1166.聖典を調べる
呪医セプテントリオーは、ソルニャーク隊長と並んで木立を縫う小道を歩く。
緑の息吹を含む風が清々しい。秦皮の木々が小道に影を落とし、術で暑さから守られない力なき民でも心地よい筈だ。
手提げ袋に半分ずつ分けて入れたが、文庫本十三冊とノート三冊もあれば、肩に食い込む。
二人は蝉時雨の下、交わす言葉もなく、王都ラクリマリスの第二神殿書庫へと足を進めた。
書庫に足を踏み入れた途端、ソルニャーク隊長がホッと息を吐く。
呪医セプテントリオーは、力なき民の不便と生活の厳しさを思い、そっと目を伏せた。
……木陰でも暑かったのか。
書庫の奥にクリューチ神官の姿が見えた。調べ物らしく、分厚い本を何冊も机に広げ、傍らの手帳へ熱心に書きつける。
他に人の姿はなく、カウンターも無人だ。
呪医はカウンターに手をついて奥を覗いたが、司書の姿はなかった。
「流石に開放書架には置かんか」
「えぇ。しばらく待ちましょう」
二人は囁き交わしてカウンター前の机に荷物を下ろす。顔を上げたクリューチ神官と目が合った。
「あぁ、呪医、お久し振りです」
「お久し振りです。司書の方がいつ頃戻られるか、ご存知ありませんか?」
「すみません。私が当番なんです。どんな本をお探しですか?」
「キルクルス教の聖典を少々……」
「呪医が読まれるんですか?」
同族のクリューチ神官が緑の目を瞠る。
「少し調べ物をしたいのです」
ソルニャーク隊長が、手提げ袋から文庫本を取り出して並べる。色鮮やかな表紙は、多数の書架に囲まれたこの部屋で、何故か酷く場違いに見えた。
緑髪の神官が、同じ色の眉を顰める。
「これは……?」
「アーテルの若者に人気の小説で、作者もアーテル人です」
言いながら、ソルニャーク隊長は第一巻のページを捲り、例の挿絵をクリューチ神官に向けた。
「王国軍の制式武器ですね。本当にこの本がアーテルで出版されたのですか?」
隊長が頷き、奥付ページを開く。
出版社は、アーテル共和国の最大手だとファーキル少年から聞いた。
本社の所在地は当然、アーテル本土だ。
第一版、第十七刷。
科学文明国では電子書籍が多く、紙の本がこれだけ刷られること自体、今時珍しい売れ行きだとも言われた。
「確かに……しかし、これは子供向けだから、アーテル政府の検閲対象に入らなかったのですか?」
「そこまではわかりません。協力者の子供たちが手分けして全巻に目を通し、魔術と信仰などに関する記述を抜き出してくれました」
呪医セプテントリオーも荷物を机に広げ、ノートをクリューチ神官に渡した。
「つまり、教会建築や聖職者の衣のように、キルクルス教に組込まれた魔術を洗い出したいのですね?」
「そうです。これがそのまま出版されたことが、アーテルの社会と文化に魔術が残った証拠になります」
「アーテル人が、何の疑問もなく受容するキルクルス教文化に魔術の色があること、星の標の異端思想によって信仰と社会に軋轢が生じ、人々に不幸と不満をもたらしたことを確認したいのです」
付け加えたソルニャーク隊長の声が熱を帯びる。
アーテル共和国だけでなく、リストヴァー自治区もそうなのだろう。
「少々お待ち下さい」
クリューチ神官はカウンターに入り、扉の奥に引っ込んだ。
ややあって、不用意に持とうものなら腰を傷めそうな厚さの本を抱えて来た。机に置いた重量が、足下の床に響いて伝わる。
「これが、聖職者用の聖典です。【禁帯出】が掛かっているので、この部屋でしか読めません」
「一日では終わりそうにないな」
ソルニャーク隊長が、司書当番クリューチの説明に独り言ちる。
何度か通うことになりそうだ。
移動の負担を思えば、この近くで宿を取った方がよさそうに思える。
レノ店長が食事代として小粒の宝石を持たせてくれた。ソルニャーク隊長一人なら、安い宿に数日泊まれそうだ。魔力を宿さない宝石が入った小袋を渡す。
「私は、施療院にコルチャークさんたちの様子を見に行って、一旦、村へ戻ります。明日、追加の宿代をここに持って来ようと思いますが、よろしいですか?」
「構いません」
予備知識のない呪医セプテントリオーより、キルクルス教徒のソルニャーク隊長の方が効率よく調べられる。
昨夜、フラクシヌス教の神殿にキルクルス教の聖典が保管される理由は、説明済みだ。隊長は全く動揺することなく了承した。
「クリューチ神官、恐れ入りますが、フィアールカさんと会う機会がありましたら、伝言をお願いできませんか?」
「メールで今すぐ連絡できますが、直接会って話した方がいい内容ですか?」
湖の民の神官がタブレット端末を取り出す。
呪医セプテントリオーは、手品でも見せられたような心地で彼の手許を見た。
「メールで大丈夫だと思います」
……ラクリマリス領内ならば、通信傍受の危険はなかろう。
クリューチ神官は、セプテントリオーの口述とほぼ同時に用件の入力を終えて送信する。慣れた手つきに感嘆して礼を言った。
二分と経たない内に端末が震える。
「一時間くらいでここに来られるそうですが、どうされますか?」
待つ旨、返信してもらい、情報交換して時間を潰した。
☆クリューチ神官……「593.収録の打合せ」参照
☆例の挿絵……「1137.アーテル文化」参照
☆施療院にコルチャークさんたちの様子……「1083.初めての外国」「1084.変わらぬ場所」「1144.向かう先には」参照
☆フラクシヌス教の神殿にキルクルス教の聖典が保管される理由……「1036.楽譜を預ける」参照




