1192.誘き寄せる罠
肩を揺すられ、少年兵モーフは目を開けた。【灯】のぼんやりした光の下で、メドヴェージが唇に人差し指を当てる。
モーフは小さく顎を引いて長椅子から身を起こした。
他のみんなはまだ夢の中だ。
足音を忍ばせ、モーフ、メドヴェージ、アビエースの三人は、移動放送局プラエテルミッサのトラックの荷台を降りた。
校庭の土に降り立つ足音が夜明けの空気を震わせ、ひやりとして振り向く。
荷台で寝息を立てるみんなは動かない。
三人は慎重に足音を殺して村長宅へ向かった。
村長の妻は諦め顔で軽い朝食を用意してくれた。
昨日の作戦会議では、四眼狼は十頭以上の群だと聞いた。
一頭でも厄介な相手だ。
誰もが口数少なく、何を食べたか味がわからない腹拵えを終えた。
メドヴェージが村長に預けた魔法の剣を受け取る。
柄に埋め込まれた【魔力の水晶】が淡く輝いた。
少年兵モーフも、村長の息子から、昨日整備したばかりのライフルを受け取る。弾のケースを通したベルトを村長の妻が巻いてくれた。
空はすっかり明るくなり、雀の群が賑やかに鳴き交わす。
村の門には、既に農具を手にした男たちが集まっていた。
「自警団のみなさん、よろしくお願いします。くれぐれも無理はなさいませんよう。危なくなったら【跳躍】して下さい」
「生きていれば、次の機会がありますからね」
「ご武運を」
村長夫妻の短い激励を受け、森に隣接する休耕地に【跳躍】した。
既に東隣の村の自警団が居て、狩人の指示で準備の最中だ。
もうひとつ東隣の村の自警団は、まだ姿が見えなかった。
荷車と藁で作った隠れ場所が、少年兵モーフに用意された狙撃地点だ。
自警団は、生い茂った夏草を大型の鎌で刈り、牧草用の大きなフォークで集めて山にする。鎌とフォークは、朝の光とは別の光に淡く輝く。
漁師の爺さんアビエースが、【魔除け】の術だと教えてくれた。
残りの半数が草刈り跡を【魔除け】を掛けた鍬で耕し、思い思いに武装した自警団は、三人一組でゆっくりと休耕地を進む。
狩人が、草を積み上げた山の中に赤く染まったボロ布を仕込む。今朝絞めた鶏の血を染み込ませたものだ。
これまでは、本当の農作業中に襲われる度に場当たり処理で出動したが、今回は違う。
魔獣の群を誘き寄せ、こちらから叩く。
モーフが配置に着くと、漁師の爺さんアビエースは、ポケットから呪符を取り出し、メモを見ながら呪文を唱えた。
少年兵の眼には何も見えないが、術者には魔力の流れで【真水の壁】が建った範囲がわかるのだと言う。
爺さんは棒きれで地面に線を引き、次の呪符を取り出した。
藁を積んだ荷車を三角に囲んで、モーフの正面にだけ、少し隙間を残すと教えられた。説明通り、老漁師アビエースが引いてくれた目安の線は、モーフの前で大人の肩幅の半分くらい開口する。
漁師の爺さんが身体を横にして、見えない壁の中に入った。
「何かが当たると青くなる。衝撃を吸収しきれなくなったら壊れるから、色が濃くなったら、逃げる用意をするんだよ」
「おう!」
爺さんが【無尽の瓶】を握り、荷車の陰にしゃがむ。
昨日、薬師のねーちゃんは、市民病院で見たと言う戦い方を兄貴である老漁師に教えた。
「内乱中にしょっちゅう見たアレだな」
話を聞いて呟いた漁師の爺さんは、寂しそうだった。
ふたつ東隣の村の自警団も到着した。
八割くらいが、漁師の爺さんと同じ物を手に休耕地前の国道に並び、残りは休耕地に点々と散る茂みの陰に身を潜める。
弓と銀の矢を持つ狩人も、重ねた藁束の後ろに回り、メドヴェージは見えない壁の外、森に近い所に立った。
力なき民の二人は【耐暑】のリボンと【魔力の水晶】を渡され、今は涼しい。遠目には、お揃いの赤い鉢巻きを締めたように見えるだろう。
魔法の道具を使いたくないなどと、寝言を言える状況ではなかった。
耕す者と草を刈る者、集める者が、三十分ずつで作業を交代する。
刈られた草の根が掘り起こされ、青臭さと土の匂いが風に乗って届く。
鼻のいい四眼狼には、鶏の血と大勢の人間の匂いも届いただろう。
暑さではない汗が掌を湿らせ、モーフはズボンで手を拭いながら待った。
影が短くなり、耕し終えた黒土が広がる。
……待ち構えてる時に限って来ねぇなんてコトねぇよな?
昼少し前、蝉の声に微かな鈴の音が混じった。
モーフが国道を見ると、ふたつ東隣の村の自警団は大量の水を車道に這わせ、全員があらぬ方を見る。
……来た!
休耕地の自警団に緊張が走り、顔が一斉に森を向く。
狩人が張った【警報】の術だ。
四眼狼に逃げられないよう、引っ掛かる場所は森の端、警報音が鳴るのは国道に分けて術を掛けたと言う。
木下闇から黄金色に輝く四つの目が現れ、落ち枝を踏み折る音が風に乗る。
少年兵モーフは、ライフルの安全装置を外した。
木々の間に四つずつ黄金色の光が見え隠れする。
魔獣にも、いつもと様子が違うのを怪しむ知恵があるのか、なかなか森から出てこようとしない。
狩人が藁束の陰で弓を引き絞った。
☆昨日の作戦会議……「1191.一人前の戦士」参照
☆何かが当たると壁が青くなる。衝撃を吸収しきれなくなったら壊れる……「0932.魔獣駆除作戦」~「0934.突破された壁」参照
☆市民病院で見たと言う戦い方……「0012.真名での遺言」「0015.形勢逆転の時」参照




