1174.レーチカの今
アーテル軍の空襲は何カ月もなく、星の標の爆弾テロも、ラクエウス議員らの働きで止んだ。
だが、ネミュス解放軍は依然として首都クレーヴェルを占拠して動かない。
DJレーフとラゾールニクの報告を聞いた限り、ウヌク・エルハイア将軍自身には政権掌握の意志はないようだ。
それでも、解放軍将軍の座を降りないのは、神政復古を望む者たちの暴走を抑える為らしい。
彼が解放軍を離れれば、権力欲に取り憑かれたラキュス・ネーニア家の誰かが後釜に収まるかもしれない。そこで派閥争いが勃発し、解放軍が分裂して内戦が泥沼化する可能性もあった。
いずれにせよ、解放軍はレーチカ市の臨時政府やリストヴァー自治区を攻撃し、内戦の拡大は避けて通れないだろう。
そうなれば、自治区との協定も失われる。
星の標はテロ活動を再開した上、アーテルやラニスタ、その他多くのキルクルス教国の共鳴者に呼掛け、アーテル軍の戦力を増強させるかもしれなかった。
内憂外患。
今でさえ、アミトスチグマ王国には、数十万人ものネモラリス人が難民として流入し、支援が追い付かないのだ。
戦禍が拡大すれば、どうなるのか。
クルィーロは想像したくなかった。
……そう言や、シェラタン様ってどこで何してんだ?
何故、ネミュス解放軍を止めないのか。
彼女自身、権力を欲するとは思えないが、呪医セプテントリオーの「ラキュス・ネーニア家の当主は湖水の維持だけで精一杯」説は、陸の民であるクルィーロにはピンとこなかった。
どこかの神殿に引き籠って祈りを捧げ続けるにしても、解放軍の連中に戦いをやめるよう、声明を出すくらいできそうなものだ。
魔哮砲は約七百年前に失敗作の烙印を捺され、ウヌク・エルハイア将軍の命令で封印された。
復活させて兵器利用しようと言い出したのが、アル・ジャディ将軍か秦皮の枝党の一部議員か不明だが、そのせいでアーテル共和国に戦争を吹っ掛けられ、ネミュス解放軍がクーデターを起こしたのだ。
……あの黒い化け物さえ居なけりゃ、こんなコトにならなかったのに。
ツマーンの森で見た闇の塊が、魔法生物を兵器化した存在「魔哮砲」だ。
クルィーロたちは、あれのせいで火の雄牛に追われてランテルナ島へ逃げ込む羽目になった。色々な意味で迷惑な化け物だ。
ただでさえ少ない新聞を一箇所でまとめ買いして、品切れさせては申し訳ない。
三人は、レーチカ市内の様子を観察しながら、複数の店でネモラリス共和国の全国紙と地方紙を買い集めた。
クルィーロは、タブレット端末で街の写真を撮る。
営業中の業種、規模、店頭物価、客の身形などがわかりやすいよう、遠景と近景を収め、電柱や町内会の掲示板にポスターがあれば、それも忘れず記録した。
写真から酌める情報と、何をどう撮ればいいかは昨夜、国営放送アナウンサーのジョールチが教えてくれた。
今の彼は、一言も喋らない。声で何者か知られてしまうからだ。
……有名人って大変だよなぁ。
葬儀屋アゴーニの案内で、官庁街に足を運ぶ。
彼は何度も情報収集に通い、すっかり慣れた様子で先を歩いた。
残暑が厳しく、通りを行く者は力ある民が多いが、力なき民も首に巻いたタオルで汗を拭いながら歩く姿がちらほら見える。魔力の有無に関係なく、肥えた者など一人も居なかった。
この辺りは営業を継続する飲食店が多く、値段もそれなりに落ち着いたようで、そこそこの客入りだ。
「ちょっとここで腹拵えしてくか」
アゴーニが、目に付いた定食屋にさっさと入る。
壁のメニューには紙が貼られ、この店が提供できる品数は、開戦前の五分の一くらいに減ったのが見て取れた。
……それでも、庶民が食べられる値段で出せるって凄いよな。
他の客に届いた日替わり定食は、焼魚二匹と生野菜少し、薄いスープ、それに拳の半分くらいの大きさのパンだった。これで値段は、社員食堂の三倍くらい。
「まぁ、魚はいっぱい獲れるもんな」
アゴーニが苦笑し、これにはクルィーロも笑うしかなかった。
料理を待つ間、ジョールチにタブレット端末を渡す。
昨夜、情報の集め方を教わる傍ら、端末の使い方を教えた。早速、テキストエディタを起動してフリック入力で筆談を始める。
〈漁港は正常に機能して、漁師さんたちも無事だとわかって、よかったじゃありませんか〉
「そうですね。栄養考えて工夫してくれてますし、文句言っちゃ罰が当たりますよね」
クルィーロは、レノのパン屋が頭をかすめた。
いつ、どこで、どんな形態で再開できるのか。
椿屋の女将さんと再会できないことには、三兄妹だけでは心細いだろう。
……俺、何が手伝えるんだろうな。
クルィーロは小さなパンを噛みしめたが、味はよくわからなかった。
〈思ったより安かったですね〉
店を出たジョールチが、そう入力してクルィーロに端末を返した。
ひょいと覗いたアゴーニが頷く。
「アミトスチグマを出て封鎖範囲を避けて、リャビーナやレーチカ、北部の港へ入る航路に慣れたってのもあるんだろうな」
「そうですね。トポリ空港も再開したそうですし、ちょっとはマシになってますよね」
アゴーニが定食の値段を手帳に控えて言い、クルィーロが相槌を打つと、ジョールチは無言で頷いて、保健省前の掲示板を指差した。
☆アーテル軍の空襲は何カ月もなく……最後の大規模空襲は印暦二一九一年秋「757.防空網の突破」~「759.外からの報道」「766.熱狂する民衆」参照
☆星の標の爆弾テロも、ラクエウス議員らの働きで止んだ……「1020.この街の治安」「1118.攻めの守りで」参照
☆DJレーフとラゾールニクの報告……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆神政復古を望む者たちの暴走を抑える為……「921.一致する利害」、神政復古を望む者たちの例「693.各勢力の情報」「830.小村での放送」「874.湖水減少の害」参照
☆自治区との協定……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆シェラタン様ってどこで何……「683.王都の大神殿」~「685.分家の端くれ」参照
☆魔哮砲は約七百年前に失敗作の烙印を捺され……「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」参照
☆復活させて兵器利用……「241.未明の議場で」「247.紛糾する議論」「248.継続か廃止か」「496.動画での告発」参照
☆ネミュス解放軍がクーデター……「600.放送局の占拠」「601.解放軍の声明」参照
☆ツマーンの森で見たあの闇の塊……「299.道を塞ぐ魔獣」参照
☆あれのせいで火の雄牛に追われてランテルナ島へ逃げ込む羽目……「300.大橋の守備隊」「301.橋の上の一日」「302.無人の橋頭堡」「303.ネットの圏外」「307.聖なる星の旗」「308.祈りの言葉を」参照
☆ネモラリス共和国の全国紙と地方紙……「547.ラジオの番組」参照 ネモラリスの新聞
☆葬儀屋アゴーニの案内/彼は何度も情報収集に通い……「644.葬儀屋の道程」「1165.小説のまとめ」参照
☆トポリ空港も再開……「634.銀行の手続き」「750.魔装兵の休日」参照




