1189.動きだす状況
もう少しで夏休みが終わる。
レノ店長は、バザーの手伝いをしにアミトスチグマ王国へ行くなど、家庭科の特別講義がなくても忙しそうだった。
今月最後のバザーが終わったとかで、ここしばらくはずっと移動放送局のトラックに居る。
クルィーロにタブレット端末を借りて、ソルニャーク隊長やラジオのおっちゃんと一緒に新聞記事や報告書を読んだり、紙の本を読んだりして過ごす。
蝉の声は減ったが、トラックの外は相変わらず暑い。
村唯一の小中一貫校の校庭は、残暑の厳しい日射しに炙られて白く灼ける。【耐暑】の術を使えない力なき民が、他の対策なしで外に居れば病気になる暑さだ。
リストヴァー自治区のバラック街では毎年、大勢が暑さにやられた。
死体は半日もしない内に腐り、異界から魔物を呼び寄せ、周辺の者も食われて居なくなる。魔物が何人も喰らって受肉し、魔獣化を終えるまで、力なき民しか居ない自治区では手も足も出なかった。
この村の住人はみんな湖の民で、薬師のねーちゃんと同じ緑髪で【耐暑】やら何やら魔法が掛かった服で守られる。
村人たちは、真昼の一番暑い時間帯でも、平気で野良仕事に出る。その方が、魔物や雑妖に煩わされないからだ。
運び屋フィアールカにタブレット端末をもらったクルィーロは、魔法使いだが工員で、科学文明国の最先端機器も難なく使いこなす。
……ズルいよな。一人であれもこれもできるなんてよ。
モーフが羨み拗ねたところで、クルィーロと同じ能力が身に付くハズもなく、溜め息を吐くしかなかった。
レノ店長も同じことを思ったのではないのだろうが、彼は昨日から「水晶で使う鳩の術」と言う本を熱心に読む。
少年兵モーフは、横目でチラ見しただけで頭が痛くなり、慌てて目を逸らした。
……難し過ぎて何書いてあんのか全然わかんねぇ。
学校で全く習わなかった字が数行書かれた下で、湖南語の小さい文字ががびっしり並ぶ。多分、最初の数行が、魔法使いの「力ある言葉」なのだろう。
ピナによると、力なき民でも【魔力の水晶】と力ある民の助けがあれば、使える術を集めた本らしい。
レノ店長とピナが普段、パン焼きや料理に使う【炉】の術もそうだと言う。
準備として、魔法使いの工員クルィーロや薬師のねーちゃんが、ステンレスのバットに油性ペンで魔力を籠めて円を描いておく。ピナたちも【魔力の水晶】を握って呪文をとちらずに唱えれば、その円の中で魔法の火を熾せる。
力なき民が描いた円ではダメな上、【魔力の水晶】に魔力を入れてもらわねばならず、便利さが中途半端だ。
ピナは、薬師のねーちゃんが一緒に買った「秋の野草ガイド」を熱心に読む。
こちらは図と写真が多く、モーフにもわかりやすそうだが、ページの下半分を占める説明文は教科書よりずっと難しく、手に負える気がしなかった。
……夏の内に憶えときゃ、秋になってすぐ採りに行ける。やっぱピナって頭イイんだな。
呪医セプテントリオーが「冒険者カクタケア」の本を全部、ラクリマリスの神殿に持って行ってしまった。
アーテルの本をそんな所に持ち込んで、怒られやしないか心配だ。
ソルニャーク隊長が荷物持ちでついて行ったが、ネモラリス島北東部に停まる移動放送局プラエテルミッサのトラックに戻ったのは、呪医だけだ。
隊長は、ロークと一緒に泊まり込みで調べ物をするらしい。
呪医は帰ってすぐ保健室に呼ばれ、来る日も来る日も、怪我人の治療に明け暮れる。
……ちったぁ気ィ付けろってんだ。センセイが居るからってどいつもこいつも油断しやがって。
何となく億劫になり、教科書を読む気が起きない。
長椅子に寝そべり、何をするでもなく荷台の天井を眺める。金属製の壁と天井には何枚も【耐暑】の呪符が貼られ、外とは別世界のように涼しい。日のある内は、校舎に便所を借りに行くのがイヤになるくらい、ここは涼しい。
足音に気付き、開け放たれた扉を見ると、丁度、薬師のねーちゃんとアマナの父ちゃんが帰って来るのが見えた。
「ただいま。……あれっ? アマナは?」
「ティスと一緒に仲良くなったコの家に遊びに行ったッスよ」
「そうか。ありがとう」
モーフが起き上って答えると、アマナの父パドールリクは少しさびしそうに笑った。
ねーちゃんが薬を作るのに何日かかるかわからず、帰りの日が決まらなかったとは言え、これまでのアマナなら毎日、村の入口に立って父の帰りを待っただろう。
「クルィーロは?」
「レーチカッス。ラジオのおっちゃんと葬儀屋のおっさんと一緒に情報収集」
「そうか。そっちも何日掛かるか、決まってないんだったね」
そう言う二人も、アミトスチグマから戻ったのは三日振りだ。
「対症療法用のお薬、たくさん作って来たから」
薬師のねーちゃんが大荷物を置いて、小声で言う。
「バルバツムの会社が、ワクチンの製造を再開したって」
「じゃあ、トラック動かせるようになるんだな?」
メドヴェージが紙の報告書を置いて起き上る。
「アルトン・ガザ大陸南部の流行地を優先するそうなので、ネモラリスに供給されるのが、いつになるかわかりませんが」
パドールリクが、俯いた薬師のねーちゃんの代わりに答える。
メドヴェージはニヤリと笑ってモーフの肩を叩いた。
「だってよ。じゃ、俺らはちょっくら助太刀しに行くか」
「は? 何の?」
「魔獣狩りだ。センセイに楽させてやろう」
使えそうな武器はひとつしかない。
少年兵モーフは、荷台の壁に掛けられた魔法の剣を見た。
☆アミトスチグマ王国へバザーの手伝いをしに行く……「1115.売り手の悩み」「1116.買い手の視点」、「1140.自活力の回復」「1141.帰らない日々」参照
☆家庭科の特別講義……「1096.教育を変える」「1097.災害時の料理」参照
☆「水晶で使う鳩の術」と言う本……「641.地図を買いに」「642.夕方のラジオ」「688.社宅の暮らし」参照
☆呪医セプテントリオーが「冒険者カクタケア」の本を全部、ラクリマリスの神殿に持って行ってしまった……「1165.小説のまとめ」~「1167.流れを変える」参照




