1176.故郷の情報を
アミトスチグマの広大な森林を拓き、難民キャンプは尚も拡大を続ける。
印暦二一九二年八月現在、第二十七区画が工事中だ。
アミエーラとアルキオーネは、ソプラノ歌手オラトリックスに連れられて、平野部のテント村に設けられたボランティア詰め所に来た。
「おはようございます」
「オラトリックスさんとお針子さんたち、今日も来てくれたんだ」
「今日もよろしくお願いします」
アーテル人のアルキオーネは、アミエーラの針子仲間で通す。
もう何度目になるかわからない【道守り】で、アミトスチグマ王国や周辺国から集まったボランティアたちとも、すっかり顔馴染みになった。
それでも、平和の花束の他の面々は一度も来ない。
……信仰を捨てたって言っても、自分で魔法を使うのって勇気要るものね。
針子のアミエーラは、自分が力ある民だと知ってからも散々迷った。本格的に魔法の練習をする決心がついたのは、ほんの数カ月前だ。力なき民の彼女らの気持ちは痛い程よくわかり、何も言わずにいる。
……【水晶】を握って、魔力があるか確認するのも怖いわよね。
「今回は、第十五区画をお願いします」
「えっ? 一箇所だけでいいのかい?」
荷物持ち兼【跳躍】で付き添ってくれたネモラリス建設業協会の若者が驚く。
アミエーラも同じ気持ちで、ボランティアセンターの係員を見た。
「夏休みの学生さんが結構来てくれて、今日は偶々、合唱部のコたちが何組も来たので」
「あぁ、それで」
ソプラノ歌手のオラトリックスが微笑む。
アルキオーネが、手提げ袋を目の高さに上げた。
「謳うついでに新聞配ろうと思ってたんですけど」
「それは俺がするよ。音痴で呪歌は手伝えないし」
「そうですか? でも、一人で二十九カ所も回るの、大変じゃありません?」
アルキオーネが気遣うと、建設業協会の青年は頬を染めて手を差し出した。
「大丈夫、大丈夫。こんくらい、家建てるのに比べたら楽勝だよ」
アルキオーネは袋から新聞を一組だけ抜いて、袋の把手を青年の手に掛けた。
「そうですか? あんまり無理しないで下さいね」
「まだ暑いみたいだから、君もあんまり無理しないで。じゃ、行って来る!」
青年は颯爽と詰所を出たが、右手と右足が同時に出て、背筋に定規を入れられたように動きがぎこちない。
後ろ姿が見えなくなった途端、オラトリックスが呟いた。
「アルキオーネさんにいいとこ見せたいのでしょうね」
「別に嫌いじゃないけど、こんな下心見え見えじゃ、好感度は上がりませんね」
「そう言うものなの?」
素っ気ない物言いにアミエーラが思わず聞くと、アルキオーネは当然だとばかりに言った。
「好きなコにしか親切にしない奴って、ホントに親切なワケじゃないし、熱が醒めたら掌返して冷たくなるから……気を付けた方がいいよ?」
何故か、最後はアミエーラに心配する目を向けた。何だかよくわからないが、取敢えず頷いて礼を言う。
オラトリックスが苦笑を浮かべて二人を促した。
他のボランティアたちと共に第十五区画へ【跳躍】する。
森の中は平野部のテント村よりずっと涼しいらしい。アルキオーネの額から汗が引き、顔色がよくなった。
アミエーラは、自分で刺繍した【耐暑】の呪文と呪印に守られ、暑さを感じられない。去年の今頃は汗だくだったことを思うと、別人にでもなった気分だ。
「星巡り 道を示す 行く手照らす 光見よ
迷う者 皆 見上げよ……」
顔見知りのボランティアに合唱部の学生ボランティアを加え、呪歌を覚えた難民と共に【道守り】を謳い歩く。
まるで、胸いっぱいに吸い込んだ森の香を歌に換えるようだ。不思議な気持ちで第十五区画を囲んだ。
「お疲れさまでした。何もないところですが、ゆっくり休んでって下さい」
共に謳った難民に労われ、第十五区画の集会所に入った。
アルキオーネが戸口で新聞の束を掲げる。
「こんにちはー。レーチカの新聞をお持ちしましたー」
作業の手が止まったかと思うと、あっという間に囲まれた。アルキオーネは慌てず騒がず、新聞を一枚ずつバラして配ってにっこり微笑んだ。
「読み終わったら、次の人に回して、失くすといけないんで、集会所の中でだけ読んで、最後の人は束ね直して下さいねー」
人々は貪るように読み、耳に入ったかどうかわからない。
手に入れられなかった者たちが横から覗き、一ページ毎に人の輪ができた。
「みなさん、やっぱり祖国のコトが気になるんですね」
湖の民の若い女性が嘆息する横顔は、まるで他人事のようだ。
アルキオーネが首を傾げた。
「あなたは違うの?」
「私はパテンス神殿信徒会のティリアって言います」
「今は“祈りを湖水に”ってコトで、参拝計画があって、力なき民の人たちも奉納用の【魔力の水晶】を買えるように呪符作りとか頑張ってるとこなんですよ」
隅で段ボールを畳んだ湖の民の青年がティリアの横に立ち、彼女と同じ神殿ボランティアのコーヌスだと名乗る。
三人は呼称だけ名乗り返した。
集会所には、折り畳み式の長机とパイプ椅子が並び、紙束と銀色のペン、様々な色のインク瓶や小さな絵の具皿が広げてある。
アミエーラは、地下街チェルノクニージニクの魔法の道具屋で似た物を見たのを思い出して頷いた。
アルキオーネは物珍しげに眺めるだけで、何も言わない。
「新聞、ありがとうね」
「湖南経済新聞社が、全部の集会所に新聞を寄付してくれるんだが、アミトスチグマの本社版しかないもんでな」
人の輪に入りそびれた年配の難民が、少し申し訳なさそうに言う。
「読ませてもらえるだけでも有難いから、文句言っちゃ罰が当たるからね」
「あのナントカって板でも、ニュースは見られるんだけど、ネモラリスからの記事ってないのよ」
「ネモラリスには、あんなのなかったからなぁ」
どうやらタブレット端末のことらしい。
みんな、話を聞いて欲しいだけなのか、アミエーラたち三人が曖昧に相槌を打つだけでも次々話し掛けた。
☆【道守り】……「928.呪歌に加わる」「929.慕われた人物」参照
☆【水晶】を握って、魔力の有無を確認する……「0091.魔除けの護符」参照
☆パテンス神殿信徒会のティリア/コーヌス……「738.前線の診療所」「739.医薬品もなく」参照
☆地下街チェルノクニージニクの魔法の道具屋で似た物を見た……「522.魔法で作る物」参照




