1161.公害対策問題
ファーキルは、選挙関連の報道各社の情報を取りまとめた。
アーテル共和国内と周辺諸国のものだ。
大勢の同志が現地へ赴き、アーテル政府の規制範囲内で見られるネット報道と、紙の新聞を集めた。
各新聞社のサイトには、紙の新聞に載った記事が全て載らない代わりにネットの独自記事がある。
一社の情報を全部得るには、紙とネット、両方を入手しなければならない。しかも、速報記事は続報が出ればファイルが上書きされ、政府の検閲に引っ掛かった記事は削除されてしまう。
ファーキルは、アミトスチグマ王国の夏の都に居ながらにして、ここ一カ月分のラキュス湖南地方、湖東地方の報道各社による「アーテル共和国の大統領予備選と国政選挙」の情報を手に入れた。
同じ星光新聞でも、アーテル本土版とランテルナ島版、ネモラリス共和国リストヴァー自治区版や、その他の各国版では内容や、同じ記事でも表現が全く異なる。
選挙前の特集記事や、候補者の前評判、政治家や候補者が何者かに殺害された事件の報じ方も違った。
結果の分析も様々だ。
湖南経済新聞など、本社がアーテル以外の国にある報道機関は、自国版や周辺国版では自由に報じたが、インターネットのアーテル版は、それらとは別のページを設け、アーテル政府の検閲に引っ掛からないよう、内容や表現を調整してある。
……同じ湖南語で書いてあるのにな。これじゃコトバ通じなくなるワケだよ。
アーテル政府の検閲を経た情報にしか接せないなら、考えが偏って当然だ。
中学生のファーキルは、選挙に注目したことがなかった。
両親の政治的な関心や立ち位置も知らない。星の標に寄付したくらいだから、政治的にもアーテル党支持者の可能性が高い。
……あいつらは、もうどうでもいいけどな。
同じ記事でも、内容や表現が違えば、別版として保存する。
政党広告も、同志が手分けして広告そのものだけでなく、媒体、頻度などを記録した。
かなりのページ数に膨れ上がった一覧を精読するのは、ネモラリスからの亡命議員や、アミトスチグマの地元議員、アミトスチグマ人の協力者マリャーナらだ。
会議室として用意されたマリャーナ宅の一室に集まり、分厚い紙束を前に険しい顔で意見を述べる。内容は先にメールで送った。
染みひとつない純白の部屋には、情報収集に携わった運び屋フィアールカ、諜報員ラゾールニク、ネモラリス建設業組合の若手たちの他、ファーキルの知らない顔も幾つかあった。
まとめたファーキルも質問に備え、ノートパソコンを持って同席する。
「アーテル党が議席を維持した以上、工業団地計画は止められないでしょうね」
マリャーナが、総合商社パルンビナ株式会社の役員として、眉を曇らせた。
リストヴァー自治区選出のラクエウス議員が、重々しく同意する。
「寧ろ、この政策に関しては、アーテルの内外へ向け、積極的に公開しておるようですな」
アーテル政府の記者発表そのままらしく、どの版も同じ情報が似たような調子で載る。
湖南経済新聞のアミトスチグマ本社版とラクリマリス版だけが、記者発表の他、湖東地方のようなキルクルス教化を危惧する社説や解説記事を掲載した。
戦争当事国ではない国々の経済界へのインタビューもある。
経済同友会などの会頭たちは、バルバツム連邦の企業集団が大挙してアーテル共和国に進出する件を快く思わず、団結して湖南地方の市場を守る為の手段を講じると力説した。
アーテル版には、景気対策の切り札として手放しに歓迎する声ばかりが載る。
「成功すれば、他国にも展開できると踏んだのでしょうが、湖の女神派が多い国は、難色を示すでしょうね」
両輪の軸党のモルコーヴ議員が溜め息混じりに言うと、同じく岩山の神スツラーシを信仰するネモラリス亡命議員のアサコール党首が、ペンで紙束をつついた。
「アルトン・ガザ大陸のキルクルス教国から、湖東地方へ進出した企業は、幾つも公害訴訟の被告になっていますからね。懲りて対策してくれればいいのですが」
「我が国は、水質汚濁の法規制が厳しいので、彼らもそれなりに経費を掛けて対策しますが、キルクルス教国のラニスタはそもそも規制が緩く、ディケアなど後からキルクルス教を国教と定めた国は、経済を優先して規制緩和に動きましたよ」
