泣かずに済むんだけど……ごめんな」
レノは、自治区生まれの少年の境遇を思い、別な気持ちも込めて謝った。
……タマネギみたいな安い野菜も知らないって、どんだけ貧乏なんだよ。
「お兄ちゃん、はい」
別な意味で零れそうになる涙を堪えていると、ピナがそっとポケットティッシュを差し出した。
「お、ありがと」
涙声を誤魔化し、短く礼を言って受け取った。
妹が少年兵にもティッシュを渡す。モーフは手を出さなかった。鋭い目から涙を流し、少女に不審の眼差しを向ける。
「モーフ。厚意を無下にするものではない。受け取って涙を拭け」
隊長が笑いながら命令する。
少年兵モーフは何とも言えない顔で隊長を見、おずおず手を出した。無言でティッシュを受け取り、顔を拭う。
「モーフ、人から親切にしてもらったら、『ありがとう』だ。……すまんな」
隊長が申し訳なさそうに、ピナに頭を下げる。
「あ、いえ、そんな……」
困惑するピナにむくれるモーフ。
ソルニャーク隊長は、仕方のない奴だな、と言いたげに苦笑したが、それ以上は言わない。レノも何も言わず、見守ることにした。
☆湖の民の薬師はまだ目を覚まさない……「0119.一階で待つ間」参照
☆パン屋です……「0021.パン屋の息子」参照




