1196.大使らの働き
アミトスチグマ王国の夏の都は、ラキュス湖上の戦乱を他所に平和そのものに見える。だが、具に観察すれば、巷に落ちる暗い影に気付くだろう。
テロと戦争、クーデターで祖国を追われたネモラリス難民が流入し、ラクリマリス王国の湖上封鎖による物流の停滞が物価上昇や失業を招いたのだ。
開戦直後のアミトスチグマ人は、ネモラリス難民に同情的だったが、ラクリマリス王国軍の発表以来、態度を変える者が増えた。
王国軍が明かした内容は、「魔哮砲」と呼ばれるネモラリス共和国軍の新兵器が、魔法生物を軍事利用したものであるとの極秘情報だ。
態度を変えた者たちは、ネーニア島クブルム山脈以北の諸都市を無差別爆撃したアーテル・ラニスタ連合軍を悪だと批難する声を引っ込め、魔法生物を兵器化し、実戦投入したネモラリス軍……ひいてはネモラリス難民を白眼視する。
難民支援は確かに続くが、集まるヒト・モノ・カネは難民キャンプ開設直後とは比べ物にならない程、減った。
代わりに増えたのは、アーテルの言い分も一理あるとの声だ。
フラクシヌス教団とラクリマリス、アミトスチグマ両王国政府以外は、ネモラリス難民への支援を公式に表明しないが、他の国々も自国に流入する難民を追い返しはせず、また、ネモラリス政府への批難もしない。
この戦争は、ラクリマリス軍の暴露以降、誰からともなく「魔哮砲戦争」と呼ばれるようになった。
駐アミトスチグマ王国ネモラリス共和国大使のイーニーが拳を震わせ、眉を吊り上げる。
「アーテルは、情報空間で共通語圏……即ちキルクルス教社会に対して、我が国が如何に邪悪な存在であるかを喧伝しました」
「うむ。儂も、アミトスチグマに来て初めて知り、驚きましたよ」
ラクエウス議員は正直な気持ちで頷いた。
大使館の応接室には、外交官のイーニーと亡命議員のラクエウスの他、人の姿はない。何かの魔法で駐在武官らが同時に聞く可能性を考慮し、老議員は慎重に言葉を選んだ。
「アーテルは、宣戦布告直後に空軍の大編隊を展開し、ネーニア島の複数の都市に無差別爆撃を行い、無抵抗の民間人を大量虐殺しました。自らが犯した人道上の罪を棚に上げ、魔哮砲の存在、ただ一点で我が国を“滅ぼすべき邪悪”、国民を“殲滅すべき全人類の敵”に仕立て上げようとしているのです」
「開発は極秘で、国民どころか、儂ら、国政に関わる者にすら明かされず、与り知らぬ間に行われたと言うのに」
「それだけではありません。魔哮砲はアーテル空軍の無差別爆撃から国民を守る為、防衛に専念し、アーテル人を一人たりとも殺さなかったと言うのに!」
ラクエウス議員らは、防空艦レッススの轟沈後、魔哮砲がアーテル軍の基地を破壊したとの情報を得た。
イーニー大使ら外交官が本当に知らないのか、こちらの情報量を計ろうとするのか判然としない。ラクエウス議員は態度を保留した。
「アーテルは我々の目と手が届かない電脳空間で、あることないことインターネットで書き散らかしているのです。コソコソ一方的にバラ巻かれた悪評を確認もせず鵜呑みにする愚民しか居ないのですか! キル……ッ」
イーニー大使は早口に怒りをぶちまけたが、自国で唯一のキルクルス教徒議員と目が合うと、続きを飲み込んだ。
手ずから紅茶を淹れ、眉間に皺を刻んでちびちび啜る。事務官が用意して大分経つが、まだ湯気が昇る。
これも何かの魔法だろう。
ラクエウス議員は努めて他のことを考え、湧き上がる怒りから注意を逸らした。
「彼らの考えが一方に偏るのは、無理もありません」
「何故です?」
イーニー大使が、この期に及んでまだ、同じ信仰を持つ者を庇うのか、と険しい目を向ける。ラクエウス議員は視線を正面から受け止めて言った。
「インターネット上には、共通語で読める我が国の一次情報が、まだまだ圧倒的に不足しておるからです」
