1195.外交官の連携
ただたどしい手つきでタブレット端末をつつくのは、ネモラリス共和国の外交官イーニーだ。
ようやく目的の情報を表示でき、安堵の笑みと共にラクエウス議員に向けた。
向かいの席から差し出された画面に表示されたのは、駐ルニフェラ共和国ネモラリス共和国大使ザミルザーニィからの情報だ。
「SNSの個別メッセージで、外部からは見えません」
「そうかね」
説明されたところで、ラクエウス議員にはSNSの仕組みが全くわからない。
……だが、魔法で移動して直接話さず、インターネットを使ったと言うことは、本国に知らせたくないのだな。
内容は、アルトン・ガザ大陸中部に位置するルニフェラ共和国の新聞の切抜き写真と、ウェブページへのリンクだ。
バルバツム連邦に本社を置く製薬会社が、工場の不具合を解消し、ワクチンの製造を再開したと報じる。
ラクエウス議員は、既に運び屋フィアールカから話を聞き、ファーキル少年が取りまとめた詳細な報告書も読み込んで、この記事より詳細に把握済みだ。
おくびにも出さず、示されたものに目を通した。
「我が国の国連大使が、製薬会社に正規品の販売について問合わせたのですが、断られたそうです」
「何故だね?」
理由も承知するが、外交官らの間でどこまで情報共有が進んだか、確認する。
アミトスチグマ王国駐在のイーニー大使は、向かいのソファで渋面を作った。
「アルトン・ガザ大陸南部で小規模な流行が散発し、封じ込めを優先する為だそうです。特許料を払って製造許可を持つ他の製薬会社は、元々取引のある医療機関を優先しますし、休止中に増産要請を受けた為、これ以上は無理だと……」
「あの辺りはどこも両輪の国で、自力で異物を除去できるから、回収した製品を無償提供したとか何とか言っておらなんだか?」
老議員が記憶を手繰るとイーニー大使は膝の上で拳を握った。
「えぇ。無償提供を受けた国々では大半が、自国民に無料接種を実施し、最新の週報では患者数が減少、或いは増加が止まりました」
「儂は医学の素人なのでよくわからんが、それは、あれかね? 流行が終息に向かっておると?」
「まだ、予断を許さない状況ではありますが」
イーニー大使が深い息を吐き、紅茶の湯気が倒れる。
ファーキル少年の報告書によると、戦闘と政情不安でワクチンや原料を輸出しても必要な人に届かない懸念も、理由に挙げられたとある。
ネモラリス共和国は現在、外国からの視点では、商用やボランティアなど民間人が立ち入ってはならないレベルの危険地帯だ。
アーテル共和国との戦争に加え、キルクルス教系武装勢力の星の道義勇軍、星の標によるテロリズム、フラクシヌス教系武装勢力のネミュス解放軍によるクーデターと首都クレーヴェルの占拠など、安全だと言える要素がひとつもない。
多くの国の外務省が、インターネット上で渡航禁止情報を発表した。
「臨時政府とネミュス解放軍は返品対象のロットを返品せず、それぞれ製造を継続させました。臨時政府の分は間もなくそれも尽きます」
「ネミュス解放軍の方がどうなっておるか、儂にもわからんのですよ」
現地で情報収集を行う者は、何か掴んだ可能性があるが、報告が上がって来ない以上、ラクエウス議員には何とも言えなかった。
「スメールチ国連大使が、アルトン・ガザ大陸南部の国々に駐在する外交官たちに情報収集を依頼しております」
「複数の国を経由させるのかね?」
「協力してくれる製薬会社や医療機関がないか、まだ調査段階で、具体的なルートの策定には到っておりません」
亡命議員にそこまで明かし、シーニー大使は【渡る白鳥】学派の徽章を片手でこねくり回して目を伏せた。
本国を経由しない外交官の連携体制が構築されたと見て、ラクエウス議員は紅茶を口に含んで考えた。
駐アミトスチグマ王国ネモラリス共和国大使館の窓からは、駐在国独特の白い街並が一望できる。なだらか坂の終わりには、フラクシヌス教徒が「女神の涙」と崇めるラキュス湖が満々と水を湛え、八月の残り陽に輝く。
「臨時政府は、大使館を通じて湖南地方の国々に要請を出し、現地の製薬会社にも依頼しましたが、まだどこからも回答がありません」
そちらは容易に想像がつく。魔哮砲開発の件だ。
湖南地方の小国は、ネモラリス共和国を支援することで、魔哮砲の存在を追認したと看做されることを警戒するのだろう。
さりとて、真っ向から断りを入れた場合、その後の関係……特に湖の女神パニセア・ユニ・フローラ派の信者は、女神の血に連なるラキュス・ネーニア家の不興を買うことも同時に恐れるのかもしれない。
旧ラキュス・ラクリマリス王国の共和制移行時に下野したとは言え、フラクシヌス教徒の間では神にも等しく見上げる存在であろうことは、キルクルス教徒のラクエウス議員にも推測できる。
だからこそ、ウヌク・エルハイア将軍の元にネミュス解放軍が成ったのだ。
「儂の方からも、その件に関して情報収集を依頼しましょう」
「よろしくお願いします」
「それとは別に、情報発信にも力を入れましょう」
ラクエウス議員は卓上のタブレット端末を手に取り、イーニー大使に返した。




