1188.繰り返す悪事
アウェッラーナとパドールリクが食堂に寄ると、ラゾールニクが居た。紅茶を啜りながら、熱心にタブレット端末をつつく。
「あ、丁度いいとこに」
小さな画面から顔を上げ、手招きする。
二人は彼の左右に分かれて端末を覗いた。
ニュースサイトだ。
見出しが視界に入った瞬間、薬師の心臓が跳ね上がる。パドールリクが、夢でも見たような声で呟いた。
「ワクチン製造再開……でも、アルトン・ガザ大陸南部が優先なんですね」
「その辺の国、幾つかで小規模な流行が起きたんだ」
「他所へ飛び火しないように……ですか」
薬師アウェッラーナは唇を噛んだ。
「バルバツムの同志が、ネットに上がってない現地情報を送ってくれて、ファーキル君にまとめてもらってるとこ」
「あぁ、それであんな忙しそうなんですね」
パドールリクが頷くと、ラゾールニクは当たり前のように言った。
「その内、クルィーロ君の端末にも報告書が届くと思うから、接続環境のあるとこ行ったら、確認忘れないように言っといてくれます? お父さん」
「えぇ、そのファーキル君なんですが……」
パドールリクが、難民の就労に絡む事件で、ファーキルが責任を感じて落ち込んでいると告げる。
ラゾールニクは、乾いた声で笑った。
「そんなの気にしたって仕方ないのに」
「しかし……」
「密輸の件、昨日のニュースに出たからな。でも、そんなのカワイイもんさ。まだニュースになってないだけで、年寄りは焼き殺されて【涙】に、子供は売り飛ばされて、力ある民は呪医として育てられるか、後ろ暗い儀式に使われるか。力なき民は運がよけりゃ養子、そうでなければ、何かの素材だ」
ラゾールニクが人身売買をさらりと語り、アウェッラーナは肩を落とした。
「半世紀の内乱中もそうだったけど、また、繰り返すんですね」
「歴史は繰り返すって言うか、たった三十年で、人間そう変わるもんじゃない。まだ“歴史”って程、遠くないよね? 君にとっちゃ思い出レベルの近い過去だ」
「そうですけど……」
長命人種のアウェッラーナは、外見こそ中学生のピナティフィダと同じくらいだが、実年齢は六十歳の手前だ。半世紀の内乱中に生まれ、人生の半分近くを戦乱の中で過ごした。
「内乱中、それで甘い汁吸った奴が、今回は心を入れ替えて大人しくしてるなんてコト、あるワケないじゃないか」
「そう……ですね。ネーニア島の立入制限区域で、【魔道士の涙】がどう扱われたか……」
パドールリクが沈痛な面持ちで俯く。
薬師アウェッラーナは、あの冬の日を思い出した。
星の道義勇軍のテロ攻撃でゼルノー市が燃え、父と姉の安否を確認しに市民病院へ【跳躍】した。付添いの姉は不在で、父とアウェッラーナは戦闘に巻き込まれ、目の前で父を殺された。
アウェッラーナは薬師として、市民病院の職員と共に負傷者の治療に当たった。
あの時、葬儀屋アゴーニが、疲れ切った薬師に渡したのは【魔力の水晶】ではなく【魔道士の涙】だ。
小粒ばかりの出所は、市立高校だと言われた。【涙】の身元やその家族の安否を確認できないまま、アウェッラーナは薬師として、目の前の生存者を助ける為、魔法薬を作り続けた。
小さな【涙】は薬が完成する度に魔力を出し切り、薬師の手の中でひとつ、またひとつと砕け散った。
彼らが存在した痕跡を消費してまで助けたゼルノー市民は、アーテル・ラニスタ連合軍による無差別爆撃に晒され、幾人が生き延びられたかわからない。
……私とアゴーニさん、何もない時なら犯罪者なのよね。
アウェッラーナが物思いに沈む間も、パドールリクとラゾールニクの話は続く。
「職業の分類方法が違うから、ちょっとズレるかもしれないけど、強いてアミトスチグマ式の分類にするとしたら、ネモラリスの求職者総数って多い順に初級、一般、中級、上級だ」
「アミトスチグマではどうですか?」
「初級、中級の順で多くて、一般と上級が同じくらい少ない。ネモラリスは半世紀の内乱で国を分けた時、今のラクリマリス領から流入した分だけ、力なき民が多いんだ」
「そうですね。難民キャンプの方も、国内では身を守れない力なき民が」
「ざっと見積もって八割くらいかな。力ある民なら、ラクリマリスでも受け容れてもらえるし」
首都クレーヴェルで、ネミュス解放軍がクーデターを起こした際、パドールリクは難民キャンプ行きを提案した。
成り行きで国内に留まり、現在はネモラリス島北東部の農村で足留め中だ。
……ホントは、子供たちの為に国外へ避難したいんでしょうに。
彼が王立職業紹介所へ行きたがったのは、ラジオ用の情報収集の為だけではあるまい。
項垂れた視線の先で、タブレット端末が遠いアルトン・ガザ大陸のニュースを示す。バルバツム連邦政府は、製造が再開したワクチンの輸出を支援し、アルトン・ガザ大陸南部で発生した流行を食い止め、拡散を防ぐ複数の対策を実施中だ。
関連リンクに「渡航制限対象国」がある。
……ネモラリスには売ってくれない……なんてコト、ないよね?
薬師の脳裡を一抹の不安が過る。
アウェッラーナはそれを頭の隅に追いやり、大きく膨らんだリュックサックを手に取った。中身は全て、対症療法用の薬を作る素材だ。
☆ワクチン製造再開……「1167.流れを変える」参照。呪医セプテントリオーと入れ違いになり、情報共有できていない。
☆あの冬の日(中略)負傷者の治療に当たった……「0006.上がる火の手」~「0012.真名での遺言」「0015.形勢逆転の時」参照
☆葬儀屋アゴーニが、疲れ切ったアウェッラーナに渡したのは【魔力の水晶】ではなく【魔道士の涙】……「0016.導く白蝶と涙」「0023.蜂起初日の夜」「0024.断片的な情報」参照
☆アーテル・ラニスタ連合軍による無差別爆撃……「0056.最終バスの客」参照
☆力ある民なら、ラクリマリスでも受け容れてもらえる……「222.通過するだけ」「271.長期的な計画」「675.見えてくる姿」参照
☆パドールリクは難民キャンプ行きを提案……「709.脱出を決める」参照