アミトスチグマのジュバーメン議員は心底、迷惑そうに顔を顰めた。
「国内や周辺国の聖職者や漁業関係者から訴えられてるんでしたね」
主神フラクシヌスを奉じる秦皮の枝党のクラピーフニク議員が頷くと、この場で唯一キルクルス教徒のラクエウス議員が、フラクシヌス教徒たちに理解を示した。
「儂らは船を持たず、魚を獲らぬ分、湖水に無頓着になりがちですからな。自治区でも、工業排水は度々問題になっておりました」
「湖の民やパニセア・ユニ・フローラ様の信者は、裁判に勝って端金もらったって、ラキュス湖を穢された心の痛みは癒えないんだけど、企業への制裁がおカネと対策の強制くらいしかないって言うのがもどかしいのよね」
運び屋フィアールカが、鮮やかな緑髪に指を入れ、くしゃりと掴む。
ネモラリス建設業組合の若者が、忌々しげに吐き捨てた。
「俺は商売柄、安全第一のスツラーシ様を信心してますけど、湖の民だから、ラキュス湖に酷いコトされたらムカつきます」
「何て言うか、そのせいでネモラリス憂撃隊に参加する奴や、あいつらを支援する奴が居ても、何の不思議もねぇんだよな」
同族の建設職人が頷く。
ファーキルは初めて、オリョールたちの資金源に気付いた。
老婦人シルヴァは裕福そうに見えたが、オリョールたち武闘派ゲリラはみんな、焼け出されて無一文、無一物になった者ばかりだ。
余程の資産家でもない限り、シルヴァ一人の財力で彼らの武器や食糧、医薬品などを賄えるとは思えない。
不買運動程度ならまだしも、キルクルス教国に本社を置く企業を武力で排除する可能性に気付き、ファーキルは愕然とした。
「ラキュス湖を汚さないのって“常識”だから、アミトスチグマみたいにわざわざ法律で規制するとこって、少ないのよね」
「それを逆手にとって、対策費用をケチる会社が……まぁ、キルクルス教系のとこに多いんだよ」
「IR活動の一環として、環境保護に力を入れるとこは、マシなんですけど」
フィアールカとラゾールニク、名も知らぬ黒髪の女性が呆れた声で説明する。ラクエウス議員が、大きな溜め息と共に項垂れた。
☆政治家や候補者が何者かに殺害された事件……「0957.緊急ニュース」「0967.市役所の地下」「0998.デートのフリ」「1022.選挙への影響」「1112.曖昧な口約束」参照
☆星の標に寄付した……「293.テロの実行者」参照
☆両輪の軸党/岩山の神スツラーシを信仰……「402.情報インフラ」「534.女神のご加護」「602.国外に届く声」「693.各勢力の情報」「729.休むヒマなし」参照
☆ディケアなど後からキルクルス教を国教と定めた国……「696.情報を集める」「721.リャビーナ市」「728.空港での決心」「751.亡命した学者」参照
【余談】
企業への制裁がおカネと対策の強制くらいしかない云々
例えば、ご神木に除草剤を撒いて故意に枯らした場合。
土壌を入れ替え、同種の樹木を植えて、枯死した樹の「材木としての価値」分の賠償金とほんの少しの慰謝料をもらって、それで神職や氏子たちの気が済むか……想像するとわかりやすいと思います。
ご神木が樹齢千年近い古木だとしたら、どう頑張っても、その時間は埋められません。
リアルの判例では、奈良県の鹿射殺事件。
食用と販売の目的で、奈良の鹿をボウガンで射殺した文化財保護法違反。「奈良社会に大きな衝撃を与えた」として、実刑になりました。
奈良県内では鹿による農業被害があっても、駆除しようとすると猛反対が起きて対策が進まず。
近くの兵庫県では、鹿による農業被害が酷いので、積極的に獲って食べることを推奨。人間が食べるだけでは追い付かないので、犬のおやつにも加工して販売。
「信仰の対象であること」は、割と重要な判断材料になり得ます。
<参考>
鹿に矢 男に懲役6月 - 奈良地裁判決(奈良新聞 2010.06.19)
「シカに矢」で実刑判決 奈良、文化財保護法違反(日本経済新聞 2010/6/18)
「奈良公園のシカ、殺さないで!」 奈良県庁に苦情100件以上、食害対策は凍結(J-CASTニュース 2012/11/13 16:22)




