1184.初対面の旧知
「思ったより早く終わりましたね」
買出しが一軒で済み、薬師アウェッラーナは拍子抜けした。
ゼルノー市では、素材屋が生産者や採取業者と直接取引する為、取扱品目が細かく分かれる。大きい店でも、特定の生産者らと付き合いがなければ、扱えない素材が多かった。
素材の値段は安いが、勤務先のアガート病院から発注する際、取引先が多数に上り、注文や伝票の処理などが煩雑で、何かと大変だった。
今となっては、月末の忙しさが遠い昔に思える。
アミトスチグマの素材屋は、間に仲買業者が入る。
多少、品揃えにバラつきはあるが、どの店も総合的に扱い、店頭にない場合は取寄せてくれると言う。
仲介手数料の分、品物の値段は上がるが、「便利代」だと思えば、高いとは言えなかった。
薬の素材は乾燥させた物が多く、嵩はあるが、見た目の割に重くない。
アウェッラーナは大きく膨らんだリュックを背負い直して、同じく軽い大荷物のパドールリクに声を掛けた。
「夏の都で行きたい所、どこかありますか?」
「王立職業紹介所に寄りたいんですが、お時間、大丈夫ですか?」
「お仕事、アミトスチグマで探されるんですか?」
「いえ、ラジオ用の情報収集です。もし、難民キャンプの奥地に伝わっていなければ、アゴーニさんが伝達して下さるそうです」
パドールリクは手帳を捲り、手書きの地図を開いた。
「場所はこの間、クルィーロに調べてもらいました」
「流石……用意がいいですね」
「前々から、個人的にも気になっていたので、準備だけ進めてたんですよ」
去年まで会社員だったパドールリクが、さらりと言って歩きだした。
薬師アウェッラーナは、並んで歩きながら聞く。
「以前から気になってたコトって何ですか?」
「難民に対するアミトスチグマ人の感情です」
「あっ……」
薬師アウェッラーナは、ファーキルが去年、ザカート隧道を抜けてすぐに見せてくれたインターネットのニュースを思い出した。
共通語の記事で、「フラクシヌス教会」などと明らかな誤りもあったが、後で内容そのものは、間違いないとわかった。
アミトスチグマ政府は、ネモラリス共和国の戦争難民を支援すると表明した。大森林の開拓によるキャンプ地の設営、医療や食糧の支援だけでなく、同国内での就労の斡旋も行う。
昨年の世論調査では、三割近いアミトスチグマ人が、キルクルス教国のアーテルから突然、理不尽な攻撃を仕掛けられたネモラリスのフラクシヌス教徒に同情を寄せ、何らかの支援をしたいと回答した。
その一方、自国の食糧や医薬品などの高騰を懸念する声や、職を奪われるのではないかと危惧する声も同程度、挙がった。
残る四割は「わからない」と態度を保留したが、状況次第でどちらにも流れるだろう。
開戦から一年半以上経た現在、アミトスチグマの世論はどちらに傾いたのか。
アウェッラーナは製薬作業に追われ、ファーキルの報告書すべてに目を通す時間を取れず、流し読みが精一杯だ。
「パドールリクさん、アミトスチグマの世論調査……最近、見ました?」
「その裏付け調査をしようと思いまして……」
パドールリクの表情は硬い。
「その前に、ファーキル君と会って最新結果を見せてもらいませんか?」
パドールリクは沈黙した。支援者マリャーナ宅を訪れるのは初めてで、ファーキルとも面識はないが、ものの数秒で薬師の提案に同意した。
「薬師さん、ようこそ。お連れさんも。ファーキルさんは丁度、作業が一段落してお茶を飲んでいるところですよ」
マリャーナ宅の執事は、湖の民の薬師と連れの中年男性を快く迎え、食堂に案内した。
「ファーキルさん、休憩中にごめんなさいね」
「いえ、久し振りに直接会えて、嬉しいです」
微笑んだファーキルは、【巣懸ける懸巣】と【穿つ啄木鳥】学派の徽章を提げた男性十人と大きな卓を囲む。紅茶と焼き菓子の間には、A4サイズの地図が何枚も散らばる。
少年の視線が、薬師の傍らに立つ金髪の男性に注がれる。
「こちらはパドールリクさん。クルィーロさんとアマナちゃんのお父さんです」
「ファーキル君、初めまして。……会うのは初めてだけど、いつも報告書を読んでいるよ。話には聞いていたけど、本当に中学生だったんだね」
「初めまして。俺も、アゴーニさんたちからしょっちゅう聞いてたんで、初めてな気がしません」
紹介するまでもなく、パドールリクはクルィーロが歳を取ればこうなるだろうと思うくらいそっくりだ。
……見た目は似てるのに、魔力の遺伝は別なのね。
使用人は、お茶を乗せたワゴンを置いて行った。
パドールリクが、散らかった卓を見回して聞く。
「これは……難民キャンプの地図ですか?」
「そうです。【飛翔】できる者が空撮したものを元に略図を起こしたんです」
答えた【巣懸ける懸巣】学派の建築家は、黒髪に白い物が目立つ。
若い【穿つ啄木鳥】学派の職人が、一枚をパドールリクに渡した。
職人たちが口々に言う。
「家建てるの優先したからね」
「資機材を詰めた【無尽袋】を【飛翔】や【跳躍】で運んだんだ」
「現場で伐って、材木と用地確保を同時進行したので、道を作る余裕がなかったんです」
「王国政府や国連、ボランティアの車を通すのに、手前の区画から順番に道を後付けするんですけど、これがなかなか……」
茶髪の職人がぼやく。
灰色頭の建築家が地図に指を走らせた。
「アミトスチグマ建設省のお役人は、家がある区画を縫うより、少し離れた場所に太い道を真っ直ぐ通せば効率がいいと言うのですが……」
「そこから枝道を伸ばすんですよね? 何か問題が?」
アウェッラーナたち、都市計画の素人でもわかりやすい案だ。
「えぇ。他に、荷物を降ろす作業場を設ける案もありますが……」
建築家が言い澱むと、【穿つ啄木鳥】学派の職人がじれったそうに続けた。
「地元の……パテンス市建設業組合の人が“要の木”があるから、そんなのダメだって言うんですよ」
「要の木?」
湖の民アウェッラーナが首を傾げると、同族の建築家が答えた。
「強い木霊が宿る樹です。要の木を伐ってはならないと。あ、申し遅れました。我々はネモラリス建設業協会の者です」
「初めまして。ゼルノー市で薬師をしていた者です」
向こうが呼称を名乗らないので、こちらも合わせた。
「要の木は自分で『伐らないで』って言うから、区画の中に何本も、大木を残してあるんですよ」
「畑も要の木を避けて作るから、小さいのがちまちま」
「何せ、ずっと手つかずだった森でしたからね」
「奥に行く程そんな樹が増えて、道どころか家も建てにくくなってしまって」
若者が溜め息を吐くと、他の協会員も難しい顔で頷いた。
☆去年まで会社員だったパドールリク……「709.脱出を決める」参照
☆アミトスチグマ王国政府が、ネモラリス共和国の戦争難民を支援すると表明……「204.難民キャンプ」、就労の斡旋「219.動画を載せる」参照
☆ネモラリス建設業協会……「401.復興途上の姿」参照




