0012.真名での遺言
「優しき水よ、我が声に我が意に依り、起ち上がれ。
漂う力、流す者、分かつ者、清めの力、炎の敵よ。
起ち上がり、我が意に依りて、敵を縛れ」
ベッド下の水が応え、床を這う。
テロリストの足を這い上がり、乱射中の自動小銃を呑んだ。弾が水流に翻弄され、水塊の内に溜まる。
テロリストは水から銃を抜こうとするが、水は銃身にまとわりついて離れない。
煤だらけのおばさんが立ち上がり、力ある言葉で水に命じた。
水塊が、もう一人のテロリストの頭を包む。
テロリストは、銃を乱射しながら身を捩った。水塊が鼻から肺へ流れ込む。星の道の腕章を付けた男は身を折って激しく咳込んだ。開いた口から更に水が流入し、男の手から銃が落ちる。
煤だらけのおばさんは、手で腹を押え、壁にもたれた。足から力が抜け、ずるずると座りこむ。壁に赤い汚れが残った。
倒れたテロリストは、しばらく床でもがいていたが、すぐに動かなくなった。
「……仇は、討ったよ」
見届けたおばさんも、それきり動かなくなった。
テロリストの頭を包んでいた水が、床に広がる。
弾を撃ち尽くしたテロリストが、銃を捨てようとする。
腕ごと水流に絡められ、銃身が押し付けられる。もう一方の手で、床に落ちた仲間の銃を拾い上げた。
倒れていた老人が、テロリストの足にしがみつく。
先程まで死んだように動かなかったとは思えない力で、キルクルス教徒の力なき民の足を引く。
テロリストは倒れながらも銃を乱射した。老人は撃たれても尚、手を放さない。床から壁、天井にかけて、無数の穴が穿たれる。
火傷の男性が、煤だらけのおばさんと同じ方法でテロリストを溺れさせた。
壁と廊下を隔てた向かいの病室からも水音がする。あちらも同じ手段で、病人と避難民が、テロリストに対抗しているのだろう。
病室が静かになる。
アウェッラーナは恐る恐る目を開け、半身を起こした。
制御を失った水が床に広がる。
血溜まりと肉片、瓦礫が散乱し、隙間に衣服や緑色の髪は見えるが、声はない。
ずぶ濡れのテロリスト、煤と血に塗れた避難民の遺体。僅かに生き残った人々も無傷ではない。
父が呻いた。
アウェッラーナは弾かれたように立ち上がった。ベッドには細かい瓦礫が落ち、穴だらけの寝具が赤く染まる。
「お父さんッ!」
ベッドに身を沈めた父が、娘に顔を向ける。
久し振りに父娘の視線が合った。
アウェッラーナが父の手を握る。
老父はその手をしっかり握り返した。幽かな声で、娘の真名を呼ぶ。
「オレーホヴカ……」
娘は父の口許へ耳を近付けた。細く幽かな声が娘の真名を呼ぶ。
「ビィエーラヤ・オレーホヴカ・リスノーイ・アレーフ……みんなの分も、長生きするんだ」
「お父さん……」
父の手から、急に力が失われた。
アウェッラーナ……ビィエーラヤ・オレーホヴカ・リスノーイ・アレーフが、父の顔を見る。その目はもう何も見てはいなかった。




