1194.祓魔の矢の力
流れ弾を考慮する余裕を失い、闇雲に発砲する。ライフル弾は魔獣の脇を抜け、乱戦の手前の地面で小さな土煙を立てた。
誰にも当たらずに済み、我に返った少年兵モーフは、冷や汗を拭った。
漁師の爺さんが力ある言葉で何か言う。メドヴェージを守る為に立てたものの、置き去りにされた水壁が動いた。
ドラム缶三本分くらいの水塊が、馬程もある四眼狼に叩きつけられ、灰色の魔獣を包んで宙に浮かせる。
四眼狼は四肢で力強く水を掻き、休耕地に降り立った。
濡れた毛が貼り付き、一回り小さくなったが、逞しく隆起した筋肉が強調され、却って強そうに見える。
「肺に水を流し込んでも平気だとは……」
老漁師アビエースが顔色を失う。
視線の先で四眼狼が身を震わせ、水滴を払う。その首筋に槍のように伸びた水塊が飛来した。先端が触れた瞬間、光と共に肉と濡れた毛が弾ける。
水塊が戻る先を辿ると、休耕地に散開したふたつ東隣の村の自警団が居た。
戻った水から銀の矢を取って握る。
「そうか! 【祓魔の矢】だ!」
アビエースの顔色がよくなった。
移動放送局プラエテルミッサの備品から貸し出したなけなしの武器だ。
他の十二本の矢も、細い水塊に運ばれ、槍の穂先のように魔獣たちを刺す。
本物の槍やライフルの弾道と違い、水流は術者の意を受け自在に曲がり、味方を避けて灰色の毛皮に当たった。
「やっと魔力の充填が終わったのか」
漁師の爺さんの呟きで、少年兵モーフの頭に昨日の話が甦る。【祓魔の矢】は一度発動させれば強力だが、次の準備が長いのが欠点だと聞いた。
この魔法の矢は、当たりさえすれば、呪文を知らなくても鏃に刻まれた術の効果が発動する。
移動放送局プラエテルミッサが貸し出したのは、【光の矢】【風の矢】【魔滅の矢】の三種類十三本だ。
魔力の充填に時間が掛かる上、長時間維持できず、発射直前にせざるを得ない。
弓の射撃に限らず、手で刺しても発動するが、魔獣との接触は危険極まりない。
メドヴェージが魔法の剣を矢傷に突き立てた。とっくに魔力が尽き、切れ味は並の剣と同じ筈だが、魔法の攻撃で毛皮がなくなった部分には難なく刺さる。魔獣の肩を蹴った勢いで剣を引き抜き、立て続けに揮う。
メドヴェージと狩人の鉈、大鎌を手にした自警団がトドメを刺し、一頭、また一頭と四眼狼が休耕地に横たわった。
自警団も無傷ではなく、負傷者が【跳躍】を唱え、次々と戦場を離脱する。
行き先は移動放送局が停まる村だ。
小中一貫校の保健室で、呪医セプテントリオーが、薬師のねーちゃんが用意した魔法薬と共に待機する。
漁師の爺さんは、呪符を一枚握って戦いを見守る。
……俺が居るから、助太刀に行けねぇんだよな。
少年兵モーフは、己の無力を呪った。
並の狼と同じくらいの四眼狼には手傷を負わせられたが、馬くらいにまで育ったモノには、普通のライフルでは全く歯が立たなかった。
下手に撃っては味方に当たる。
……足手纏いになるくらいなら、来なきゃよかったな。
後悔に項垂れながらも、手は無意識に弾を装填する。
「そっち行ったぞッ!」
狩人の叫びで反射的に顔を上げた。
残り二頭の内、一頭が血飛沫を上げながら駆けて来る。森へ逃げないのは、ふたつ東隣の自警団が【操水】で建てた泥流の壁があるからだ。
……ここ、一番弱そうだもんな。
漁師の爺さんが呪文を唱え、呪符を持つ手を魔獣に突きつけた。
紙片から光の筋が伸び、蛇のようにくねって四眼狼に巻きつく。勢い余った魔獣が地面に叩きつけられた。
メドヴェージが追い付き、背の傷を魔法の剣で抉った。魔獣の身が一瞬強張ったかと思うと、悲鳴を上げる間もなく灰と化して風に散る。その灰も、地に着く前に消え去った。
「存在の核に当たったのか」
アビエースがホッと息を吐き、力を放出した呪符の灰に塗れた手を叩く。
残る一頭も、狩人の鉈がケリを着けた。
泥流が地面とひとつになり、水だけが休耕地を這って、地に染み込んだ血と魔獣の死骸を集める。【祓魔の矢】の担当たちが地面に円を描いて【炉】を熾した。
漁師の爺さんが【操水】でメドヴェージの返り血を洗い流して【炉】に焼る。
先に血を焼く横で、武器にした農具をペンチに持ち替えた自警団が、四眼狼の牙を折り取る。
素材屋にそこそこの値で売れるらしい。
「あんた、力なき民なのに凄いな」
「どこで剣技を身につけたたんです?」
緑髪の自警団たちが、メドヴェージに笑顔を向ける。おっさんは、洗われてもまだ止まらない汗を手の甲で拭い、笑顔を返した。
「ま、色々だ。それより、暑くて堪ンねぇ。早く帰らせてくれや」
「あッ!」
湖の民たちは、モーフとメドヴェージが持つ【魔力の水晶】が力を出し尽くし、リボンの【耐暑】が失効したことに思い当たったようだ。
モーフも、言われて初めて、自分が汗びっしょりなのに気付いた。
……終わった……けど、一頭も倒せなかった。
少年兵モーフは藁を積んだ荷台を降り、俯いて【真水の壁】の囲いを出る。
「俺、居ない方がよかったよな」
「坊やが最初に一発当ててくれたお陰で助かったよ」
「へ? でも……」
「普通の武器でもイケるって証明してくれたから、俺らは勇気出せたんだ」
「でなきゃ、誰が最初に行くかでモタついて、もっと酷いことになってた」
「ありがとう」
礼の言葉に送り出され、モーフたちはみんなが待つ村へアビエースの【跳躍】で帰った。
☆存在の核に当たった……「233.消え去る魔獣」参照




