1181.事前確認の席
仕立屋クフシーンカ宅には、かつて大量のレコードと立派な再生機があった。
半世紀の内乱から唯一生き残った身内、弟のハルパトールの持ち物だ。
竪琴奏者は、リストヴァー自治区唯一の国会議員となってからは、誰からともなく罠と呼ばれるようになったが、弟の音楽を愛する心は変わらなかった。
自治区での暮らしが落ち着いた頃から、弟はレコードと楽譜を蒐集し、度々自宅に人を招いては鑑賞会を行った。
ラクエウス議員は、冬の大火の後、被害状況の調査で自治区に帰ったが、すぐにネモラリス中央政府がある首都クレーヴェルに舞い戻った。
魔哮砲に関する採決で、ラクエウスら使用に反対した国会議員たちが捕えられ、後日、議員宿舎を脱出して国内外に潜伏、或いは、政府軍に殺害されたと知ったのは、かなり経ってからだ。
弟のハルパトールは現在、亡命議員として遠く離れたアミトスチグマ王国に身を寄せる。
もう二度と、生きてネーニア島の土を踏むことはないだろう。
クフシーンカは、大火の罹災者支援事業を起ち上げ、家財道具を活動資金に換えた。弟の蒐集物はひとつも残さず、棚やソファに到るまで売り払った。
手許に残した音響機器と呼べる物は、小型ラジオだけだ。それも、情報収集の為で、クフシーンカは長らく音楽から遠ざかってしまった。
大火の後で耳にした音楽は、ネミュス解放軍の襲撃を受けた日に礼拝堂で、避難民が歌った「すべて ひとしい ひとつの花」だけだ。
壁新聞用の翻訳を大学生たちに任せ、五人はクフシーンカ宅に集まった。
菓子屋の夫婦と銀行員の妻、大工の娘が、何もない防音室に荷物を運ぶ。
ラジカセを木箱に置き、五人は前に並べた木箱に腰掛けて録音を聞いた。
手許には、ラクリマリス王国のAMシェリアクで放送されたと言う特別番組「花の約束」の番組進行表と楽譜がある。
「こんばんは。二十三時三十分、特別番組『花の約束』の時間が参りました。お相手はDJレーフと」
「平和の花束のアルキオーネです」
「タイゲタです。こんばんはー!」
クフシーンカは、番組名を告げたDJの声に憶えがあった。
ネミュス解放軍の暴走を止めるべく、ウヌク・エルハイア将軍に情報提供し、そのまま自治区に連れて来られたと言う金髪の青年だ。
……どう言うコト? FMクレーヴェルの職員ではなかったの?
他の四人も首を傾げる。
和平成立の放送は、国営放送リストヴァー支局の地元アナウンサーと、ウヌク・エルハイア将軍と共に来たDJレーフが原稿を読み上げた。
ラジカセから流れる録音で、DJレーフ自身が特番出演の理由を語る。
「DJレーフと平和の花束がお届けする歌の特番『花の約束』です。残念ながら、昨年始まった戦争がまだ終わってなくて、実は俺も避難生活なんですよね」
「レーフさん、どこに住んでたんですか?」
少女の声が聞く。
「ネモラリスの首都で、FMクレーヴェルのDJしてたんだけどね」
「首都って空襲の被害、そんなに酷くなかったんじゃ……?」
「星の標のテロや、政府軍とネミュス解放軍の戦闘に巻き込まれて、住むとこなくなってね。ネモラリス島の田舎の方に……今回は、この放送の為にフナリス群島に来たんだ。ラクリマリスのみなさんは、俺たちネモラリス人の難民を色々助けて下さって、ホントにありがとうございます」
クフシーンカは、この放送にネミュス解放軍が一枚噛んでいると勘繰らずに居られなかったが、唇を引き結んでカセットテープの音声に集中した。
カリンドゥラの歌声に肩の力が抜ける。
最後に親友の歌声を耳にしたのは、ネミュス解放軍の襲撃を受け、東教会に立て籠もった時だ。
今、ラジカセから流れるのは、国営放送の天気予報のBGM「この大空をみつめて」――手許の楽譜の隅には、原曲が【飛翔する燕】学派の呪歌【やさしき降雨】だと記してある。
五十組も用意された楽譜には、呪歌自体のものもあった。
大工の娘が、強張った顔で楽譜を見詰める。
クフシーンカは女子大生の横顔から、番組の進行表に目を向けた。
これは、放送二回分が各一枚ずつしかない。みんなに見えるよう、回覧板に挟んでラジカセの横に立てた。
……これが、あの曲。
次に流れたのは、いつか新聞で、難民の少女が作詞して人気が出て、多数の寄付が集まったと読んだ曲だ。
インターネットを通じて世界に広まり、アーテルとネモラリスで勃発した魔哮砲戦争とは無関係な国の人々までもが、国連難民高等弁務官事務所や国連児童基金、世界保健機関などの国連機関や国境なき医師団をはじめとするNGO、難民キャンプを設置したアミトスチグマ王国の在外公館、難民支援を表明した湖南経済新聞社などの企業、フラクシヌス教団や難民キャンプで活動するボランティア団体などに寄付を託した。
