1179.今更な口止め
クフシーンカは暑さで参ってしまい、火を使う料理が億劫になった。
……こんな便利な物をいただいて、有難いことだわ。
今日の朝食は、平和を目指すボランティアたちが、インタビューを依頼しに来た日に置いて行ったレトルトの介護食だ。
大半は教会に寄付したが、すっかり食が細くなったせいで、自宅に残した分も、まだ消費しきれない。
……いよいよ旅立ちが近いようね。
齢九十を越え、その数だけ厳しい暑さをやり過ごしてきた。近年は、今年こそはいよいよと覚悟して、季節が移るのを待つようになった。
今年の残暑を越えられるものか、神のみぞ知る。
あの冬の大火以降、多くの物を若者たちに譲り、知識や人脈の多くも引継ぎを済ませた。
仕立屋の店舗は、ネミュス解放軍と星の標の戦闘で失われ、クフシーンカに残されたのは、僅かな家財と預金、この家と老い衰えた身体で燻る生命だけだ。
クフシーンカが発案した罹災者支援事業は、ラクエウス議員の支持者らに引継ぎを終えた。それも、東地区の区画整理事業が進んだ現在は、住民主体の自治活動に移行しつつある。
その代わり、大聖堂から来たフェレトルム司祭の通訳として呼ばれることが増えたが、これも、銀行員の妻や他の星道の職人、大学生など、共通語が堪能な者は大勢居る。
……私でなければならないことは、もう全部片付い……
物音で思考が中断した。奥の部屋から、独特の調子でノックが響く。
クフシーンカは食卓に立て掛けた杖を取り、台所の床を打って応えた。
足音が近付いて来る。一人ではない。
台所の戸が開き、金髪の青年が顔を見せた。クフシーンカはどうにか記憶を手繰り寄せた。インタビューの記録係としてここに来た力ある民だ。
「ラゾールニクさん……だったかしら?」
「おはようございます。憶えててくれたんだ」
魔法使いの青年が、キルクルス教徒の老女に屈託のない笑顔を向ける。
ラゾールニクの背後に緑髪が見えた。
「あら、お食事中? 突然押し掛けてごめんなさいね」
女性の声に申し訳なさは微塵もないが、クフシーンカは悪い気がしなかった。
「年寄りは食べるのが遅くてね。お急ぎでないなら、お茶でも飲んで待ってて下さらないかしら?」
「今はちょっと急ぐから、遠慮させてもらうわ」
二人とも、窓から見られることを嫌って、台所へ入ろうとしない。
「奥の部屋に放送用のテープと一般用のカセットテープ、番組の進行表と楽譜を置いたから、時機をみて活用してくれないかしら」
湖の民の運び屋は、言葉こそ質問だが、口調は決定事項だ。
「何の番組?」
「ラクリマリスのAMシェリアクが放送した特番。アーテルの一部地域でも電波を拾える。で、番組内で流した曲が、若いコの間でこっそり流行ってる」
クフシーンカは、胸の内でラゾールニクの説明を反芻して頷いた。
「で、その海賊版のCD……レコードみたいな物をアーテル領内とかで売り捌いて、更にこっそり広めたんだ」
「どんな曲なの?」
密かに広めねばならないと言うことは、アーテル政府やキルクルス教団に知られてはならない内容なのだろう。
「番組の進行表にも書いたけど……」
ラゾールニクは、曲名を羅列して言った。
「最後の『真の教えを』ってのは、聖典の秘密を歌った曲なんだ」
「フェレトルム司祭が喜びそうね。星の標の人たちの再教育に使えるって」
「その司祭だけど、こちらの情報があんまり伝わらないように、用心してもらえると助かるんだけど、難しい?」
運び屋の声に困った様子はないが、クフシーンカにも、以前から同じ懸念があった。
「教会を中心に活動すると、どうしても司祭様方のお耳に入りますから」
「下手に隠そうとすると、逆に嗅ぎ回られそうだよな」
ラゾールニクが金髪の頭を掻く。
「当然だけど、大聖堂と繋がってるから、自治区の情報は筒抜けよ。あなたたちの活動も逐一報告済みね。大聖堂の人が報告書に目を通してないのか、泳がせてるのかわかんないけど、今んとこ反応ナシよ」
湖の民の運び屋が淡々と告げ、不意に口調を改める。
「まぁ、向こうの動きもあなたたちに伝えてくれるから、便利と言えば便利なんだけど、何も考えてなさそうね」
それには、クフシーンカも同意せざるを得ない。
フェレトルム司祭が性急に聖典の秘密を明かしたせいで、武装解除された星の標への報復が加速したのだ。人々の怒りと怨みがもう少し落ち着いた後ならば、彼らにも贖罪の機会があったかもしれない。
