1175.役所の掲示板
臨時政府が借り上げた雑居ビルには、複数の省庁が入居する。
前の歩道には、各省庁が掲示板をずらりと並べ、通達や官報などを告示した。
小さい字でびっしり書かれた難しい行政文書の中で、国民向けのわかりやすいポスターが一際目を引く。
「予防接種のお知らせ……か」
「北部の田舎じゃ何もねぇってのによ」
葬儀屋アゴーニが鼻を鳴らす。
対象区域は、臨時政府があるレーチカ市、空港が再開したトポリ市、トポリの対岸に位置するギアツィント市、湖東地方に面した輸入の玄関リャビーナ市の四都市だけだ。
その他として、ネモラリス島を周回する輸送船と外国航路の船員、空港職員、医療者は居住地、勤務地に関係なく接種対象となる。
費用は無料だが、ワクチンの配布が指定病院に限られる為、受けたくても行けない者は多そうだ。
クルィーロは手ブレに備え、念の為に三枚ずつ撮った。
ネモラリス島北東部で麻疹が発生し、ネミュス解放軍のカピヨー支部長にそちらへ行かないよう警告された。
移動放送局プラエテルミッサが足留めされる村には、怪我人が、近隣の村々からひっきりなしに訪れる。
……セプテントリオー呪医が居るって知れ渡っちゃったもんな。
今はまだ無事でも、いつ、ウィルスが持ち込まれるか知れたものではない。
子供たちは夏休みだが、学校が再開すれば集団感染が起きる可能性もある。
カピヨー支部長は、ネミュス解放軍が、首都クレーヴェルで作らせたワクチンをネモラリス島北東部で使用すると言ったが、既に発生した流行をどのくらいの期間で鎮静化できるか、素人のクルィーロにはわからなかった。
……アウェッラーナさんだって、材料がなきゃ薬を作れないんだよな。
熱冷ましの素材は、割と手に入りやすいそうだが、種類によって用途や効果の強さなどが全く違うと言う。
薬の素材と使用量と回数、他の薬との併用可否、併用する場合の組合せや分量などは、【思考する梟】学派の薬師や【白き片翼】か【飛翔する梟】学派の呪医が【見診】を使って判断する。
一口に呪医と言っても、セプテントリオーの【青き片翼】学派は、外科領域なので、薬についてはわからないと言う。
医師免許の種類が違うので、予防接種は科学の医師でなければできない。
空襲や魔物などによる医療者の死亡、製薬工場の喪失、湖上封鎖によるワクチンの輸入停滞、食糧不足による栄養失調、過密状態の仮設住宅、戦争そのものや避難のストレスなど、流行の原因は複雑に絡み合う。
ひとつの原因を取り除いただけでは、事態の終息は難しい気がした。
難民キャンプでは、複数の国のボランティア、国連機関や国際NPOなどが尽力するが、ネモラリス共和国内では、各勢力が個別に「手が届く範囲」に対応するだけで、焼け石に水に見える。
……もし、アマナに移ったら……!
クルィーロは腕をつつかれて我に返った。
ジョールチが、掲示板とクルィーロの手許を交互に指差す。
「掲示板の写真、撮ってくれってよ」
葬儀屋アゴーニの隣で国営放送のアナウンサーが頷いた。
クルィーロは頷き返すと、まず掲示板全体を撮った。次に中身の告示やポスターを単独で写してゆく。
事業再開用の補助金、低金利融資、税の減免、還付金、学費免除の拡大、家賃補助、就労の斡旋、集合住宅の建設に対する助成金、相続税の減免、相続人死滅地の公売……
各省庁が空襲被害からの復旧・復興や住民帰還に向けての施策を打ち出すが、クルィーロにはどれも時期尚早に思えた。
再びアーテルの空襲に見舞われれば、これらの努力は一瞬で灰にされるのだ。
……って言うか、やたら補助金と無料化が多いけど、財源どうなってんだ?
「まだ戦争終わってないのに大丈夫なんですか?」
「慰撫政策で庶民を懐柔して、解放軍に付く奴を減らそうってハラぁ、見え見えだな」
ジョールチが、アゴーニの代弁を渋い顔で肯定し、建設省の掲示板を指差す。
ネーニア島での防壁再構築事業のお知らせポスターが、都市別で何枚もある。
大きく分けて二種類。「労働者の募集」と「魔力、物資の供出について」だ。
仕事内容や給与などの待遇は、職業安定所で要確認。魔力の供出は、ネモラリス島内の指定場所でのボランティア。石材や【魔力の水晶】などの供出は、納税などで優遇措置がある。
いずれも「詳細は別掲」で、ここには具体的な情報がなかった。
隣の掲示板が視界に入り、クルィーロの動きが止まる。
紙が色褪せた告示は、ネーニア島内の立入制限区域の一覧だった。