リストヴァー自治区にも、キルクルス教団を通じ、多くの国に住まう信徒から浄財が寄せられ、クフシーンカの予想よりずっと早くに復興が進んだ。
魔哮砲……魔法生物を兵器利用するネモラリス共和国を断罪する声が上がる一方で、そのネモラリス難民に支援の手が無数に差し伸べられる。
……どうしてなのかしらね。
「何回も“ひとつ”って出て来るのね?」
「だって、歌に出て来た場所って昔は全部、ひとつの国だったもの」
少女の一人が疑問の声を出すと、別の少女がラキュス湖畔の住民なら知らぬ者がない常識を口にした。
「昔は色んな人が共存できてたってコトよね?」
「ラクリマリスとネモラリス、それにアーテルは、今も親戚や知り合いが住んでる人って居るものね」
「あぁ、それで、ラクリマリス王国の人たちは、ネモラリス難民を助けてくれるのね」
クフシーンカは、歌手の少女たちの掛け合いに心臓が跳ね上がった。
弟のハルパトールもそんなことを言い、国家再統合の為なら命など惜しくはないと信念を語った。
DJレーフと少女たちが「すべて ひとしい ひとつの花」の歌詞の続きを繰り返し求めるが、自治区内では日々の忙しさに紛れ、大多数の住民には考える余裕すらない。
「これって、東教会に貼ってるアレですよね?」
「そのようね」
あの日、大工の娘はリストヴァー大学の図書館に居て難を逃れた。
東教会の礼拝堂に貼った歌詞はそのままにしてあるが、すっかり見慣れて風景の一部になってしまった。
アミトスチグマで行われた新年コンサートの「すべて ひとしい ひとつの花」は、プロの歌手が多数を占めるだけあって、あの日、礼拝堂を満たした命懸けの歌とは別の曲のように美しく、調和のとれた斉唱だ。
ラクリマリス王国の民と、おこぼれを聞いたアーテル共和国の民は、どう感じただろう。
第一回最後の曲は「真の教えを」。楽譜の隅には、ラクエウス議員も作曲に関わったとある。
思わぬところで弟の名をみつけ、クフシーンカの心は震えた。
少女たちが謳うのは、聖典の秘密だ。
先に緑髪の運び屋に教えられたが、それでも、歌声は老女の胸に刺さった。
☆国会議員となってからは、誰からともなく罠と呼ばれる……「214.老いた姉と弟」参照
☆冬の大火……「054.自治区の災厄」「055.山積みの号外」「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照
☆被害状況の調査……「161.議員と外交官」「181.調査団の派遣」「190.南部領の惨状」「200.魔獣の支配域」「212.自治区の様子」参照
☆魔哮砲に関する採決……「241.未明の議場で」「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」参照
☆使用に反対した国会議員たちが捕えられ……「253.中庭の独奏会」参照
☆議員宿舎を脱出……「277.深夜の脱出行」参照
☆国内外に潜伏、或いは政府軍に殺害された……「378.この歌を作る」参照
☆大火の罹災者支援事業……「294.弱者救済事業」「372.前を向く人々」「419.次の救済事業」「420.道を清めよう」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」「505.三十年の隔絶」参照
☆礼拝堂で、避難民が歌った「すべて ひとしい ひとつの花」……「900.謳えこの歌を」「905.対話を試みる」参照
☆大工の娘……「1121.壁新聞を発行」参照
☆特別番組「花の約束」
第一回放送……「1014.あの歌手たち」~「1018.星道記を歌う」参照
第二回放送……「1149.一時間の番組」~「1151.知るきっかけ」「1153.繋がった記憶」~「1155.半人前の扱い」参照
☆ネミュス解放軍の暴走を止める(中略)金髪の青年……「916.解放軍の将軍」「919.区長との対面」参照
☆和平成立の放送……「0939.諜報員の報告」「0955.ラジオの録音」参照
☆いつか新聞で、難民の少女が作詞して人気が出て、寄付が集まったと読んだ曲……「306.止まらぬ情報」「324.助けを求める」「402.情報インフラ」参照
☆難民支援を表明した湖南経済新聞社などの企業……「324.助けを求める」「529.引継ぎがない」参照
☆キルクルス教団を通じ、多くの国に住まう信徒から浄財……「276.区画整理事業」参照
☆弟のハルパトールもそんなことを言い、国家再統合の為なら命など惜しくはないと信念を語った……「214.老いた姉と弟」参照
☆第一回最後の曲は「真の教えを」……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照