「こちらの手の内は、あの司祭になるべく明かさないに越したことないから」
「できるだけ手は打ちますが、司祭様は電波を受信しに小屋まで上がるようになりましたから、ゾーラタ区の方々との交流は知られておりますよ」
魔法使いたちは顔を見合わせた。
「えぇっとじゃあ、次はまたここに来るから、新聞屋さんとかに口止めして。次の荷物、学校かどこか、教会以外の若いコが集まるとこに運んでくれる?」
「何を持って来て下さるんです?」
「本よ。アーテルの若いコの間で流行ってる……キルクルス教の秘密に触れる娯楽小説。今の自治区なら、広めても大丈夫でしょうし、例の司祭が読んでも平気でしょうけど、出所を知られるのはどうかと思うから」
「バルバツムかどこか、外国からの救援物資と一緒に寄付されたことにしましょうかね」
「お婆ちゃん、流石だね。話が早くて助かるよ」
ラゾールニクがニカッと笑って親指を立てる。
「それがいいでしょうね。本は二十七巻まであって、三組持って来るから、高校や大学に置いてもらえると助かるわ」
「そんなにたくさん?」
「人手が要るでしょうね。あ、それと自治区を脱走した人、北ザカート市で政府軍に捕まってるそうよ」
「えっ?」
さらりと言われ、クフシーンカは聞き間違いかと、運び屋の緑の瞳をまじまじと見た。
「魔獣駆除業者の仲間が、現地で下っ端の兵隊さんから聞いただけだから、詳しいことはわかんないけど、どう関係するか予測できないから、念の為、耳に入れとくわね」
「詳しいことがわかったら、知らせに来るよ」
「食事のお邪魔しちゃって、ごめんなさいね」
魔法使いの二人は言うだけ言うと、呪文を唱えてどこかへ跳んだ。
☆インタビューを依頼しに来た日に置いて行ったレトルトの介護食……「861.動かぬ証拠群」参照
☆あの冬の大火……「054.自治区の災厄」「055.山積みの号外」「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照
☆知識や人脈の多くも引継ぎを済ませた……「282.寄付の始まり」「555.壊れない友情」参照
☆仕立屋の店舗はネミュス解放軍と星の標の戦闘で失われ……「0991.古く新しい道」参照
☆クフシーンカが発案した罹災者支援事業……「294.弱者救済事業」「372.前を向く人々」「419.次の救済事業」「420.道を清めよう」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」「505.三十年の隔絶」「1037.盗まれた物資」参照
☆東地区の区画整理事業……「156.復興の青写真」「276.区画整理事業」「453.役割それぞれ」「894.急を知らせる」参照
☆住民主体の自治活動に移行しつつある……「1079.街道での司祭」参照
☆フェレトルム司祭の通訳/銀行員の妻……「1007.大聖堂の司祭」参照
☆インタビューの記録係……「887.自治区に跳ぶ」~「897.ふたつの道へ」参照
☆ラクリマリスのAMシェリアクが放送した特番
第一回「花の約束」三十分……「1014.あの歌手たち」~「1018.星道記を歌う」参照
第二回「花の約束」一時間……「1149.一時間の番組」~「1151.知るきっかけ」「1153.繋がった記憶」~「1155.半人前の扱い」参照
☆海賊版のCD/アーテル領内とかで売り捌いて……「1065.海賊版のCD」「1067.揉め事のタネ」「1105.窓を開ける鍵」「1125.制作費の支払」「1133.人・物・カネ」参照
☆『真の教えを』……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照
☆フェレトルム司祭が性急に秘密を明かしたせいで、武装解除された星の標への報復が加速……「0991.古く新しい道」「1012.信仰エリート」参照
☆司祭様は電波を受信しに小屋まで上がるようになりました……「1079.街道での司祭」「1080.街道の休憩所」参照
☆自治区を脱走した人……「1037.盗まれた物資」「1038.逃げた者たち」「1079.街道での司祭」「1080.街道の休憩所」参照
☆北ザカート市で政府軍に捕まってる……「1129.追われる連中」~「1131.あり得ぬ接点」参照