「しかし、スメールチ国連大使は、バルバツム連邦で奮闘しておいでですよ」
アーテル共和国は、魔哮砲戦争開始と同時に国連を脱退したが、ネモラリス共和国はそうではない。
国連本部のあるバルバツム連邦サンデラエ市に構えた事務所では、様々な活動を展開した。
スメールチ国連大使が公式の会議に出席した際は、積極的な発言と情報発信を続け、一等書記官らも、友好国が開くパーティへの出席、ロビー活動、世界平和を目指す市民団体や人権団体などが主催する集会や会議に出席して顔を繋いだ。
更には、本国の決裁を経ずにタブレット端末を購入し、インターネット上で声明を出すなど、ネモラリス共和国の信頼回復に職員一丸となって取り組む。
イーニー大使は、ラクエウス議員が伝えた「情報発信による攻めの守り」の件をスメールチ国連大使だけでなく、両輪の国に駐在する外交官らに伝達し、SNSでの連携を強化した。
「それでも、まだ足りないと言うのですか?」
「そうです。所謂、お役所アカウントは、本当に興味を持った人しか閲覧せぬものなのだそうです。個別の書き込みについて、解析をご覧になりましたかな?」
ラクエウス議員は、ファーキル少年から教わった通りに確認した。
「……確かに、一万を越えるフォロワーに対して、個別の書き込みに対する閲覧数は数百程度……拡散などの反応も……」
俯いた大使が勢いよく顔を上げる。
「しかし、これ以上、他にどうせよと?」
「関心を持たぬ人々が多く集まる場所でも、情報発信するのです」
イーニー大使が、タブレット端末を手に取って身を乗り出す。
「どこですか?」
「娯楽系のサイト……動画投稿のユアキャストなどに載せるのですよ」
「娯楽……動画……映画を作るのですか?」
大使が訝る。
「アーテルの非人道的な行いの証拠や、我が国の状況を映した動画です。我が国とアーテル、双方の言い分の根拠となる情報がなければ、感情最優先で流れに乗って動く人々は元より、情報を精査し得る聡明な人々も、正しい判断ができませんからな」
ラクエウス議員は、ファーキル少年から説明された情報発信の内容と順序、連携と拡散方法をひとつひとつ、思い出しながら語った。
☆ラクリマリス王国の湖上封鎖……「0127.朝のニュース」「144.非番の一兵卒」「154.【遠望】の術」「161.議員と外交官」「181.調査団の派遣」「190.南部領の惨状」「259.古新聞の情報」「285.諜報員の負傷」「314.ランテルナ島」「339.戦争遂行目的」「340.魔哮砲の確認」「400.党首らの消息」参照
☆ラクリマリス王国軍が(中略)魔法生物を軍事利用したものであると発表……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照
☆都市を無差別爆撃したアーテル・ラニスタ連合軍……「0056.最終バスの客」「181.調査団の派遣」「190.南部領の惨状」「200.魔獣の支配域」参照
☆防空艦レッススの轟沈……「274.失われた兵器」「284.現況確認の日」「1171.泳がせて探る」参照
☆魔哮砲がアーテル軍の基地を破壊したとの情報……「862.今冬の出来事」参照
☆儂ら国政に関わる者にすら明かされず……「241.未明の議場で」「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」参照
☆アーテル共和国は、魔哮砲戦争開始と同時に国連を脱退……「0078.ラジオの報道」「168.図書館で勉強」「249.動かない国連」「259.古新聞の情報」参照
☆ラクエウス議員が伝えた「情報発信による攻めの守り」……「1117.一対一の対話」「1118.攻めの守りで」参照
☆一万を越えるフォロワー……「1164.信任者の実数」参照




