1180.役に立ちたい
クフシーンカは、やわらかな介護食を匙で口に運んで考えた。
まずは、菓子屋にラジカセを借りてテープの内容を確認し、対応を考えなければならない。
仮に番組全体を放送するにしても、フェレトルム司祭には、放送後まで知らせない方がいいだろう。彼がクブルム街道へ行く日に放送すれば、数日は発覚を遅らせることができそうだ。
楽譜も、単にアーテルで流行の曲だと説明し、学校でのみ配布した方がいいかもしれない。
……誰と誰に相談すればいいのかしらね。
少なくとも、ラジカセの件で菓子屋の夫婦には明かさねばなるまい。
クフシーンカは、考え事をしながら、いつもより時間を掛けて朝食を済ませた。
「店長さん、おはようございます」
菓子屋の息子の声だ。
ネミュス解放軍と星の標の戦闘で、仕立屋を失った今もそう呼ばれるのは、彼女が星道の職人だからだろう。
ゆっくり立ち上がり、杖に縋って膝を庇いながら出た。
小学生の男の子は、もう一度元気よく挨拶して伝言を告げた。
「今日の壁新聞は大学の会議室でします、だって」
「あら、今日は東教会の集会室じゃないの?」
「うん。昨日の夕方、救援物資と一緒にバルバツムの絵本がいっぱい届いて、仕分けが大変だからしばらく使えないって」
「そうだったの」
救援物資は、グリャージ港に近い東教会で一旦受け入れ、学校や病院など、必要な場所に分配する。いつもは倉庫や前庭のテントで作業するが、他の物資も大量に届いたのかもしれない。
「それで、今日は一時間くらいしてから、父さんが来るまで迎えに来るので、よろしくって言ってました」
「そう。いつも伝言ありがとうね。お父さんとお母さんに、ラジカセを持って来てくれるように伝えてくれる?」
「うん。ラジカセだね。わかった」
菓子屋の息子は、元気いっぱい駆けてゆく。
役に立てるのが嬉しいのだろう。
小学校が夏休みに入ってすぐ、菓子屋の息子は毎朝、クフシーンカ宅へ伝言しに来るようになった。
「お手伝いして、偉いわねぇ」
星道の職人に褒められた少年は、苦しげに微笑んだ。
「どうしたの? おなか痛い?」
「大丈夫。活動の手伝いすんの、悔しいからなんだ。だから、褒められンのは、何か違うなって」
「悔しい?」
「だって……」
ネミュス解放軍の襲撃で、菓子屋の一家はクブルム街道へ逃れた。
あの日、息子は風邪で学校を休み、家族と一緒だった。
日没後、解放軍の一部隊が街道にまで迫ったが、山へ逃れた自治区民は市民病院の呪医に守られた。
夜明けに辿りついた山小屋では、喰らった人の姿を浮かび上がらせた魔獣まで出たが、これも、呪医と星の道義勇軍の隊長が倒し、自治区見民は一人も欠けることなく下山できた。
「子供だから、力なき民だから、何もできなくて、僕の足が遅いせいで、あいつらに追い付かれたんだ」
山中の避難状況を知らないクフシーンカには、悔し涙を滲ませた少年に掛ける言葉がみつからない。
「魔法使いのお医者さんが居なかったら、あいつらに殺されたかもしれない。星の道義勇軍の隊長さんが戦ってくれなかったら、みんな、きっと魔獣に食べられてたよ」
恐ろしい一日を思い出した声が震える。
老女は枯れた手で少年のやわらかな手をそっと包んだ。
俯いた声が地面に落ちる。
「隊長さんは、魔法使いのお医者さんに、これは魔法の弾丸だって言われても、銃を捨てないでみんなを守る為に戦ってくれたんだ。僕だったら、魔法の武器が怖くて、銃を捨てて、みんなを見捨てて逃げたと思う」
クフシーンカは、林業組合の山小屋付近での戦いは、複数の者から別々に教えられた。
ソルニャーク隊長は、呪医に東教区のウェンツス司祭から預かった銀の弾丸は、強力な術を施された魔弾だと教えられても、全く動じなかったと言う
そして、市民病院の呪医に魔力を借り、正確に魔獣を撃ち抜いた。
魔弾に施された術が発動し、人を喰らった魔獣を一瞬で灰に変えた、と居合わせた新聞屋たちは興奮気味に語った。
「お医者さんは昔、軍隊に居たけど、戦う魔法は使えないって言ってた。でも、隊長さんは逃げないで戦ってくれて、力なき民でも、魔法使いと力を合わせたら、魔獣をやっつけられるの、見せてくれたんだ」
少年の手と声に力が籠もる。
「だから、僕も、子供でも、力なき民でも、何かできることをしたいんだ。ゾーラタ区の魔法使いの人たちと力を合わせたら、もっと色々できると思うから。そうでしょ? 店長さん」
「そうよ。ウヌク・エルハイア将軍たちは、区長さんのおうちでそんな感じのことを言って帰ったわ」
顔を上げた少年の目に力が戻った。
それから、彼は毎日、クフシーンカ宅だけでなく、あちこち伝言で駆け回る。
父親は、暑さで倒れやしないかと気を揉むが、母親は「だったら暑さにやられないように手を打てばいいでしょ」と金切声で言い、菓子屋の亭主に帽子と水筒を用意させた。
ネミュス解放軍との和平内容が、ラジオを通じてリストヴァー自治区全土に伝えられたあの日、大人に守られるしかない子供たちは、どんな思いであの放送を聞いただろう。
クフシーンカは奥の部屋へ引っ込み、運び屋フィアールカと記録係ラゾールニクが置いて行った袋を確認し、自宅に残る小型ラジオを見た。
☆ネミュス解放軍と星の標の戦闘で、仕立屋を失った……「918.主戦場の被害」「0940.事後処理開始」参照
☆彼女が星道の職人……「554.信仰への疑問」参照
☆壁新聞……「1121.壁新聞を発行」参照
☆ネミュス解放軍の襲撃……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」参照
☆菓子屋の一家はクブルム街道へ逃れた/息子は風邪で学校を休み、家族と一緒……「898.山路の逃避行」「901.外部との通信」「902.捨てた家名で」参照
☆解放軍の一部隊が街道にまで迫った……「902.捨てた家名で」「903.戦闘員を説得」参照
☆喰らった人の姿を浮かび上がらせた魔獣……「906.魔獣の犠牲者」参照
☆東教区のウェンツス司祭から預かった銀の弾丸……「897.ふたつの道へ」参照
☆ウヌク・エルハイア将軍たちは、区長さんのおうちでそんな感じのことを言って帰った……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」参照
☆ネミュス解放軍との和平内容が、ラジオを通じてリストヴァー自治区全土に伝えられたあの日……「0939.諜報員の報告」「0955.ラジオの録音」参照




